魔法少女は恋がしたい

音無來春

魔法少女は恋がしたい

 ひとりというのは、どうしてもさびしいというイメージが付きまとう。


 人は人とつながりを得るために家族を作って友達を作って恋人を作る。そしてつながりの輪の中でほんのわずかな信頼関係とちょっとした安心感を得るのだ。

 そうやって人々は、それぞれ充実じゅうじつした毎日を送っている。


 でも一人というのはそんなに悪いものなのだろうか。

 誰にも迷惑をかけないし、誰にも心配かけないし、そして何より一人でいると気楽だ。

 放課後の教室は、窓から差し込む西日であかね色に染まっている。

 友達のいない独りぼっちの教室は、ちょっぴり寂しくてちょっぴり快適。


 恋人いない歴イコール年齢プラス友達いない歴イコール年齢の三分の一。

 そんな残念な方程式の私にも好きな人はいる。クラスメイトの風真凛くん。

 サッカー部でスポーツ万能で成績優秀で文武両道で、とても私では釣り合わないような男の子。幼馴染で昔はよく遊んでいたけど、いつからか疎遠そえんになって遠い人になった。


 笑うと、目尻がほんの少し下がって柔らかくなる。あの笑顔を見るたびに、胸の奥がじんわりあたたかくなる。

 彼は今も窓の下で部活動にいそしんでいる。たくさんの友達に囲まれて充実した日々を送っている。そのわきに黄色い声援をお送っている女の子のファンもいたりする。


 いわゆるリア充。対して私は恋人どころか友達すらいない、非リア充。

 私だって高校生なので、人並みくらいは友達と一緒に遊んで男の子と恋愛したい。

 でも告白なんて大それたこと、とても私にはできない。

 考えるだけで心臓がバクバクするし、何より失敗するのが怖くて踏み出せない。


 それに。


「……」


 私のことをじっと見つめて来る視線を感じる。

 カラスをかわいらしくデフォルメ化したような謎の生物。

 私の恋愛できない一番の理由。

 私は荷物をカバンに突っ込んで、勢いよく誰もいない教室を飛び出た。


 夜の住宅街。

 人気のない路地裏で、排水溝から濁った黒煙が地面から噴き出す。その中から、歪んだ形の虚獣きょじゅうが現れる。赤黒く光る目、コンクリートのような肌、鉄のような鳴き声。

 私はポケットから小さなペンダントを取り出した。


「変身」


 その一言で制服は光に包まれ、漆黒しっこくと白を基調きちょうにした戦闘服へと変わる。スカートのすそがふわりと揺れ、ブーツが地面を鳴らす。

 魔力を収束させ、右手に光の刃を呼び出す。もう何度も繰り返した動作。


 私は魔法少女というやつらしい。


 ある日突然やってきた謎の可愛らしいカラス、マルフィに出会って無言で変身アイテムであるペンダントを渡された。それから虚獣との厳しい戦いに身を置くことになった。


「来い……!」


 私の言葉に応えるように、虚獣が咆哮ほうこうを上げた。

 飛びかかってくる牙を避け、斬りつける。火花と悲鳴が混ざり合う。

 だけど敵は一体じゃなかった。背後からも気配が迫り来る

 肩を切り裂かれ、熱い痛みが走った。

 足元がふらつく。光の刃が一瞬だけ揺れる。


「だめ、こんなところで……」


 その時、不意に誰かが名前を呼んだ。


「ひなたっ‼」


 驚いて顔を向けると、そこには風真くんがいた。

 息を切らせ、校章のついた鞄を背負ったまま、彼は私の姿を見ていた。

 魔法少女の姿の私を。何も言わず、ただまっすぐに。

 まるでその瞬間だけくりぬかれたように、時が止まった感覚だった。


「逃げて!」


 そう叫んだときには、もう虚獣の爪が私に向かって振り下ろされていた。

 間に合わない、そう思った瞬間。


「っ……!」


 風真くんが走り出した。

 その体が、私の前に飛び込む。


「やめて‼」


 風真君が吹き飛ばされたその時、私は咄嗟に左手を伸ばした。魔力が脈打ち、光がほとばる。

 ドン、と音がして虚獣の巨体が弾かれる。そこに私は光の刃を突き立てた。

 虚獣は咆哮を上げながらその体が分解され、闇の中に消えていった。


 後には、静寂せいじゃくだけが残されていた。



 前に一度。風真くんには一度だけ、魔法少女の姿を見られてしまった。

 夜の公園で、ひとりで戦っていたとき。

 虚獣との戦いで勝利するも、ダメージを負った私は変身が解かれた。

 その時、偶然ぐうぜん居合わせた風真君に見られていたのだ。

 私はそのあと、どうすればいいか分からずとっさに逃げだしてしまった。

 そして今にいたる。


 私が回復魔法で治療をしている時、風真君が私の肩を見て言った。


「大丈夫か、そのケガ?」


 大ケガを負っているのは自分の方なのに。

 その声が普通すぎて、私の方が逆に泣きそうになった。


「なんで来たの?」

「変なカラスが飛んでいるのが見えてさ」

「そうじゃなくて、なんでこんな、危ないところに……」

「なんでって、そりゃほっとけないだろ。ひなたが危ない目に合っているかもしれないのに」


 そう強がるように笑う。

 彼の目尻がほんの少し下がって表情が柔らかくなる。

 私の胸の奥がじんわりあたたかくなる。

 今はっきりと分かった。私はこの人の事が好きなんだって。


「ごめんね。助けてくれてありがとう。でも、もうこれ以上私にかかわらないで」

「え……」


 治療を終えた私はそっと風真君を下に降ろして、夜の街に駆け出した。


「ひなた!」


 振り返らずにどこまでも走った。


 魔法少女に恋は似合わない。

 いつも危険と隣り合わせの自分が、誰かを好きになるなんてとてもおこがましいことだ。

 でも、心のどこかで願ってしまう。ほんの少しだけ、わがままを許してくれる世界があったなら。


 どうか彼と。



 大型高層ビルの屋上。

 真下では豆粒のようになった人々や車が行き来しているのが見える。

 電源を切ったスマホを片手に、膝を丸めてうずくまる。

 そこへバサバサとマルフィが滑空かっくうしてきて、ちょこんと隣に降り立った。

 彼なのか彼女なのか分からないが、私のことなど気にも留めないようにくちばしで自分の羽を整えている。


「ねえ、私はこれからどうすればいいと思う?」

「……」


 無言。出会ってから今まで何も話してくれていない。

 そもそもカラスと話などできるわけもないのだが、昔見たアニメの影響で話をできるものだと思い込んでいた。


「本当にこれからどうしよう……」


 勢いよく飛び出したはいいが、行く当てがない。

 正確な時間帯は分からないけど、たぶんもう深夜帯。

 きっと電源を切ったスマホには母親から鬼のような連絡が来ているだろう。

 明日の学校どうしようとかお風呂はどうしようとかスマホが使えなくて暇だとか、余計なことばかり考えてしまう。


 せめてこの子が話し相手になってくれればいいのだが。

 きれいに羽を整えているその頭を、そっとでてみる。

 が、マルフィは唐突とうとつに翼を広げ、私の手を弾いた。

 全くかわいくない……。


 その時、プツリとブレイカーが落とされたように街中の電気が消えた。

 街路灯も信号機も街頭テレビも、全てが黒に染まり街は暗闇に閉ざされる。

 人々はスマートフォンを空に掲げて光を灯す。

 深い闇の中でそれらは蛍のようにさまよい輝いていた。帳

 漆黒のとばりが落ちた時、ひたりひたりと何者かが迫る音だけが響く。

 マルフィが翼をはためかせて、夜空へ飛び立つ。


「……ア……ア……ア……」


 ゾッとするような不気味なうなり声に、空気がひんやりとこおりつく。

 虚獣。さっき街で倒したはずの個体とは違う。

 もっと大きく、腕はビルの壁を貫けそうなほど太く、目は赤い火のようにギラついている。


「行かなきゃ……!」


 私はスマートフォンをポケットに突っ込んで、ビルの屋上から身を落とした。

 体中に吹き付ける突風を感じながら、胸のペンダントに願いを込める。

 どうか私のもとに彼が来ませんように、と。


「変身!」


 その一言で制服が光に包まれ、漆黒と白を基調にした戦闘服へと変わる。

 そしてそのまま地面に向かって、私は落ちる。どこまでもどこまでも落ちてゆく。


 私は夜闇に落ちてゆく。


 地上に降り立つ。目の前には人々に襲い掛かる虚獣の陰。

 魔力の刃を振りかざして、私は虚獣へと突っ込んだ。


「はああああっ!」


 一閃。虚獣の肩に切り込みが入る。

  けれどそれは、致命傷ちめいしょうにはならなかった。


「ヒナタ……オマエ……ニンゲン……ジャナイ……」


 低く響く声。それは音ではなく、頭の中に直接流れ込んでくるような不快な思念。

 そして周囲の空間が歪んだ。


「っ!」


 視界が黒く染まり足元が崩れていくような感覚。

 次の瞬間、私は暗闇の中にいた。


「ここは……?」


 周囲の空間はゆがみ、足元はきりのようにぼやけ、空も地面も分からない。

 そしてどこからともなく声が聞こえてきた。


『魔法少女に恋なんて、無理だよ』

『どうせ見捨てられる。お前は異常だから』

『お前を好きになる人なんているはずない』


 頭の中に直接響く、誰かの声。

 いや、これは……私の声?

 この言葉の全部、今まで私が思ってきたことだ。


「やめて……やめてよ……!」


 膝を抱えるように座り込む。

 闇の中、無数の虚獣の目が、こちらを見ている。

 責めるでもなく、ただ当然のことを言っているかのように。


『魔法少女は孤独でいい。そうだったでしょ?』

『誰も頼らない方が楽だよ』


「そんなの……」


 私はうつむいたまま、言葉を絞り出す。


「そんなの、嫌だよ……!」


 しかし叫ぶ声は霧の中に吸い込まれ、消えていく。

 私の意志が、力が、思いが、消えて無くなっていく。

 もう諦めかけた、その時だった。


「ひなた!!」


 どこか遠くで、声が聞こえた。


「……風真くん?」


 闇に光が差した。

 その中心に、風真くんがいた。


「どこにいるんだ⁉ ひなた、戻ってこい‼」


 彼の声が、霧の中に届く。

 私は立ち上がろうとする。けれど足が動かない。


『やめておけ。お前も彼も、傷つくだけだ』

『大切にされる価値なんて、お前にはない』


 そんな声が、また耳元でささやく。

 でも。


「違う‼」


 私は叫んだ。


「私が魔法少女でも、弱くても、泣き虫でも……私を見てくれる人がいるなら!」


 その瞬間、足元から光が走る。

 霧が弾け、虚獣の目が一斉に砕けていく。



 現実に戻ったとき、私は風真くんに抱きしめられていた。


「……!」


 虚獣の精神攻撃の中心にいた私は、膝をついていた。

 風真くんは息を切らしながら、私の体を支えてくれていた。


「戻ってこいって言ったろ」

「どうして来たの?」

「だってひなたが泣きそうな顔してたから、行かなきゃって思ったんだよ。」


 その声に、胸がきゅっと痛んだ。

 風真くんが見ていたのは、強い私でも、戦う私でもなく。

 ただ泣きそうなだけの、弱い私だった。

 涙があふれそうになったけれど、私はそれをこらえて立ち上がった。


「……もう大丈夫」


 風真くんの手を離し、魔力を込める。


「今度こそ、終わらせる」


 その刃に込めたのは恋心と、孤独と、誰かに手を伸ばしたいという願い。

 そして、虚獣に向かって私は最後の一撃を放った。


「ア……ア、ア……」


 虚獣の身体が光の粒になって崩れていく。

 夜の屋上に、ようやく静寂が戻ってきた。


 私は、肩で息をしながらその場にしゃがみ込んだ。


「……終わった、のかな」


 手にしていた魔力の刃も消えていく。変身もふっと解け、制服姿に戻る。


 風真くんは、私の隣にしゃがんでいた。

 傷だらけの手で、そっと私の髪を撫でる。


「はぁ。ひなたはずっとこんな目に合ってたんだな」

「風真君のバカ。何でここに来たの?」

「怖かったけど、でもそれ以上に……ひなたが消えちゃいそうで怖かった」


 その言葉に、胸がつまる。


「ごめん。私、逃げたの。風真くんに見られて全部が壊れる気がして」


 声が震える。心臓がはねる。

 けど、もう隠したくなかった。


「私、風真君が好き」

「……⁉」


 風真君の目が驚いたように見開かれた。

 私は、私の言葉を紡いだ。


「恋をしても意味ないって思ってた。私は魔法少女で、誰かと普通に付き合ったりできないし、好きって気持ちが誰かを危険にさらすかもしれないから……」

「それでも、俺もひなたのことが好きだよ」


 風真くんはまっすぐにそう言った。


「ひなたが戦ってる姿も、笑ってるときも、逃げたくなったときも、その全部を含めて俺は君のことが好きなんだ」

「いいの? 私、本当に、普通じゃないのに……」

「じゃあ、普通じゃない君を、好きになった俺も普通じゃないってことで、ちょうどいいだろ?」


 風真くんは笑った。

 その笑顔にどうしようもなく心が揺れた。


「……ずるいよ、そういうの」


 私はそう言って肩を預けた。

 彼の体温がじんわり伝わってくる。


「ねえ……もし。もしも明日また戦いがあって、私が傷ついたら……。それでもそばにいてくれる?」

「当たり前だろ。何度だって迎えにいくよ。絶対」


 彼の声は、まるで魔法みたいに優しかった。

 そして私は、そっと目を閉じた。


 冷たい風が吹く街の夜空、私たちを祝福するようにカラスが旋回している。

 もう孤独じゃない。もう私は独りぼっちじゃないと、そう思えた夜だった。

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