白衣を着たカエル

第8話

 そろそろ夜中の十二時を回ろうという頃。

 カウンター前のスツールに並んで座った魔女たちは皆、銀狐の守さんを捕獲しようと一生懸命である。

「私のイメージでカクテルを作って」

 口々に魔法の呪文を唱える。イメージも何も皆んな魔女なんだから、どうしようもないと思うが、守さんは律義に一人ひとり違うベースに色の違うジュースを混ぜてシェイカーを振る。注いだグラスには、目玉やお化けや蝙蝠の形をしたゼリーを沈め、黑地に赤い血が付いたデザインのコースターを添えて差し出す。その度に歓声が上がった。

 テーブル席にひしめいたゾンビたちが、露出多めの魔女たちに熱い視線を送っているのを尻目に、奥のテーブルではドラキュラの衣装を着こんだ銀二さんが、スツールから溢れた魔女たちに囲まれて御満悦である。

「ほら、グニャグニャや~」

 マドラーの端を親指と人差指で緩く挟んで揺らすと、グニャグニャに曲がって見える。子供だましの手品だが、魔女たちは拍手喝采である。次に銀二さんは、トイザらスで買って来たリングを繋いだり離したりする。あのタネは柚彦も知らない。後で教えてもらおうと思っていた時、守さんに呼ばれた。

「ハートパイ、出来たよ」

 そう言って渡されたのは、指の形のポテトフライを添えた血まみれの心臓。ミートパイにケチャップとビーツを混ぜたソースをかけた一品だが、なかなかにリアルで気持ちが悪い。テーブルの真ん中に置いたとき、ゾンビたちが少々引いたのを感じた。

「銀二さん、凄~い」

 奥のテーブルで、また歓声が上がる。

「何で爺さんがモテる訳?」

 ゾンビの一人がボソッと呟いた。

「フルーツ盛り合わせください」

 ゴスロリ風の衣装に身を包んだ若い女性が、手を上げてオーダーを掛ける。紅い蝙蝠に見える林檎がメインのフルーツ盛り合わせは結構人気で、さっきから何度か注文が入っている。守さんが朝から大量に作って冷蔵庫にストックしてあったのだが、もうすぐ在庫が無くなりそうだ。

 ちなみに銀二さんが女の子たちに人気があるのは、下ネタを言わないからだ。

──よそのお嬢さんに、そんなこと言えるかいな。

 というのが銀二さんの言い分である。ちなみに以前、女性の名前らしきものを口にした銀二さんに、誰なのかと尋ねたことがある。その時、銀二さんは何故か言葉を濁して、さっさと話を逸らしてしまった。後で守さんが「銀二さんの一人娘だよ」とだけ教えてくれた。話したくない事情があるのだろう。とにかく、娘さんと重なってセクハラなんて出来ないという事だ。で、ギラギラした若い男の視線を鬱陶しいと思う魔女達は、銀二さんのテーブルに集まって来る。

 言い忘れたが、今日はハロウィンである。今更だけれど。

 ハロウィーンとは日本に当てはめると、お盆みたいなものらしい。だがヨーロッパでは、死者の魂とともに悪霊も一緒にやってくる。だから悪霊に人間だと気づかれないように仮面を着けて身を守ったのが、ハロウィンの仮装の起源なのだそうだ。

──わたし、黒猫の仮装をしちゃおうかな。

 沙羅ちゃんの言葉が思い出される。あの雨の日が無かったら、今頃は二人で別の生き物に変身して、夜道をそぞろ歩いていた筈なのに。

 銀二さんに、柚彦は可愛い系が似合うと言われて、今着ている服はパンプキンだが、少々子供じみている気がしないでもない。デートするなら他の仮装が良いと思った。ゾンビは少々毒々しいが、守さんが着ている銀狐の衣装はなかなか決まっている。ふさふさの尻尾が可愛らしいと、魔女たちにも受けがいい。

 やはり動物がいいかな。キツネ、イヌ、クマ、カエル──蛙化現象。

「ああ~!」

「柚彦くん、どうした?」

 頭を抱えてしゃがみ込んだ柚彦に、守さんが驚いて声を掛けた。

「どないしたんや」

 銀二さんも心配して声を掛けてくれたけれど、気付いてしまったことのショックが大きすぎて言葉にしたくない。


『僕は何にしよう?』

 黒猫と並んで似合うのは何だろう。そんなことを考えながら投げた問いに、彼女は答えなかった。黙ったまま長いこと僕を眺めていた。やがて、艶のあるピンクの唇から、ふっと小さく息が漏れる。

『……白衣、かな?』

 白衣は仮装じゃないだろう、真面目に考えてよ。そう言って笑った柚彦に、『そうね』と答えた彼女は、結局は何もアイデアを出してはくれなかった。

──白衣姿が、格好良かったから。

 そうか。そういう事か。白衣を脱いだ僕はただの人。格好良かったのは中身ではなく白衣の方だった。彼女と過ごした時間が思い起こされる。地味な……中学生でも、もう少し気が利いているだろうと思う安上がりなデート。情けないという文字が脳内を埋め尽くす。納得すると共に、人としての尊厳が失われていくような気さえした。ハロウィーンの悪霊のせいだ。白衣を脱いだ柚彦は、早めに日本に来ていた地味な悪霊に取り憑かれてしまったに違いない。そうでも思わないと、やってられない。

「もう上がり。普段と違うから疲れたんやろ。帰って早よ寝え」

 銀二さんが言ってくれる。

「じゃあ、そろそろ看板を片付けてきます」

 柚彦は、そう言って入口の扉を開けて外に出た。冷たい風が頭を冷やし、少しだけ冷静さが戻ったような気がした。扉を閉めるとの内側の喧騒が消え、一瞬の間を置いて道路の賑やかさが降りてくる。まだまだ祭りは続いているのだ。柚彦は階段を上がりながら、湿り気を含んだ冷たい空気で肺を満たした。

 銀二さんにまで心配させてしまった。悪霊め。帰ったら塩撒いてやる。

 その時、足元に何かが落ちているのに気付いた。しゃがんで見てみると、縫いぐるみのようだ。頭にカラビナが付いた、二十センチほどの布製のカエルのマスコット。誰かに踏まれたのか胸の真ん中から綿がはみ出しているが、妙に丁寧な手作り感に、柚彦はそれを手に取った。よく見ると、薄汚れてはいるが白衣を着ている。眼は顔の上の方についているが、鼻のあたりに眼鏡を掛けているような刺繍があった。いったん手摺の下に置き、看板を片づけてから再び手に取って店内に入る。明るいところで見ると本当に汚かったが、何故か捨てる気にならず、柚彦はレジ横の椅子をお客さんから見えない場所に異動させ、それを座らせた。ボロボロに傷ついたカエルが、自分のように思えて仕方がなかった。

 店内は変わらず、ゾンビや魔女たちの楽しそうな笑い声で満ちていた。

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