第23話 創立記念祭の幕開け

 創立記念祭の朝は、澄み切った青空と共に訪れた。

 学園中が特別な日の高揚感に包まれている。窓の外から聞こえてくる楽しげな喧騒と、どこかの部活が演奏しているのだろう軽快な音楽。その全てが、私の心を浮き立たせた。


「レノーア、準備できたわ! どうかしら?」


 私は鏡の前でくるりと一回転してみせる。いつもの味気ない制服ではなく、少しだけフリルの多い柔らかな生地のブラウスに、お気に入りのリボンを結んでみた。

 我ながら、最高に可愛い。


「とてもお似合いです、お嬢様。本日の輝かしい一日の主役にふさわしいお姿かと」

「うふふ、ありがとう! さあ行きましょう、私たちの学園祭へ!」


 二人で談話室へ向かうと、気難しげな顔で腕を組むヴェロニカが待っていた。


「おはようヴェロニカ。あなたも、なんだか楽しそうね?」

「別に。私は学術的見地から、生徒たちの研究発表を見に来ただけですから」


 そう言ってそっぽを向く彼女の髪にも、普段はつけていない小さな銀細工の髪飾りがきらりと光っていた。かわいいやつめ。


 一歩校舎の外へ踏み出すと、そこはもう別世界だった。

 色とりどりの旗や絵が描かれたガーランドが風にはためき、生徒たちが運営する屋台が、ずらりと軒を連ねている。

 甘く香ばしい匂い。弾けるような笑い声に客を呼び込む元気な声。

 その活気に満ちたエネルギーの渦に、私は思わず目を輝かせた。


「さあ、どこから行こうかしら──んっ?」


 私の視線は、ひときわ不思議な屋台に釘付けになった。大きな水槽のようなものの中に、ぷるぷるとした半透明の物体がいくつも浮かんでいる。

 その一つ一つが、内側から虹色にぼんやりと光を放っていた。


「な、なにあれ……。綺麗だけど、生きているのかしら」

「『特製! 虹色スライムゼリー』とありますね。どうやら、食用スライムをゼリーにしたもののようです。お嬢様、ここはやめておきましょう」

「え? スライムを……食べる!?」


 衝撃的な響きに、私は思わず声を上げる。私の隣で、レノーアが完璧な笑顔を保ったまま、こめかみを微かにひきつらせているのが見えた。


「お嬢様、いけません。あのようなおぞましい不定形生物を食すなど、公爵令嬢として……いえ、人としての尊厳に関わります」

「そこまで言う……? でも、逆に気になってきたわ。ヴェロニカはどう思う? あれ、いけるかしら?」


 私が尋ねると、ヴェロニカは眼鏡の奥の目を細め、専門家のように分析を始めた。


「ふむ……あの光の屈折率と粘性から判断するに、知性を持たない下級スライムですね。細胞構造も単純なコロイド状でしょう。論理的には、可食です。それより、あの生物発光のメカニズムの方がよほど興味深いですが」

「なんですって! じゃあ、食べても大丈夫なのね!」

「ですから、論理的には、と……」


 躊躇する二人を後に、私は意気揚々と三つ注文した。渡されたカップの中で、虹色のゼリーが、ふるふると頼りなげに揺れている。


 *


 一通り見て回り、少し疲れた私たちは、中庭の噴水の縁に腰を下ろして一休みすることにした。

 私はスライムゼリーをスプーンですくって、おそるおそる口に運ぶ。ひんやりとして、ほんのり甘い。不思議な食感だった。


「あら。意外と美味しいじゃない、これ!」

「……お嬢様がご満足なら、何よりでございます」

「リゼロッテ様、口の端にゼリーがついていますよ」


 ヴェロニカに指摘され、慌てて口を拭う。そんな私を見て、レノーアとヴェロニカが、同時に小さく笑った気がした。

 賑やかな喧騒を遠くに聞きながら、ふと隣に座る二人を見た。


「数週間前まで、ヴェロニカとはろくに口も利かなかったし、レノーアは……その、完璧すぎて、実はちょっと怖かったの。こうして三人で、スライムを食べながらお祭りを見て回るなんて、想像もできなかったわ」


 私の言葉に、ヴェロニカはふい、と顔を背けた。


「……別に。貴女が面白いから、一緒にいるだけです」

「ふふ。素直じゃないんだから」


 本当に楽しい。呪いのことなんて、つかの間、忘れてしまうくらいに。

 この時間が、ずっと続けばいいのに。私は笑いながら、ちらりとレノーアに視線を送る。彼女はただ、穏やかに微笑んでいた。その笑顔が、なぜか少しだけ、陽光の下で見るには寂しげに見えたのは、きっと気のせいだろう。


「そういえば、夜はダンスパーティだったわね」


 私がそう言うと、会話の重心が自然と夜のメインイベントへと移る。


「お兄様はちゃんと来てくれるかしら……。手紙には、ああ書いてあったけど、急な公務が入るかもしれないし。三兄弟の中で一番多忙なのよ」

「大丈夫ですよ、お嬢様。フェリクス様は、お嬢様との約束を違えるような方ではございません」


 レノーアの穏やかで確信に満ちた声に、私は「ええ、そうね!」と力強く頷いた。


 太陽が西の空へと傾き、学園全体が美しい茜色に染まり始める。

 あちこで夜のパーティのための魔法のランプが、星のように灯り始めた。


「さあ、そろそろ戻りましょうか。今夜のメインは、ダンスパーティよ!」


 私は立ち上がり、二人に向かって手を差し伸べる。

 楽しかった一日の余韻と、これから始まる特別な夜への期待。私の胸は、風船のように膨らんで、今にも空に浮かんでしまいそうな幸福感で満ちていた。

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