第3話

第3話『試用評価と現場のルール』


午前八時、東都迷宮開発株式会社・新宿第二支社。

その三階、探索部門専用フロアには、どこか軍用施設を思わせる無骨な空気が漂っていた。


壁面には進行中の探索状況を示すモニターが複数並び、各部のステータスや帰還報告が淡々と更新されていく。

天井の配管はむき出しのまま、それでも整然と整理され、空調も常に適温を保っている。


この支社の探索部門は、大きく三つの部署に分かれていた。

• 探索一課:都市圏浅層ダンジョンのルーチン探索とマッピングを主とする

• 探索二課:深層ダンジョンを対象とした対高難度任務のプロフェッショナル部門

• 支援情報課:探索データの管理・演算・スキル適性の分析を担うバックエンド技術部門


新人である三崎一郎は、探索一課に仮配属されて三日目だった。


端末を起動し、初任務のリザルト画面を開くと、静かに文章が表示された。


【探索業務リザルト】

評価:A(初回任務として極めて良好)

適応スコア:高水準(要経過観察)

探索者コード:MIT-0458(試用段階)

備考:反応速度・空間認識・精神集中に優位な反応傾向あり


「……なるほど、“優秀な素人”って感じか」


苦笑しながら読み上げたその声に、すぐ背後から別の声がかぶさる。


「その“素人”が一番事故るのよ」


振り向くと、探索一課課長・川崎優香が立っていた。

黒のパンツスタイルに、機動性を重視したジャケット。足元はトレッキングシューズ。

首に下げた防塵ゴーグルが、いま戻ったばかりの現場人間であることを示している。


「そりゃあね。『何かしら鍛えてるな』ってとこまではすぐわかる。履歴書には元自衛官って書いていたのは覚えてるけど?」


三崎は、少し肩をすくめて笑った。


「ええ、広報をやっていましたが、基本訓練のおかげである程度は動ける程度ですよ。なんなら、むしろ書類仕事の方が得意です」


「へえ……それにしてはナイフの握りが“こっち側”だったわよ?」


「たまたまですよ、クセみたいなもんです」


とぼけるように言いながらも、三崎は彼女の視線が完全に“試す”目になっていることに気づいていた。


川崎は一歩近づき、端末の画面を覗き込む。


「A評価か……悪くない。運も味方したかもしれないけど、観察眼はあった。

あんたの次の任務、上が慎重に見てるから気を抜かないで」


「承知しました」


「それと、これを読んどきなさい」


そう言って、川崎が差し出したのは厚めの紙冊子だった。

表紙に手書きでこう書かれている:


『迷宮現場回想録(通称:迷ノ)』

――生き延びた探索者たちが“あと一歩で死んだ瞬間”に記した知見


「非公式資料、ですね」


「ええ。うちの支援情報課でも使ってるけど、データには残せない“直感の知識”ってやつよ。

アンタ、数字だけじゃ生き残れないわよ?」


三崎は頷き、無言で冊子を開いた。


【CHIPS】

Existential Particle(エグジステンシャル・パーティクル)と人体適応の関係


探索者がダンジョン内で害獣(クリーチャー)を駆除した際に、周囲に微細な未知の粒子が発生することが確認されている。

この粒子は現代科学で未定義の性質を持ち、「Existential Particle(通称:exp)」と仮称されている。


expは、空間内において“存在密度の低い対象”へ自然に拡散・吸収される傾向を持つ。

そのため、ダンジョンという極限環境下では、最も“薄い存在”=未適応の人間が吸収対象となることが多い。


吸収されたexpは、以下のような効果を人体にもたらすとされる:

• 反射速度の上昇

• 五感の鋭敏化

• 持久力と筋出力の向上

• 空間認識力・認知処理の高速化

• 精神的な耐性強化


特に若年層は、神経系の可塑性が高く、expの適応効率が良いとされることから、

多くの迷宮企業は若手人材のスカウトと訓練を重視している。


一方で、急激な吸収は「迷宮酔い」や精神異常、運動錯乱などの副作用を招くため、

個人差に応じた長期的な適応プランが重要視されている。


探索者とは、適応者である。

だがその変化は、進化ではなく、“存在の再構成”であるかもしれない──





「――さて。今日は“そっちの現場”に同行してもらうわ」


「現場?」


「第二階層、商業系旧区画。地盤が甘いけど、データ更新には問題ない程度。新人向きよ」


川崎がタブレット端末を操作すると、立体マップがホログラムで投影された。

赤と青のラインが交錯し、立入許可エリア、保留地帯、調査済みルートなどが細かく色分けされている。


「一時間後に出発。装備は軽装セット。防塵マスクと近接用ナイフ、それと旧式ボディカム。あと、通信リンクとしてサポートユニット一機」


「了解しました。……あの、俺一人ですか?」


「いいえ、私も同行するわ。それに支援情報課から一人。サエキって子。

現場にデータ中継器を設置するのがメイン目的だから、作業はそっちが中心。あんたは様子見兼ねての随伴」


三崎は軽く顎を引いて頷いた。

この規模の任務に課長直々の同行――その真意はすぐに察せられた。


「俺の動きを、見極める……といったところでしょうか」


「まあね。履歴書には“元自衛官(広報担当)”って書いてたけど、

初動反応が、どうにも“机仕事上がり”のものには見えなかったから」


川崎は視線を外さず、わずかに口角を上げた。


「あなたの反応速度、認知処理、空間対応力――全部、平均を大きく逸脱してる。

現場で出る動きが“演技”か“経験”か、それを確かめたいのよ」


「試される側としては、緊張しますね」


三崎は苦笑した。


川崎は操作を終えると、探索許可のトークンデータを端末から三崎のIDに転送した。


「一時間後、Cブロック下層集合。スーツのままで構わないけど、プロテクターは忘れずに」


「了解」


ロッカーを開き、専用のハーネス付き軽装防具を取り出す。

都市ダンジョン探索向けに設計されたこのギアは、動きやすさと保護性能を両立しており、

素人目には“少しごついスーツ”程度にしか見えない。


装備を整える動作の中、三崎はふと、自身の記憶を呼び戻していた。


――初任務のあの日。

迷宮に足を踏み入れた瞬間から、全身の感覚が鋭くなった。


視界が広がり、音が澄み、距離や動線が自動的に脳内にマッピングされていくような感覚。

それは、訓練でも任務でも味わったことのない“異常な順応”だった。


(あのときの感覚……やはり気のせいじゃない)


彼の中で、現実感と非現実の境界が、静かに軋んでいた。



第二階層、旧商業区画。

廃墟と化した地下モールは、静けさと不穏な空気に満ちていた。天井は崩れかけ、壁の一部には迷宮特有の“再構築”の痕跡が見られる。朽ちた建材に混じり、見慣れぬ素材が編み込まれ、歪な補強が施されていた。


「ここが“浅層の第二商業帯”。本当に、元はショッピング施設だったんですね」


「十年前に閉鎖された地下開発区域よ。迷宮化して八年……今じゃ安全区画扱いだけど、“構造更新”は起きるわ」


川崎が壁沿いのルートを確認しながら答える。

その時だった。三崎が一歩だけ足を止める。


「……音がしました。壁の向こう、奥の配管あたり。細かい摩擦音と金属の擦れ……“何か”が動いています」


すぐに川崎が足を止め、三崎に視線を送った。


「確認できる?」


「やってみます」


三崎は深く息を吸い、口の中で低く呟いた。


「……《計数解析》」


次の瞬間、彼の視界に、波のような数値のうねりが浮かび上がる。

空間内の熱源、振動、圧力差。それらが微細な波形として脳内に伝達される。


(伝達された情報から生体反応に関わるデータを抽出しビジュアル表示…、今後もよく使うだろうからこの組み合わせをテンプレート化してスキル内に組み込む…、短縮名は《探知(サーチ)》。)


「……生体反応、三つ。移動速度は緩慢。金属反応あり……おそらく、クロームラット。電源系に集まるタイプです」


「感度、高いわね。……下がってて」


川崎はナイフを抜き、すばやく壁沿いに移動した。

静かに息を潜め、わずかな音を聞き分けながら、死角を潰すように立ち位置を変える。


――次の瞬間、金属音とともに、一匹のラットが壁の隙間から飛び出した。


だが、その動きが見えた瞬間には、川崎のナイフが正確に急所をとらえていた。

続く二体目、三体目も、迷いのない軌道で仕留められる。


戦闘が終わると同時に、彼女はスキャナを取り出し、死体の上にかざした。


「濃度、0.06ppm。……この浅さにしては高めね。あなたのスキルにも少し影響が出るかも」


「exp……ですね」


三崎の声に、川崎は小さく頷く。


「そう。目に見えないけど、身体は“変わる”。少しずつ、確実にね」


「その“変化”って、良いことなんでしょうか」


問いかけた三崎に、川崎は返答をしばらく止めてから、ぽつりと答えた。


「……一概には言えないわ。得るものと、失うもの。どちらが大きいかは、人による」


再び静寂が戻った通路を、ふたりはゆっくりと歩き出す。

何かを知っている者の足取りと、何かを知ろうとする者の歩幅が、わずかにずれていた。

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