第4話
第4話「スコアと立場」
朝、探索一課の事務所は、探索に出る前の探索職員たちでいつもどおり騒がしい。
探索後の報告書を提出する者、新規依頼の割り当てに文句を言う者、機材トラブルで騒ぐ者――雑多な音が生きている証のように交差していた。
そんな中、三崎は自席の端末に目を落とし、静かに画面をスクロールしていた。
そこには自分の名前が記された<スコア報告書>が映し出されている。
――――――――――――――――
【個別行動評価レポート】
氏名:三崎一郎(ID#71304)
役職:探索一課/見習い探索者
評価対象任務:探索者初期適応テスト(第二階層:浅層ルート)
・反応速度:A-
・空間認識:A
・状況適応:B+
・支援連携:B
・精神安定度:A
・危険回避行動:A
・スキル使用精度:B+
総合スコア:<A->(初回基準値を大幅に上回る)
備考:非戦闘型としては極めて安定した初動。今後の高負荷任務への適応能力を観察。
――――――――――――――――
画面を閉じると、周囲の視線が刺さるように集まってきているのを感じた。
その中の一つが、斜向かいのデスクから声をかけてくる。
「おい三崎。お前、なんか変なことしたのか?」
「いえ、特には……報告書が出ただけです」
「“だけ”ってレベルじゃねーよ。新人でAマイナス? うちの課の平均がB+なの、知ってるよな?」
軽口の裏には、焦りと驚きがにじんでいた。
三崎はただ苦笑し、コーヒーの紙カップに口をつけた。
別の声が小さくささやく。
「……あいつ、特務の候補って話もあるらしい」
「課長が特に何も言ってないってことは、逆に“見てる”ってことじゃねぇの?」
断片的な会話が、背中越しに聞こえてくる。
嫌悪でも賞賛でもない。ただ、<警戒>――
この業界では、新人が目立つことは、すなわち“棘”になる。
「まあ、いいんじゃない。本人はマジメそうだし。変に出しゃばらなきゃ、誰も困らんよ」
その声だけが、少しだけ優しかった。
一方、廊下の先――探索一課の課長室。
川崎優香はタブレットを片手に、じっと画面を見つめていた。
三崎のレポート。定量評価だけでなく、自身が提出した定性評価文も確認する。
『極めて冷静。環境把握能力が高く、状況変化への耐性あり。
指示待ち傾向がやや強いが、分析と実行のバランスは安定。
戦闘には参加していないが、スキル使用による支援判断は即時性・精度ともに良好。
特筆すべきは、自己の能力を過信せず、適切な距離感を保てる点。
今後、支援型任務での訓練を優先し、判断力を洗練すべき。』
(……器用すぎるのよね。見てるだけで、地味に評価を持っていく)
川崎はタブレットを閉じ、椅子の背に体を預けた。
つい先日、“彼”が初めて迷宮に降りたとは信じがたいほどの安定感。
それが本物か、偶然か――確認する機会は、すぐ来る。
デスクの端に、割り当て予定の小規模依頼リストが置かれていた。
(まずは……軽い調査任務か。支援班との連携テストも兼ねて)
そう呟いて、川崎は手帳を開いた。
⸻
【CHIPS:ダンジョンの構造とアクセスとは】
現代に存在する迷宮(ダンジョン)は、各都市に点在する“局所的異空間”である。
それらは地上の特定座標と接続しており、突如、地上へと現れる。
地上へ現界したゲートは即座に周辺が封鎖され、アクセス管理施設により囲われる事となる。
ダンジョンへの合法的な入場方法としては、現地の管理施設の受付端末にて、探索者資格を持つものがID認証し入場する他、
アクセス管理施設の「管理接続ゲート」を通して入場する方法がある。
「管理接続ゲート」をはダンジョンゲートの仕組みを解析した技術から生み出された施設で、
ダンジョンゲートを、別の座標に存在するゲートに中継する機能を持つ。
迷宮株式会社・東京第二区支社では、本社ビル地下にゲートアクセス施設が存在し、
このゲートを通じてダンジョン側のアクセス施設に接続し入場する。
施設内には探索者専用の検疫ゲート、装備点検ライン、搬送列車ホームが設置されており、
出発前には必ずID認証・生体チェック・任務確認が行われる。
ダンジョン内の物理法則は通常空間と同様に近く保たれているが、
気圧・磁場・エネルギー密度などに独自の変動が見られ、それが探索者の身体・感覚・精神に影響を及ぼすとされる。
また、ダンジョンの空間構造は「層(レイヤー)」によって分類され、
企業単位で管理が分割されているため、事務所に隣接する迷宮はその支社の管轄区画とされる。
<ダンジョンに入る>という行為はすなわち、
国の管理下にある“異空間の資源採掘場”に足を踏み入れることに等しく、
その一歩が、探索者としての活動開始を意味する。
⸻
午後の探索一課。ディスプレイに表示された依頼リストに、ひとつの任務が割り当てられた。
内容は第二階層にて発見された旧データ端末の回収。調査区画は安定域に分類され、依頼ランクはD。
探索対象は浅層、危険度も低い――いわゆる“新人向けの単独任務”だ。
(ついに来たか。初のソロ任務……とはいえ、支援班の通信もある。過信しなければ問題ない)
画面下部には、<オペレーター名:仁科あすか>とある。
支援班の新人らしく、通信補助と簡易ナビゲーションを担当するらしい。
そこへ、イヤーデバイス越しに元気な声が入った。
「三崎さん、はじめましてっ! 支援班の仁科です。今日の任務、わたしがサポートしますね!」
「探索一課の三崎です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「は、はいっ! あ、現地のマップですが、ちょっと前のデータなので、途中で新しい分岐とか出るかもです。
そのときはこっちからルートを再送しますね!」
(……若干、テンション高めだな。でも言葉はしっかりしてる。現場に慣れてる証拠か)
支援があるとはいえ、任務そのものは単独行動だ。
探索者として、はじめて自身の判断が全体を左右する局面が来る。
三崎は静かに装備ロッカーを開け、最低限の荷物を整える。
戦闘は前提にない。だが迷宮の中では、常に予測不能がつきまとう。
ヘッドマウントのセンサー、簡易スキャナ、携帯式の探知補助ツール――
確認作業を一つ一つ丁寧にこなしていく。
(焦る必要はない。これは“試験”じゃない。自分の適応力を試す機会だ)
ビジネススーツの胸ポケットに小型通信タグを収め、三崎は静かに一礼した。
扉の向こうにあるのは、地下迷宮。現代日本の皮をかぶった、異質の空間だ。
出発時刻まであと十五分。ホームには他の探索者の姿もちらほら見える。
誰も声はかけてこないが、その視線には無言の「観察」が含まれていた。
(これも“評価”の一部だな。……気にするな。今は任務に集中しろ)
「えっと、通信は今のところ安定してます。三崎さん、出発して大丈夫です」
仁科の声が再び届いた。少し緊張気味だが、こちらを気遣う柔らかさもある。
「了解。では、これより出発します」
列車がゆっくりと迷宮内へ滑り出す。
トンネルを抜けた先、薄暗くも安定した照明のある第二階層・通称<アーカイブブロック>が見えてきた。
(最小限の行動、最大限の警戒。まずは“無事に帰る”ことが最優先だ)
通信、支援、観察、判断――
一人で歩む探索の第一歩が、静かに始まろうとしていた。
⸻
第二階層・アーカイブブロック。
三崎は、足元を照らすヘッドライトの光だけを頼りに、朽ちた書架の列の間を進んでいた。
周囲の気温は一定しており、空気も乾いている。迷宮としては比較的<安定している>環境だ。
とはいえ、どこに何が潜んでいるかは分からない。
ダンジョンに<油断>という文字は存在しない。
(旧データ端末の回収地点は……区画J-22か。あと30メートル。道に異常はない)
「三崎さん、正面の通路で微弱な反応があります。小型の害獣かも。警戒してください」
仁科からの通信が届く。タイムラグはわずか。
それでも、現場での情報は一秒遅れるだけで命取りになる。
「了解。進行方向、慎重に進みます」
三崎は壁際に身を寄せ、小さく息を吸った。
「《計数解析》――展開」
その言葉と同時に、彼の視界に熱源と振動の数値が波となって立ち上がる。
まるで空間そのものが“脈動”するように、壁の向こう側に小さな反応が浮かび上がる。
(あれは……2体。動きは鈍い。警戒区域からは外れている。まだこちらには気づいていない)
反応を一つひとつ確かめながら、進行方向の安全性を素早く評価する。
彼はこの使用モードを、心の中で“探知”と呼んでいた。
「支援班、反応位置確認。回避ルートを取って目的地に向かう」
「了解です。すぐにマップ更新します!」
迷宮では、戦わないという選択が最も賢明な場合もある。
今の三崎にとって必要なのは、“無傷で戻る”という信頼の積み重ねだ。
目的の区画に到達した三崎は、書架の奥に埋もれていた旧型端末を発見する。
防護ケースに包まれたままのそれは、かすかに内部通電を保っていた。
(破損なし、データ保持率も高そうだな。回収完了。後は帰るだけ――)
その瞬間、背後で“カサリ”と音がした。
すぐさま反応波を確認する。《計数解析》の表示に、新たな熱源がひとつ浮かび上がった。
(動き出した……!? 先ほどの個体がこちらに気づいたか?)
三崎は静かに身を低くして、通路の端に移動する。
「支援班、反応一体を検知。進路上に接触リスクあり」
「避難ルートを再設定します!……あ、でもそれ、出口方面に近いです。
すみません、そっちのルートはすでに別班の封鎖区域で……」
(まずいな。ここは一時退避するか……)
そのとき、通信にもう一つのチャンネルが割り込んできた。
「三崎、そっちの通路、もう抜けた? だったらちょっと待ってて。今向かってる」
声の主は、探索一課課長――川崎優香だった。
(なんで課長が!? 今日は別任務のはずじゃ――)
しかし返事を返す間もなく、通路の向こうからスーツ姿の川崎が姿を現す。
その目線は敵性体にまっすぐ向けられ、すでに手はナイフの柄に添えられていた。
「……邪魔」
川崎はそう言うと、風のような速度で前に出た。
踏み込み、加速、刺突。
その動きは、人間の反射を超えていた。
<スキル発動――《刹那駆動(エッジドリフト)》>
0.8秒未満の動作補正が、彼女の動きを完璧な一撃へと変える。
害獣は音もなく沈んだ。気づいたときには、すでに決着がついていた。
「……対応終了。あんた、もうちょい早く連絡なさい」
「すみません、支援班との連携を優先していました」
川崎は肩をすくめながらも、目は細く笑っていた。
「まあ、初任務でここまで冷静にやれるなら上出来よ。
でも、“一人”じゃないこと、忘れないで」
三崎は小さく頷いた。
(ああ――これは、会社の仕事だ。チームの任務なんだ)
小さな成果が、一つずつ積み重なっていく。
迷宮という非日常の中で、それは確かな前進だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます