第2話
第2話「労災、出るんですか?」
翌朝、出社して最初に聞かされたのは、労災処理の手続きについてだった。
「昨日、Cチームの新人が“階層不安定”に巻き込まれてね。幸い命には別状ないけど、両脚骨折。リザルト提出は代理申請。三崎くんも覚えておいて」
「はい、報告代行の申請様式ですね。記憶してます。確か、申請期限は七十二時間以内、証明動画と診断書、あと所属上長の署名……」
「そう。あと“部位証明”が必要よ。モンスター由来なら、その素材を、
空間起因なら、その座標のログを。要するに“本当に迷宮内でやられた”証拠」
軽く言っているが、内容は重い。
この会社における“労災”は、紙の処理だけで済むものではない。
「……死亡時も、やっぱり証明が必要なんですか?」
「もちろん。死体が回収できなければ、支払いは“失踪扱い”になる。
だから部内では、誰かが倒れたら“まず証拠”。助けるより、カメラ回せって文化なのよ」
その発言に、誰も笑わない。
ここでは、それが“真面目なルール”だからだ。
⸻
午前中は、初任務の報告書の作成に費やされた。
使用装備のログ、スキルの起動記録、採取物の計量結果──
探索者という職種の本質は、“命懸けで素材を拾い、正確に報告すること”に尽きる。
「書類仕事、多いんですね」
「探索と内勤、五:五ってとこかな。週五出社でダンジョンに潜るのは、多くて三回。
残りは素材処理、報告書、動画編集、そして社内会議。……探索職って、意外と会社員でしょ?」
課長がコーヒーを啜りながら言った。
たしかにこの空気は、かつて俺がいた普通のオフィスともそう遠くない。
ただし──死体と証拠品を扱ってるだけで。
⸻
昼休み。社食の迷宮探索者向けメニューに、俺は目を止めた。
【本日の高疲労対応ランチ】
・高エネルギープレート(800kcal)
・スタミナ強化粥
・マナ残滓再構成スープ(注意:微量反応あり)
「……これは、食っていいんですか?」
「慣れるまでは“ノンマナメニュー”にしときな。マナ耐性がない新人は、変に頭が痺れるから」
「承知しました」
選んだのは、低刺激の“エネルギー定食”。
意外にも味はまともで、汁物にはだしの風味すら感じる。
一年前の俺が、こんな職場のランチを食べてるなんて想像もしてなかった。
⸻
午後、探索一課のオープンスペースで、俺は“とある人物”と引き合わされた。
「紹介するわ、三崎くん。彼女は橘まどか。Cチームのサブリーダー。
次の浅層調査で一緒になる予定」
「三崎一郎です。昨日、初探索に同行しました」
「はい、報告読ませてもらいました。……支援スキルで誘爆防止って、初日とは思えないですね」
年齢は二十代後半。黒髪ショートで目付きが鋭く、装備は近接重視。
名札の下には【功労点ランク:A】のシールが貼られていた。
──この人も、“生き延びてる側”だ。
「明日、軽い採掘と資材搬出任務があるんです。
初顔合わせも兼ねて、よければ一緒に出ましょう」
「了解しました。任務内容と迷宮区画は、事前に共有されますか?」
「夕方に資料送ります。データ読んでおいてください。
……課長が言ってた通り、あなた本当に“会社員”なんですね」
少し笑って、橘は去っていった。
⸻
翌朝、集合は七時四十五分。探索者にとっては“遅め”のスタートらしい。
レムダイン社の第六搬出用車両、通称「ガメラ号」の後部座席に乗り込んだのは、俺を含めて三名。
社屋地下のアクセス管理ゲートの使用予定が埋まっている場合は、ダンジョンゲートまで直接赴き入場となる。
運転席にいたのは、倉本宗一郎(くらもと・そういちろう)。
五十代手前、口数少なめ、背中の大きな男。今回の迷宮エリアの資材担当らしい。
隣に座るのは、昨日顔を合わせた橘まどか。
小柄だが、装備は重装寄り。大腿部に固定されたカーボン製スコップが目を引く。
「初仕事、緊張してる?」
「多少は。でも、事前に区画構成と既存の掘削履歴は確認済みです。
三番坑道は数日前に雨水の流入が記録されてます。排水ルート、事前にチェックを」
「……へぇ、ちゃんと調べてるんだ。いいね、そういうの」
橘はほんの少し、口元を緩めた。
「三崎くん、座学の成績、良かったんだってね。
でも、現場は“予習した上で裏切られる”から楽しいんだよ」
「楽しめる余裕が出るよう努力します」
「その返しも優等生。……いいね、嫌いじゃない」
そのやり取りを、倉本が無言で見ている。
口は動かないが、観察している気配は強い。
──この人も、きっと“現場で生き延びてる側”だ。
⸻
車は20分ほど走り、ゲート管理施設の駐車場で停車した。
ダンジョンゲートの先は、坑道の様相を示すトンネルタイプのダンジョンだ。
こういったタイプのダンジョンでは、ダンジョン特有の鉱物資源が多く産出し、
現代社会の産業を支えている。
迷宮というより、地下開発跡に近い。
だが空間には、例の“圧”がある。空気の密度が現実とは異なる。
「ここ、初めて?」
橘が振り返る。
「現地入りは初めてですが、構造と座標補正範囲は頭に入れてあります。
湿度計の誤差が2.8%を超えたら、移動を優先する判断で問題ないかと」
「判断基準が論理的すぎて笑える。よし、じゃあ今日は“数字の人”をサポートにして、現場は私が見る」
「了解しました。必要に応じてスキルは随時展開します」
俺のスキル《計数解析》は、数値化と視覚補助に特化している。
精密戦闘には不向きだが、地形・構造・資源量・危険反応といった“見えにくい情報”を瞬時に整理できるのが強みだ。
ダンジョンにおいて、“見えないもの”ほど危険なものはない。
⸻
三人は階段を降り、腐食した鉄柵をくぐり、薄暗い坑道へ入った。
足音が重なるたびに、壁が微かに呼吸するように鳴った。
この空間は──生きている。
⸻
ダンジョン内は静かだった。
聞こえるのは、酸化した金属の軋みと、荷物を運ぶ倉本の足音、そして──壁の奥から微かに響く、水の音。
「予定ではこの先の分岐で、昨日の搬出ルートの残りを拾うはずだったんだけど……」
橘が前方で立ち止まる。
「おかしい。視界にあったはずの“刻印板”がない。……いや、崩れてる?」
その言葉に、俺もすぐ反応する。
スキルを展開。《計数解析》を起動し、壁面・床面の密度差異と空間形状の変化を即時スキャン。
■ 異常構造:直近10分以内に崩落反応
■ 空間圧分布変動:+12%
■ 水分濃度変化:局所的に上昇中(地表下より漏出)
「崩れてます。排水層の上部が抜けたようです。現在、床面下に水圧が溜まり始めています。下手をすれば……」
「床が“浮く”か」
橘の声が低くなる。俺の解析を一発で理解したようだ。
「倉本さん、ストップ。荷を下ろして一旦退避。ここの床、踏み抜く可能性あり」
「了解」
その一言で即座に動くのは、熟練者の証。
倉本は言葉少なに荷を脇へ置き、後方へ戻る。
「解析、続けて」
「はい。現在の床圧分布、中央からやや左寄りに偏っています。そこに空洞あり。排水ラインに沿って、15メートル先まで──」
言い終わる前に、床がわずかに沈んだ。
「橘さん、離脱を──!」
言葉と同時に、橘が一歩飛びのいた。
その瞬間、床の一角が“パキッ”という乾いた音と共に割れ、水を含んだ泥が噴き出した。
即死級の事故ではない。
だが、これが準備なしだったなら、下半身を持っていかれていてもおかしくない。
⸻
数分後、場所を変え、再度作業が始まる。
落ち着いたところで、橘がこちらに言った。
「……言った通り、裏切られた」
「予習は裏切られるためにするものです。現場のデータを拾うために、基準を持っておきたいだけで」
「理屈っぽいけど嫌味じゃない。不思議なキャラだね、君」
「そう言われることには慣れてます」
橘は小さく笑った。
「ありがと。ほんとに助かったよ。倉本さんなら対応できたかもしれないけど、私一人だったらアウトだった」
倉本も小さく頷く。
「数字の人、当たりだったな」
──評価は、数字と同じくらい、“現場”で生まれるものらしい。
⸻
その日の業務を終え、夜。
探索記録を整理しながら、俺は社内のナレッジデータベースをぼんやりと開いた。
ふと、迷宮発生初期の国際研究報告の項目に目が留まる。
『迷宮(ダンジョン)とは、物理的には空間圧縮と構造歪曲の組み合わせであり、
概念的には“人類の想像と認識”に反応する現象と定義されている』
『世界各地に同時期に現れ、文明の痕跡が残る地に多く発生していることから、
ダンジョンとは“人類史そのものを投影した地下”である可能性がある』
そんな仮説を、当時の学者は書き残していた。
──それはつまり、
人間が積み重ねてきた欲望や恐怖、希望や妄想が、“現実に染み出した”結果がダンジョンだということだ。
目に見える資源、制度化された探索産業、その裏にある“何か”。
俺たちは今、毎日あの空間に潜り、物理的に物を拾い、数字で評価されている。
だが、本当に測っているのは、もしかすると──
“人間がまだ終わっていない証拠”そのものなのかもしれない。
スキルも、構造も、素材も。
すべては世界の深層に眠る「問い」だ。
そしてそれを掘り続けることが、探索者の仕事なのだとしたら──
少しだけ、誇りに思える。
⸻
任務終了後、本社に戻っての報告処理は淡々としたものだった。
だがその夜、社内チャットに通知が届いた。
【個人評価ログ更新】
▶ 所属:探索一課/補佐 三崎一郎
▶ 今月:探索貢献12pt+支援行動評価6pt
▶ 残り70ptで基本給満額達成
それに加えて、一言だけ。
橘まどかより:
『また一緒に組みたい。数字の人、けっこう信用できる』
俺は短く返した。
『次回も、裏切らない予習をしておきます』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます