2.志操
西山君は、恐れをなして、欠席しました。
鈴音寮の寮生、六十六名、全員が出席です。
帰省を予定していた寮生は、外泊届を取り消しました。
但し、土曜日は全食、日曜日の朝食と昼食の給食は準備されません。
旅行を計画していた寮生は、キャンセルの手続きをしました。
前日、当日のキャンセルですから、当然キャンセル料は発生します。
勿論、外泊届を提出しています。
だから、給食は、準備されません。
そして、全員、計画を調整して、周知会へ出席しています。
だから、女性六十六名、対二名です。
そりゃあ、西山君が拒絶するのも無理ありません。
でも、ご心配なく。
自宅からでも、オンラインで、周知会に主席は、出来るのです。
西山君は、自宅から周知会に参加する事になっています。
えっ。
違う。
男性の、後一名ですか。
ああ。
それは、白川先生です。
白川先生は、学校が休日でも、毎日、学校へ来ています。
ずっと、研究室へ籠もりっきりです。
実は、白川先生は、浪速大学を卒業、大学院へ進みました。
修士、博士課程を歴て、大学の研究室へ残りました。
ところが、二年目に教授から、この石鎚山高専の教授として、転籍を言渡されたのです。
つまり、出世コースから外れたのでした。
原因は、研究室内の、出世競争に敗れたからです。
しかも、相手は、学生時代に仲の良かった、同期で同じ研究室の、研究員でした。
学生時代は、色々と将来の夢を語り合った友人でした。
色々と、吐気に襲われる出来事が、あったようです。
すぐに、同期の研究員とは、疎遠になりました。
本当に、何度か吐いた事が、あるそうです。
千景は、まさか本当に、テレビドラマのような、現実がある事に驚きました。
しかも、全く誇張なく、テレビドラマより、もっと酷く、もっと陰湿で、悪質だったそうです。
しかし、白川先生は、友人で同期の研究員を恨んでは、いませんでした。
当時も今も。
寧ろ、今では、感謝しているそうです。
色々と、あったが、それで、石鎚山高専の立派な研究室を授かった。
やり方次第で、好き放題に、研究に没頭出来る。
でも、もっと貴重なものが、存在する事を自身の手で掴んだ。
石鎚山高専の学生達が居た。
この学生達が居たから、学生達と向き合ったから、自身の手で掴めたのだ。
この素晴らしい確信を大切に。
この素晴らしい学生達に伝える。
と決めた。
と、一度、前の事件の後で聞いたのです。
聞いている途中で、歯の浮くような表現で、鳥肌が立ちました。
しかし、ずっと、聞いている内に、白川先生は、素直に本当の気持ちを話していると、確信しました。
白川先生も、鈴音寮の宿、日直の日があります。
宿直室と云っても、寮の支援事務室よりも広いのです。
給湯室は共用ですが、とても便利です。
宿直、日直と云っても、用務は、電話番と点呼、見回りくらいです。
何事も無ければ、至って暇だそうです。
ですから、研究資料とノートパソコンを持参して、研究を続けているのです。
研究の、邪魔をしている事を承知の上です。
承知の上で、千景達は、宿直室へ上がり込むのです。
白川先生の話しを聞くために。
また、話しが脱線しました。
そんな訳で、周知会が、八時半からの開始でも、平気のようです。
そして、土、日曜日の合宿所の予約は、全くありませんでした。
当初、八時からを予定していました。
しかし、大多数の寮生から、不平不満が挙がりました。
「提案可否」の周知会の八時開始時間に「否」が、数多く投票されていました。
希望時間として、九時の提案が多かったのです。
それで、石井先輩は、執行部員全員から強く説得され、半を採って、八時半に開始時間を遅らせたそうです。
それでも、不満はありました。
しかし、半ば強引に、決定事項として、連絡しました。
擦った揉んだで、やっと開催に漕ぎ着けたのです。
ところが、いざ、会議室へ入ってみると、机と椅子が全く、配置されていません。
寮生全員で、教室の奥、備品置場で長机を開脚して、パイプ椅子を運び、黒板の前に、配置しました。
前後、三班ずつで、全部で六班分の長机を黒板のすぐ前に、配置しました。
一班に十脚の、パイプ椅子を配り、並べたのです。
ところが、執行部員席を配置していませんでした。
誰も気付かず、失念していました。
また、一番後ろから、長机とパイプ椅子を最前列へ運びました。
それも、長机を後ろで開脚してしまったから、六班の長机とパイプ椅子が邪魔になります。
また、備品置場に戻し、長机の脚を畳んで、黒板の前へ運びました。
ただ、執行部員席の配置場所は、六班の長机を少し後方へずらし、空けてありました。
これは、やっと、執行部員の一人が、指示していました。
いやはや、何とも、お粗末です。
今の執行部員は、全く発想が湧かないのでしようか。
積極的に、指導しません。
協力体制、意思疎通が、出来ていないのかもしれません。
時間は、九時です。
三十分遅れ、やっと、周知会の開始です。
しかし、石井先輩の挨拶も開会宣言も無いのです。
いきなり、「紫陽花」の「連絡」文書を読み始めました。
千景が作成した文書です。
流石に、白川先生が、一番後ろの、備品置き場から、文書の読み上げを「待て」と云って止めました。
そして、石井先輩に、開会宣言と挨拶をするように指導しました。
石井先輩が、開会宣言をしようとしました。
すると、また、白川先生が「待て」と云って止めました。
そして、起立するように、また、指導しました。
石井先輩が、起立して再度、開会を宣言しようとしました。
即座に、白川先生の、三度目の「待て」です。
今度は「全員、起立」と大声で全員に指導しました。
業を煮やしたようです。
石井先輩以下、全員が起立して執行部員と真正面に向き合い、一礼した。
やっと、開会宣言と挨拶が始まりました。
流石に、今度は石井先輩が、宣言前に一礼していました。
そして、宣言と挨拶が終わりました。
千景も分かっては、いたのですが、どうにも、石井先輩が苦手です。
どうしても、壁を感じてしまうのです。
そう云えば、白川先生の席が、前列に設けられていません。
白川先生は、自身でパイプ椅子を広げて着席しました。
その瞬間。
千景は、立ち上がりました。
特に、何も考えていません。
席を立って、白川先生の席の前へ、進み出ていました。
千景が、白川先生の前に立った時、驚きました。
豊田さんが、千景の横に立っています。
豊田さんは、白川先生に一礼しました。
そして、白川先生に申し入れました。
「前に席をお直しいたします」
更に。
「秋山さん、先生の椅子をお願いします」
千景に、白川先生の椅子を前の執行部員席へ、運ぶように指示したのです。
「はい」
千景は、その通り。
そうしたかったのだ。
何をするのか、分からないまま、白川先生の前へ向った。
これだったのだ。
えっ。
他に、何人もが、白川先生の、席の周りに集まっていました。
千景は、返事をして、白川先生が、立ち上がるのを待ちました。
すると、すぐ、白川先生が立ち上がりました。
「ありがとう」
白川先生の周りに集まった皆を皆、席へ戻るように指示しました。
「皆の気持ちは、分かった。でも…」
と云って、白川先生は、話しました。
これからが、白川先生の話しです。
白川先生は、石鎚山高専へ来て、二十年になります。
教壇に立ち、学生諸君に向き合って、教鞭を執ってきた。
真正面から、学生諸君に自信を持って、学問を伝えている。
しかし、当然だが、板書をしている時、つまり黒板に向かっている時は、ずっと背中を見せている。
考えてみれば、教師になってからは、黒板に向かっていて、学生に背中を見せる事も多い。
背中であっても、教師として何か伝える事が出来る筈だ。
何を伝えるか。
それは、背中で、人生を教えなければならない。
と確信したのだ。
そのためには、自分自身が、ちゃんと、胸を張って、堂々としていなければならない。
学生諸君が、ほんの少しでも、その意味を理解出来たとすれば、正しかったと自信が持てるのだが。
誰かに、決められた事では無い。
自分で決めた事だ。
人生が終わる時に、今、先生の前に居る学生諸君の中で、たった一人でも、理解されたのなら、本望だ。
それで、今日は、学生諸君の背中を見ていたい。
諸君の背中が、とれだけ人生を理解し、どれだけ成長しているのか、ゆっくりと楽しみたい。
それで、最前列へ席の移動を辞退したのです。
感動した人もいるでしょう。
あるいは、反感を覚えた人もいる筈です。
でも、それを掻き消すように、何人かが、パイプ椅子向きを変えました。
正面に向け、執行部員に向かい合って腰掛けました。
ああ、ちょっと、説明し忘れていました。
寮生規則が、何回か、変更、更新されています。
主だった項目は、指導寮生と執行部員です。
指導寮生は、五年生から、三名でしたが一名に変更されています。
そして、執行部員が新設されています。
執行部員は、五年生から三名と、指導寮生の一名が兼務します。
他に、執行部員は、四年生から二名です。
四年、五年生を合わせて六名です。
因みに、指導寮生候補は、寮規に規定されていません。
執行部員の一存で数名、慣習で設置しています。
指導寮生候補の候補は、資質を確認する期間で全くの任意で、当然、規定にはありません。
また、ちょっと、説明が長くなってしまいました。
さて、皆が、指導寮生と正面に向かい合うように腰掛けました。
千景も、それに倣っています。
さて、今度こそ、本当に開催です。
まず、石井先輩から、考えた事、思った事をまとめたメモは、スマホに入力されているようです。
寮生も皆、スマホを手にしています。
皆、自分なりに、メモを持っています。
ただ、スマホに目は、向けていません。
皆、石井先輩に、目を向けています。
白川先生の言葉で、思い出したのかもしれません。
発言者は、言葉だけで、発言しているのではありません。
発言者の発言は、表情、姿勢、所作、態度をも含めて、発言しているのです。
大袈裟な仕草。
何処かの誰かのように、拳を振り上げて、怒りや強さを表現する。
また、両手を大きく広げて衆人を包み込み、あるいは、力を合わせる事を表現する。
まるで、そんな自分に、酔っているように見える。
ただ、真摯な言葉で、本気でそう思って、訴えている発言者も確かに居る。
それを見極めなければならない。
あるいは、発言の内容は、小学生以下のレベルだが、身振り手振りだけが、頼りの発言者も居る。
確かに、その身振り手振りを信じて、発言者に賛同する人も居ます。
しかし、周知会は、そういった意味の、集会ではないのです。
現在、未解決の事件があります。
事件を実際に解決するのは、犯人逮捕に全力を注ぎ捜査している警察でしょう。
石鎚山高専も、その事件に、巻き込まれている形跡があります。
何時また、犯人が接触して来るか分かりません。
そんな事が、無いように願うのですが。
今、石井先輩の、周知会開催に至る経緯と、事件の要約、周知会の要旨に付いて、説明が終わった。
そして、個々の事象に付いて、自身の思い、考えを発言した。
言葉を選んでいるのか、説明が詰まる事も何度かありました。
続いて、各グループ毎に、意見交換を自由に話し合っています。
白川先生の、生き方を考えれば。
無事を願ってばかりでは、駄目です。
願うのは、死ぬ直前で良いのです。
何を願うのかは、人生を貫いた、何か、です。
それが、正解なのかどうか、分かりません。
いや、白川先生は、正解かどうかも、意識していないと思います。
しつかりと、対処、対策を検討し、備えるべきです。
それを確認するのが、周知会です。
堅苦しい、重い雰囲気になっても、良くありません。
当たり前ですが、それこそ、発言し辛くなります。
もう少しで、グループ毎の、意見交換が終わりそうです。
スマホに、入力している姿が多く見てえきました。
班毎の意見交換の形式も自由です。
挙手しての発言を採用した班もあります。
あるいは、一人ずつ、順番に発言する班もあります。
その間には、かなり、興奮したような口調で喋る人もいました。
それでも、注意する人は居ません。
自身で、気付く事が大切だと、皆、思っているようです。
声を荒げた本人も、分かっているのでしよう。
すぐに、平静に戻ります。
しかも、本人からの謝罪はありません。
堅苦しいのは困ります。
だからと云って、ふざけてばかりでは、ただの、井戸端会議です。
いや、それこそ、井戸端会議に対して、失礼かもしれません。
テレビの、有名な、コメンテーターの言葉通りです。
でも、鈴音寮の寮生は、皆、誰に教わった事ではありません。
自身で培って来た、その人の誠意です。
千景は、そう、白川先生の言葉を理解しました。
だから、鈴音寮の寮生、六十六名全員が、周知会に出席したのです。
個々の見ている方向も、信念も違っている筈です。
方向が違えば、意見は、噛み合わないでしよう。
意見が合わなければ、対立もするでしょう。
しかし、それを全部、呑み込んで周知会は、進行しています。
千景は、久しぶりに、一体感に浸りました。
班での意見交換が、終わったようです。
勿論、各自、自身の発言内容と、その反応を「紫陽花」フォルダの「質疑応答」と「提案可否」ファイルに入力しています。
これも、誰かが始めて、それが皆が倣ったのです。
この時だけは、皆、スマホに向かっています。
千景が、どんな発言をして、どんな反応があったのかは、後で、「紫陽花」の「質疑応答」「提案可否」を見てください。
次に、「情報提供」へ移る様子です。
ここで、小倉さんから「提案可否」に書込みがありました。
このタイミングで、全体発言するのか。
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