乱されて、図書準備室
その日の夜。
「どーしたんだよ姉貴。さっきからスマホ見て固まって」
朝日の声にはっとわたしは顔を上げる。
冷蔵庫から取り出したお茶をコップにつぐ朝日。
「お茶いる?」
「あ、ごめん。お願い」
いけないいけない。
朝日は次の撮影に備えて台本を読み込んでいる。本当ならわたしがお茶をついであげないといけないのに。
けど、こっちが気になるのも事実だ。
スマホのメッセージアプリの連絡先には、明神 照行という名前がしっかりと入っている。
「協力するならやり取りできるようにしとかないとね。あ、もちろん他の子に教えちゃダメだよ」
明神君に言われるがまま、交換してしまった連絡先。
同じクラスの朝日ならともかく、わたしが明神君の連絡先を手に入れちゃうなんて。
万一わたしが悪いことを考えて、明神君ファンの人とかにこの連絡先を売ったらどうするのだろう。
高校生だったら、それぐらい普通にするぞ。
朝日のために、伊那沢さんの情報とかも手に入るなら連絡先交換もありがたい、と思ってはいたけど。
落ち着いて考えると、わたしはとんでもないものを手に入れてしまった。
逆に言えば、それだけ明神君はわたしを信用しているのだ。なぜ?
「朝日、同性のクラスメイトで、仲良くなった子とかはいる?」
「今のところまだ、特段こいつとってのは無いかなあ。でも中等部からの人も、割と普通に受け入れてくれたよ」
「どんな子いるの? あ、明神 照行とかいるんだっけ。秋津さんから聞いたよ」
わたしは平静を保っているふりをする。
普段の彼についての疑問は、クラスメイトの朝日に聞くのが早い。
「そうそう、照行ね。びっくりしたよ、俺みたいな高等部からの編入組にも普通に話しかけてきてさ」
わたしのことを、初対面でまじまじと見つめてきた明神君。
他の子に対してもあんな感じなのかな。
「俺もそんなに口下手じゃないと思うけど、あれは真似できないよ」
「朝日は緊張とかしなかった?」
「いや、あんまり。照行って、オーラみたいなのはすごいんだけど、それが全然威圧感を与えてないって感じでさ。ベテランだけど親しみやすい俳優さん、みたいな」
朝日はそこまで言って、大きなため息。
悩む朝日の顔もあどけなさが残っててきれいだけど、やっぱり見ていて良いものではない。
「ほんと、俺と同い年でアレだもんな。やっぱ持って生まれたものってあるんだろうなあ」
「朝日が落ち込むことないわよ。朝日だってこれからどんどん伸びるわ」
「けど多分、俺のことなんて眼中にないぜ照行は。持ってる側の人間が上から降りてきて、持たざる者と暇つぶしに遊んでるみたいな感じなのかも」
お茶を飲んだコップをコンコン叩く朝日。
同じ俳優として、明神君は朝日にとっての目指すべき目標であり、倒すべき敵……いやそれはさすがに言い過ぎだろうか。
でも、それぐらいの心持ちでないと、芸能界で生き抜くのは難しいんだ。
「それにほら、みんな表じゃ仲良さそうでも裏で何考えてるかわからんし。なんか照行なりの計算があるんだろうな」
確かに。
芸能人は一般人以上に、表と裏、本音と建前の差が大きい人たちである。人に見せることを仕事にしている以上、そうなるのは当然と言ってもいい。
明神君がわたしとの協力を提案したのも、きっとわたしなんかでは思いもよらない理由があるはず。
例えば、わたしが朝日の姉だということと何か関係あるとか?
ブルルル
「あっ!」
その時、振動するスマホの画面上に現れた通知の内容に、わたしは思わず声が出てしまった。
「どうした姉貴?」
「う、ううん。なんでもないわ」
落としかけたスマホをわたしは持ち直し、トーク欄を開く。
『明日の放課後、4階の図書準備室に来てくれないかな。互いに情報交換したい』
明神君からのメッセージ。
こんなの見たら朝日が動揺する。絶対に知られてはいけない。
わたしは、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けた。
確かにわたしは芸能人慣れしてはいるけど、まさか学校で、イケメン俳優アイドルと会うことになるなんて。
***
「瑞月ちゃん、今日このあと」
「ごめん! 今日は行くところがあるの!」
次の日、帰りのホームルームが終わると、わたしは緊張から逃げるように教室を飛び出した。
廊下を歩きながら、息を整えていく。
普通科と芸能科は、敷地内で明確に分けられている。だから普通科の子は、芸能科にどんな子がいるのか正確には知らない。
けど、敷地の境界近くだとどうしても芸能科の子が目に入ってしまうことはある。それに先生たちがどれだけ隠そうとしても、やっぱり情報は漏れ出てしまう。
あの子がいるらしい、校舎内で見かけた、みたいな情報は普通科の子の間ではかなり広まっているのだ。
明神君レベルの有名人ともなれば、もう芸能科にいるということは周知の事実である。
それでも、普通科の生徒は先生から厳しく言われているから、明神君のことが例え好きでも、遠くから見守るだけ。それが普通科の生徒の中での暗黙の了解、というのが中等部上がりの生徒から何度も何度も言われたことだ。
その了解を破って、わたしはこれから明神君と会うのである。
いや、でも!
特に明神君ファンでもない、芸能人は見慣れてるはずのわたしが誘いに断れなくて、こんだけ今ドキドキしてるんだ。
明神君から会おうと言われて、拒否する女子なんているだろうか?
そうだ、悪いのは明神君だ!
今わたしの心をかき乱しているのも、明神君だ!
「ふう……」
わたしは無理やり自分を納得させ、階段を上がる。
明神君から指定された4階の図書準備室は、校舎の隅だ。
手前の図書室までは人が来るけども、角を曲がると人っ子一人いない。
そしてその先には芸能科との敷地境界線が、赤いテープで示されている。
天井には監視カメラがあるけど、こういうところが明神君の言う、人がいなくて境界線をまたげそうな場所なのだろう。
すぐ脇にある図書準備室の扉を開けると、そちらにも人はいない。
教室の半分以下の広さしか無い空間は、カーテンを開けるか電気を付けるかしないと夜みたいに暗い。
しかし、どうやって明神君はここに来るんだ?
さっきの廊下の敷地境界線をまたいで来るのだろうか。
いくら全く人を見かけないとはいえ……
コンコン
おや?
音のした部屋の奥に向かって、わたしは目を凝らす。
――あっ。
わたしはカーテンを開けた。少しほこりが舞い、窓から光が差し込む。
中庭越しに向かいの廊下が見えるぐらいの距離感だ。
そして、光が入ったことではっきりと見えた。
段ボール箱でふさがれた向こうに、細いドア。金属のノブに光が反射している。
そのドアの向こうから、音は聞こえる。
わたしは足元の段ボール箱やいろんなガラクタを動かしてスペースを作り、ドアに近づく。
コンコン
やっぱりノック音だ。
さらに、ガチャガチャとなにかいじる音。
もしかして。
わたしは合わせるようにドアを軽く叩く。
「開けて」
ドアの向こうから、声がした。
ささやくようなボリュームだったけど、この聞き心地の良い声は間違いない。
ドアの周りの段ボール箱をすべて邪魔にならない場所へ。
そして、倒れてつっかえ棒のようになっていたほうきをどける。
その途端、ドアノブがガチャリと回った。
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