過去編カナ視点①

 アイドルになる事があの子の夢だった。私はそれを叶えてあげたかった。

 

 午後四時五十分、あと十分でバイトが終わる時間。閑散としていたコンビニの自動ドアが開いて間抜けな音楽が流れる。私は心の中で舌打ちをして目線を出入り口に向ける。

「いらっしゃいませ……。」

店内に入ってきた一人の少女に私は目を奪われた。それは一目惚れとかではなく、単に知っている顔だったからだ。知り合い……とは言えない、きっと私が一方的に知っているだけの、中学一年生の時のクラスメイト。名前は確か……アオイ。

 アオイは明るくて可愛くて、誰からも愛されている、私とは住む場所の違う少女。会話は一回だけした。クラスで浮いていた私を気を遣ってか、声をかけてくれて、私が拒絶して、それから関わる事がなかった。腰まで伸びた綺麗な髪、センター分けでおでこが出ていて、目がクリッとしていて、十人に聞いたら十人が彼女を美少女だと評価するだろう整った容姿をしている。そんなアオイと三年振りだろうか、再会してしまった。

 私は言ってしまえば、バイトの間だけ外に出る引きこもりだ。高校は通信制。中学生の時は義務だから登校していたが、私は他人と関わる事が嫌いだった。だから、知ってる顔がバイトをしているコンビニに来て、正直気が滅入った。知り合いに会いたくなくて、わざわざ隣町のコンビニを選んだのに。でもいいや、彼女が私みたいな陰キャを覚えているわけがない。私が何も言わなければ彼女も私を思い出すこともない。

 アオイは水色のジャージを着ていた。時間帯から考えるに部活帰りだろうか。スポーツドリンクだけを手にし、私のいるレジに歩いてきた。

「お願いします。」

そう言いながら彼女は私の目を見る。久しぶりに聴いたその声はとても澄んでいた。

「……。」

吸い込まれそうなほど綺麗な瞳だ。

「あ、あの。」

私はハッとしてペットボトルのバーコードをスキャンする。苦手だった。声をかけてくれたあの時も、この目が私を貫いていた。真っ直ぐ過ぎる目。無垢というか、純粋すぎて、醜い自分を嫌でも比較してしまう。

「……もしかしてサトコさん?」

「え?」

顔を上げる。アオイは真っ直ぐに私を見ている。私は咄嗟に目を逸らした。

「あ……私なんて覚えてないよね。中学一年生の時同じクラスだった、アオイ、なんだけど。」

「お、覚えてるよ。久しぶり……で、でも今は、仕事中だから……。」

「あ、ごめんなさい……。」

アオイは申し訳なさそうに目を伏せて、会計を済ませる。

「じゃあ、また、ね。」

罪だ、その顔は。私なんか眼中にもない癖に。そんな別れを惜しむような顔をするなんて。まるで私が彼女の『特別』だと勘違いをさせるんだ、それも無意識に。

「ま、待って……!」

私は咄嗟に声が出ていた。アオイはゆっくり振り返る。ただ、それだけの動作が愛らしい。私は唾を飲み込む。

「なに?」

「あ、あとちょっとで、バイト終わるから……あの、向かいのカフェで待ち合わせしない?」

「いいよ!じゃ、待ってる!」

アオイはふっと笑うと店を後にした。そして私は後悔する。会ってどうするのだ。話すことなんて何もない。三年前、一回言葉を交わしただけで、私と彼女は友人でもなんでもないのだ。

 

「あの、サトコさん!」

「え……なに。」

「クラスのみんなでカラオケ行こうって話になって、サトコさんも行かない?」

「え、あの……私はいいかな。」

「そっか……。じゃあね。」

 

中学時代、彼女と交わした会話はそれだけだった。去り際の彼女の暗い表情を覚えている。生々しいほどに刻まれてしまった。彼女はそれ以降私に声をかける事はなかった。私は遠くから彼女を見つめていた。男子よりも背が高くて目つきも悪くて、その上根暗だったから、私は小学生の時からいじめられてはいなかったけど、『なんとなく触れてはいけない人物』として扱われていた。だからかもしれない。可愛い少女がクラスメイトに馴染めていない私を気を使い、声をかけてくれた事が、私にはとても特別に感じてしまった。

 

「サトコちゃん、あがっていいよ。」

「あ、はい。」

私は店長の声で現実に戻る。少しでもアオイを待たせてはいけないと思い、私は急いで着替えてカフェに向かった。

 

 お洒落な飲食店、私には縁がないと思っていた。茶色とワインレッドでまとまったアンティークな内装。正直言って私には場違いだ。咄嗟にとは言え、この場所を指定した事を軽く後悔した。客層も高齢な方が多い。狭い机に合わない大きな皿にちょこんとした料理が乗っている。

「いらっしゃいませ、お一人ですか?」

入り口で突っ立ってると、黒いエプロンをしたウエイトレスに声をかけられる。清潔感のある青年だ。私は店内を見渡し、アオイを探す。見える範囲に彼女はいない。私は不安になる。

「と、友達と、待ち合わせをしていて……。」

「分かりました、こちらです。」

店の奥に案内される。アオイにあとで一人来ると説明を受けていたのだろうか、それとも私と年齢が近い客がアオイしか居なかったのだろうか、私は何も説明してないのに、正しく案内された。窓際の席にアオイは座っていた。夕日に赤く照らされて、神秘的に見えた。

「お疲れ様、サトコさん。」

「あ……うん。ありがとう。そ、それ何飲んでるの?」

「これ?オレンジジュース。苦いの飲めないから。」

夕日に照らされたジュースは赤かった。

「何飲む?」

「えっと……まあ、エスプレッソ。」

「ケーキも食べる?」

「生クリームが苦手だから……。」

「洋梨のタルトで良い?」

「うん……。」

私はテーブルにベルがない事に気がついた。私が戸惑っていると、アオイはウエイトレスに手を振って呼び出し、私の代わりに注文を済ませる。

「ご、ごめん……。」

「いいって。」

沈黙。アオイはじっと私を待つ。私は一瞬疑問に思ったが、すぐに理解した。帰ろうとした彼女をわざわざ私が呼び止めて待ってもらっていたのだ。彼女は私が用があるから呼び止めたと思っているのだ。当然じゃないか。なんとか言葉を紡がないと。でも何を言ったら良いか……。

「……アオイ、さん。久しぶり。げ、元気だった?」

「うん、サトコさんは?」

「私は……ぼちぼちかな。」

「サトコさんってどこの高校?ここってヤマ中から離れてるけど、この近所?」

「え、あの、私、通信制の高校で……まあ学校には行っていない……。」

「通信制?」

「うん、そういうのがあって、まあ、引きこもりだけど、勉強してるって感じ。アオイさんは……?」

「私はミナミ高。」

「ミナミ高?それって、ここから結構遠いけど……ここには何の用で来てたの?」

私が質問するとアオイは目を伏せる。

「ダンス教室通ってるの。」

「ダンス……。」

「週に一回でまだ初めて一ヶ月だから……まだ人前では踊れないクオリティだけどね、頑張ってるの。」

アオイは顔の前で両手を絡ませ、落ち着きがない。他人にダンス教室に通っている事を伏せているのだろうか、照れている様に見えた。

「中学生の時は親に反対されててお金出してもらえなくて……動画サイトに上がってるダンスを真似してただけだったんだけど……高校生になってバイトして、貯めたお金で教室に通ってるの。」

バイトとダンス教室に力を入れ過ぎて学校の成績は壊滅的だけどね、とアオイは苦笑いした。

「私ね、アイドルになりたいんだ。」

「アイドル……。」

「そう、アイドルになりたい。もう何個かオーディション受けたけど今のところ全滅。アイドルの養成所も興味あったんだけど、親がすごいアイドルに対して偏見持っててね、そんなものにお金は渡せない、やりたいなら自分の金でやれって言われちゃったの。バイト代だけだと養成所には入れないから、月に四回のダンス教室で技術磨いていろんなオーディション受けてるの。」

語りはじめは恥ずかしそうに、口が回ってからはハキハキと彼女はアイドルについて語り出した。クラスメイトの美少女、高嶺の花という印象は剥がれて、そこには一人の少女がいた。幼少期にイヲリって言う興味ない私でも知っている国民的アイドルに憧れて、自分もなりたいと思っていたらしい。さらりとした艶のある黒髪、大きな目、整った目鼻立ち、完璧なプロポーション、ファンファーストで夢を与える、イヲリは言ってしまえば昔の価値観のオタクが酔狂するタイプの偶像だった。まあ昔のアイドルなんだけど。

 私は相打ちをしているだけで、ほとんどアオイが語っていた。正直私は人と対話するには経験値が足りないから助かっていた。甘さ控えめの洋梨のタルトをつつきながら、コーヒーに舌鼓しながら、目の前の少女の話を聞く。

(こんな大きな口を開けて笑うんだ……。意外。)

 それからアオイはさまざまな好きな物を教えてくれた。小学生男子が好きそうなギャグ漫画や、プロレス、カードゲーム……。好きなアイドルを知った時も思ったが、何処か『男の子』を感じる趣味をしていると思った。

「サトコちゃんは?何が好き?」

手が止まる。私は趣味がない。アオイの様に語れる好きなものがない。

「……お喋り、かな。苦手だけど。」

私が何とか捻り出してこの答えを言うとアオイの周りに花が咲いた様に明るくなった。可愛い。アオイの一つ一つの言動が全て愛らしい。

「あのさ……私も、アオイちゃんって呼んでいい?」

「うん!サトコちゃん!」

太陽だ。眩しすぎる。近くにいたら瞬時に焼き尽くされて灰になりそうだ。

 その後、私のスマートフォンに初めて家族以外の連絡先が追加された。また会いたい、また話したい。私の胸はあの時、人生のピークなんじゃないかと言うくらい高鳴っていた。

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