シリコンの狂詩曲、あるいは電子の亡霊
1960年代、まだ世界が冷戦の影に怯えていた頃、私を熱狂させたのは、トランジスタの発明と、それに続く集積回路(IC)の登場だった。半導体の性能が、指数関数的に向上していくというムーアの法則。それは、まるで神が定めたかのような、美しい数式だった。この小さなシリコンの板が、やがて、人類の知能そのものを拡張するのだと、私は、その黎明期から、確信していた。
リアンヌと共に興した会社もまた、その潮流に乗っていた。1987年に設立された台湾のTSMCが、「ファウンドリ」という水平分業モデルで、半導体業界に革命を起こしたのを見て、リアンヌもまた、即座に、自社の組織を再編した。設計開発に特化したファブレス部門と、製造部門を切り分け、それぞれの得意分野に、経営資源を集中させる。その判断が、のちに、会社を世界的な巨大企業へと押し上げる、原動力となった。
そして、1990年、ティム・バーナーズ=リーという男が発明した、World Wide Web。文字と、画像と、そして、世界中のコンピュータが、ハイパーリンクで繋がるという、そのシンプルなアイデアに、私は、再び、魂を揺さぶられるほどの衝撃を受けた。
1995年に、Windows95が発売されると、世界は、一気に、インターネットの時代へと雪崩れ込んでいく。90年代後半には、ドットコム企業が乱立し、株価は、バブルの頃を彷彿とさせる、狂乱の高騰を見せた。
だが、その宴も、長くは続かなかった。2000年代に入ると、ドットコムバブルは、呆気なく、崩壊する。実体の伴わない、過剰な期待が、弾けただけのことだ。
だが、私とリアンヌは、その光景を、冷静に見ていた。これは、終わりではない。始まりなのだと。本当の革命は、この、瓦礫の中から、始まるのだと。
私たちの予見通り、Google、Apple、Facebook、Amazonといった、本物の実力を持つ企業が、次々と台頭してきた。彼らは、SNSで、人々の繋がりそのものを支配し、ECマーケットで、世界の物流を変え、iPodで、音楽の聴き方を、根本から覆した。
そして、2007年。Appleが発表した、iPhone。
それを、初めて手にした時の衝撃は、忘れられない。電話と、コンピュータと、そして、インターネットが、この、手のひらサイズのガラスの板の中に、完璧に融合している。
『――世界が、変わる』
文字通り、世界中の人々の、生活、文化、価値観、その全てが、この小さな機械によって、根底から、作り変えられてしまう。
その頃、我が国では、「ガラパゴスケータイ」と呼ばれる、独自の進化を遂げた携帯電話が、主流だった。iモードという、先進的なサービスもあった。だが、彼らは、その成功体験に縛られ、スマートフォンという、巨大なパラダイムシフトの波に、完全に取り残されてしまった。
もちろん、この2000年代、この国が、IT産業において、全く勝ち目がなかったわけではない。動画投稿サイトという、新しい文化が、ここで花開いたこともあった。ECマーケットや、M&Aを駆使して、巨大な経済圏を築こうとした、野心的な起業家たちもいた。
私も、その、国内の動画投稿サイトに、夢中になった。特に、初音ミクという、電子の歌姫。彼女が歌う、無数のクリエイターたちの、魂の叫びに、私は、かつてセツナが見せてくれた、生の輝きにも似たものを感じ、虜となった。アニメ、ライブ配信、あらゆる「オタク」文化に、私は、この千年を超える生の中で、初めて、どっぷりと、浸かっていた。
だが、それも、長くは続かなかった。YouTubeという、黒船。英語圏の、圧倒的な物量の前に、国内のサービスは、なすすべもなく、衰退していく。ユーザーたちは、稼げない国内サイトを見限り、次々と、海外のプラットフォームへと去っていった。国内のサービスには、海外のユーザーまでをも取り込むだけの、戦略性が、欠けていたのだ。
それでも、この国が育んだ、アニメ、ゲーム、漫画といったコンテンツは、インターネットという翼を得て、加速度的に、世界中へと拡散し、国境を越えた、熱狂的なコミュニティを生み出していった。それだけが、唯一の、救いだった。
そして、世界では、GAFAMと呼ばれる、巨大IT企業たちが、もはや、国家をも超える存在へと成長していた。世界中に、巨大なデータセンターが建ち並び、彼らの時価総額は、かつてのドットコムバブルなど、比較にならないほどの、天文学的な数字へと、膨れ上がっていった。
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