第2話


 You Only Live Twice !       



  ◇ ◇ ◇      



「鏡はなぜ左右を反転させるのだと思う?」

 〈医師〉が僕にそう尋ねてきた。僕は考える振りをするが、すぐに諦める。首を振って答えた。

「知りませんよ。僕に聞くのが間違っていますね。もっと頭の良い人に聞くべき質問ですよ、それは」

 〈医師〉はにやにやと笑いながら答える。

「答えはこうだよ。鏡が反転させるのは左右ではなく前後なんだ。前後が反転した状態だからこそ君は鏡像の顔が見れるし、見た目の上で左手と右手が逆になってるように見えるという訳さ」

「……」

 言われてみると当たり前といえばあまりに当たり前の話だ。でも〈医師〉はこの話を持って何を僕に伝えたいのだろう。

「それで、あなたは何が言いたいんですか?」

 彼はにやにや笑いを消さないまま答えた。

「鏡の像は所詮反射でしかなく、それ以上のものでは無いという事さ。当たり前の事実のはずなのに、この事を忘れている人が存外多いんだな、この世には──」



  ◇ ◇ ◇



 僕はチャイムの音で目を覚ました。突っ伏していた机から顔を起こし、首をこきこきと鳴らす。時刻は12時を少し過ぎたぐらいで、大学の講義の二限目が終わったところだった。

 僕は席を立ち上がり、学舎を出る。たまたま今日は三限目が休講だったので、今日の授業はこれで終わりだった。

「………」

 少し考えて、僕は学食には向かわずそのまま大学の門から出た。道を北に折れ、十分間ほど歩くことにする。

 僕が目指しているのは、例の廃ビルである。昨日謎の女の子と出会い、そしてすぐに別れたあの場所である。正直なんだかもう行きたくないような気もしていたが、僕は謎の義務感のようなものに駆られてあの場所に足を運んでいた。

 十五分ほどで僕は廃ビルの前についた。侵入者防止用のフェンスに囲まれているがその一部が開かれるように破損しており、その気になれば誰にでも入れるような状態になっている。コンクリートが敷かれた地面の割れ目から雑草が伸びていた。

 僕は中に入る。入ってすぐの階段に足をかけ、一段ずつ上っていく。足が疲れるだけの単調な作業だ。屋上まではだいぶ階段を上る必要がある。

 最上階までたどり着き、屋上に向かう階段に足を置く──と、階段の上に誰かが立っているのに気付いた。

「不法侵入だなんて、悪い人なんだね、きみは」


 ……僕は口を開く。

「お互い様じゃないかな。昨日ぶりだね、名無しの女の子」

「わたしはそんな名前じゃないよ」

 彼女はくるりと身をひるがえすと扉を開け、屋上に出ていった。僕も階段を上り、後を追う。

 屋上の景色は相変わらず見晴らしが良い。今日は曇りなので降り注いでくる太陽の光はなく、風がやや涼しく感じられた。例の女の子はくるくると妙なステップを踏んで踊っていた。

「……君、誰なの?」

 僕からの質問。彼女は動きを止めてこっちを見た。

「誰、って?わたしはわたしだよ」

 僕はため息をついた。こういう手合いには搦め手を使う必要がある。

「そっか……じゃあ年齢を教えてよ。とりあえずは」

 彼女は表情を変えずに答える。

「人に何かを尋ねるならまず自分からそれを明かすべきじゃないかな?」

 お説ごもっとも。僕は簡単に告げる。

「僕はつい先日二十歳になった人間で、今は大学の二回生。名前は伊東律いとうりつ、という。君は?」

 よく出来ました、とでも言いたげに彼女は笑って答える。

「そうなんだ。わたしは今十九歳だけど今年のうちに二十歳になるから君と同年生まれだね」

「……え?同い年だったの?」

「ん?そうだけど?何かおかしいの?」

 ……見えなかった。てっきりその年齢より二つ三つ下かと思ってたけど、これは口に出さない方が良いだろう。

「そ、そうなんだ…。それで名前は?」

 なんだか大事な事を聞くのを忘れてる気がするけど、僕は流れで名前も聞いてみた。彼女は少しだけうつむいてから顔を上げ、答える。

「ヴィカ、っていうの。その名前で呼んで」

「……それ、本名なの?」

 僕は配慮とデリカシーに欠けた質問をした。言った後で少し後悔する。こんな言い方をする必要はなかった。

 彼女は僕をまっすぐに見つめて言う。

「名前に嘘も本当もないよ。きみがその名で私を呼べばそれが私の名前になる」

 なるほど──確かにその通りだ。

「分かった。そんじゃよろしく、ヴィカ」


 僕は屋上の端にまで歩を進め、下を見てみた。いつもと変わらない灰色にくすんだ街並みが見てとれる。死んだ時間をたたえながらゆっくりと崩壊していく町。僕の頭の中にはそんなイメージが浮かび上がっていた。

「何を見てるの?」

 後ろから謎の女の子、もといヴィカが声をかけてきた。

「……別に何も」

 僕は振り返る。

「さっき聞くのを忘れていたけどさ、一つ良いかな」

 僕ははっきりとした口調で尋ねる。

「……なに?」

「この質問は昨日もしたけど……なんで死のうとしたの?」

 


 

 

 



 



 

  

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