迷う前に8ってしまえ
紫桃こうへい
銀髪碧眼、筋骨隆々のオウジサマ
「あ、待って!そこの、ヒーラーのお姉さん!」
「はい?」
切羽詰まった声に振り返れば、極めて健康そうな茶髪の青年が満面の笑みで手を振っていた。
瞬時に悟る。
…しくじった。
「お姉さんちょー綺麗だね!思わず声掛けちゃった」
「はぁ…」
あからさまに吐いた深い溜息は都合よく返事に変換されてしまったらしい。
容赦なく踵を返し、古びた革のブーティの中で悲鳴を上げる足をものともせずにツカツカと歩き出す。
「あっ、ねぇお願い!名前だけでも教えて?ほんと可愛いなって思ったんだって!そのスカート似合ってるし、」
誰がエレナなんて呼ばせてやるかと鼻で笑う。
スカートじゃなくて戦闘用のワンピースだし。
っていうか視線はロング丈の足元じゃなくて完全に胸元に釘付けだし。
防刃用の鉛しか入っていない其処になんの魅力があるというのだろう。
「私急いでるので、」
「いやいやさっき見てたよ?パーティーメンバーと揉めてたじゃん」
待ってる人なんか居ないでしょ?
そんな不躾な質問にふと歩調が緩む。
"お前みたいなカタブツ、俺のパーティーには要らない"
…嫌な事を思い出してしまった。
犯罪ギリギリの事ばっかりしていた彼奴らの顔なんて、もう思い出したくもなくて清々していたのに。
今度こそ舌打ちでもしてやろうかと俯いた瞬間、夜道に輪を掛けて濃い影が投げかけられて。
「あれ、何してんのぉ?」
「可愛い子捕まえてんじゃん!」
「ずりぃ抜け駆け〜」
準備万端の舌が縮むくらいのガタイが3つ、近寄って来る。
ガラの悪さを除けば近衛小隊にでも属していそうなその男達は、完全に目前の退路を塞いでしまった。
「ぁ…」
「なぁ一緒に呑も?」
「おい俺が最初に話し掛けたんだぞ!」
「んなケチんなよ、分かち合いだろ?」
何が分かち合いだ、絶対そんな小綺麗なものじゃ無いじゃないか。
じりじりと迫る黒ずんだ欲望から後退るけれど、振り払おうと力む腕をぐっと鷲掴みにされて。
「離してっ」
「抵抗すんなよ…面倒臭ぇな」
「きゃっ!うっ嫌だッ!」
「うるせぇっつーの!」
業を煮やした男に担ぎ上げられそうになって慌てて身を翻すけれど、抵抗も虚しく頭頂部の髪を引っ張り上げられて。
自重のほぼ全てを引き千切れそうな頭髪が支えている状況に、思わず助けを叫んだ。
「痛い痛い、誰かぁ!」
「こんな所で助けてくれるやつなんか居るわけねぇだろ」
人が変わったように下卑た笑みを浮かべる茶髪の青年の嘲りに涙が滲み始める。
濡れた睫毛が縞模様を描く視界を僅かに開けば、関わりたくなさげに目を眇めてこちらを見遣る人ばかりで。
あっけなく俵担ぎをされ、目の前いっぱいに地面が広がる。
男達の顔が見えなくなったことにさえ安心してしまう自分がいた。
「…ぅっ、」
「ほら行くぞ、もう酒場じゃなくて良いよな?」
「あ、酒だけ買ってこうぜ!」
「なら1人で酔い潰れとけよ」
私の啜り泣きなんか、燥ぐこいつらに掻き消されて誰にも届かない。
あれだけ頼りなくて横暴だったパーティーメンバーさえも恋しく思えて…心を決めた。
どれだけ戦闘力が無くったって、私だって冒険者の端くれだ。
抵抗してボコボコにされたって、泣き寝入りするよりマシ。
私の死体が見つかれば目撃者は大勢いる。
捕まる可能性が高いなら、こいつらだって殺しまではしない筈。
「くっ…!」
ずっと力無く振り回すだけだった長杖を突き立ててやろうと、不安定な姿勢のままガラ空きな男の背中へ振りかぶった。
「…おい、そこの人攫い」
低く胃の腑へ響くような声にぞっとして、反射的に手を止めるまでは。
「…は?」
「おい何つったよ兄ちゃん」
頭を上げる前に気色ばんで振り向いた男に振り回されて、声の主は分からなかった。
「その子、俺のツレなんだけど」
「ぇっ、」
「はぁ?だったら目ぇ離すんじゃねぇよ、残念だったな」
「そうだよ、他の女当たんな」
この人、知り合いのフリしてくれてる?
一瞬見えた希望の光が俄かに暗闇に呑み込まれそうになって焦る。
藁にも縋る思いで海老反りになり、思い切り男の肩から転がり落ちた。
「あっおい!何しやがる、」
まるで逃げようとした虫を踏み潰さんと言わんばかりに振り上げられた足。
咄嗟に目を閉じて、防御の足しにもならない細い杖を盾のように目の前へ突き出す。
「う゛っ!」
「え…?」
当たった感触なんてしないのに、唐突な呻き声が降ってきた。
「ぎゃっ!?」
「このやろ…ッ!うっ」
「やめて、お願い!許してくれ!」
ぎりぎりと眼前で握っていた杖を緩め、薄くぼやける視界を開くと…。
…茶髪の青年が薄汚れた石畳に尻餅を付いて、青褪めた顔で何か叫んでいた。
その怯え切った目の先にいる人は街灯の影になっていて、こちらからはよく見えない。
「足、太…」
けれど石畳から伸びる黒いズボンは、筋肉に覆われた脹脛の形を如実に透かしていて。
「さっさと消えろよ。このままだとアンタも殴り飛ばす事になる」
「ひっ…」
「…っくそ、だったら、やってみろよ!」
私を担いでいた男がむくりと立ち上がり、路傍の影へ突進していく。
「危ない!」と叫ぶ前に、ドサリと重たい音が響いた。
「…へ?」
男を殴った事で一歩踏み出た影。
魔法でただの炎よりも煌々と輝く光が照らすのは、月光を煮詰めたような銀髪。
そして彼の開いた首元からチャリ…と音を立ててぶら下がったネックレス。
「それ…お前、白豹騎士団の、」
茶髪の青年の言葉に、賭け事を始めようかと小銭を取り出していた人波が一気に引いた。
牙を剥き出しにする獣の彫られたそれは、特にこの辺りで悪さをする連中が恐れるもので。
「おい逃げるぞ!っくそ、」
「なぁ起きろよ!」
「良いから置いてけバカ!」
眩暈を堪えるように倒れていた2人の俊敏さが増して、一目散に走り出す。
残された茶髪の青年が倒れた男に駆け寄るけれど、首根っこを掴まれて路地へ引き摺られていった。
「…」
言葉も出ない。
手負いを覚悟していた数分前が遠く感じて、周囲の憐憫も霧散している。
それほどまでに、今目の前に立つ彼は頼もしかった。
「えっと…大丈夫?」
「ぁ、はい、」
差し出された分厚い手を取って立ち上がる。
見上げた筈の彼の顔が一瞬で視界から消え、砂埃で白くぼやけたチャコールグレーの裾を払ってくれていた。
「ぇっ、あっ!?すみません!」
ボタンを惜しげもなく外された綿のシャツからシルバーのチェーンと緩く曲線を描く胸筋が晒され、慌てて顔ごと目を逸らす。
「あぁいえ、怪我は無い?」
「は、はぃ…」
伏せた顔に掛かる長めの前髪がさらりと揺れて、そこから覗く双眸はラピスラズリのように息を呑む程深みのある青だった。
「…っ、」
心地良いテノール。
何の変哲もない街灯が煌びやかなスポットライトと化す容姿。
まるで王子様だ…なんて柄にも無い事を考えそうになる。
「ん?」
「ぅひ、」
思わず熱を持つ頬を髪で隠そうと俯いた途端、ひょいと上げられた宝石とマッチアップしてしまい面食らった。
やだ変な声出た、おかしな女だと思われたらどうしよ「って、あらやだ!アタシったらこれセクハラ!?違うのよ、折角可愛いフレアが汚れちゃってたから…!ごめんね、アイツらと一緒じゃないのよぉ!」
「…え゛」
耳を劈く、焦り倒して上擦った声。
節榑立った指に覆われる頬は少女のように紅潮していて。
さっきのド低音は?
屈強な男を殴り飛ばした雄々しい貴公子は?
国王直属の騎士様は?
「え…?」
「あ、アンタに下心なんてこれっぽっちも無いわよ!?アタシだって襲われる怖さくらい解るんだから!」
いや、あんた絶対全てを薙ぎ払えるだろう。
怖いって最後にいつ思ったか言ってみな?
どれだけ脳内が回転しても口が回らなくて、幼子のような疑問符しか出てこない。
反応しない私に見切りをつけたのか、潤んだラピスラズリは私の服装を見回して。
「あら可哀想に、編み込みまで解けちゃって…。ほんとアイツら許さないわ、ベルトでも引きちぎっておくんだった」
「っ怖、」
「え゛っ、怖い!?アタシ怖い!?」
「ひっ!?」
やっと零れ出た呟きはなんとも色気の無い上に失礼極まりなくて。
か細くくすんだそれに目敏く反応したギラつく宝玉がぐるんと向いて肩が跳ね上がった。
「ごめんねぇ、そんなつもり無かったんだけど…。アンタにしてみたらアタシだって男よね、配慮出来てなかったわ」
「ぁ、いえ、そんな…」
みるみるうちにしょもりと萎びてしまった美丈夫を宥めたいけれど、まだ頼もしさと口調の乖離に脳の処理が追い付かなくて。
「ぇ、えっとぉ…あっ!ご飯行きます!?」
「へっ?ご飯ってアンタ…本気?」
しどろもどろなフォローでは意味がないと悟った頭は、相変わらずショートしていたらしい。
けれどパッと水晶のような涙を散らしてこちらを見てくれた瞳には好感触なようで。
「そ、そうですよ!お礼に奢らせてください、命の恩人なんですから!」
「いや…助けるのは当然のことだし、別に良いんだけど」
私の事、怖くないの?
その呟きは今にも泣きそうな迷子のようで、はらりと石畳へ舞い落ちた。
数分しか話していない私でも分かる。
この脆さは、彼が滅多に零さない一部なのだろうと。
「ぁ…ごめんなさいね、とにかくお礼なんか良いから!ちゃんと明るい所歩きなさいよ。大通りまで送ったげる」
「ま、待って!!」
「っえ?」
ハッとした表情と共にそそくさと去ってしまいそうな背中を追って、辛うじて生地の余る腰元のシャツを鷲掴んだ。
びくともしない体幹はちゃんと止まってくれる。
「よければご飯、行きましょう!凄く強かったから驚いたけど、怖くなんかないですから」
…そんな顔で、帰せないですよ。
初めてしっかりと見据えたラピスラズリに届けと願いながら、一音一音しっかりと発音する。
シャツに皺が寄ったら大変だと思うのに、どうしてもギリギリと締め付ける指を緩められなくて。
「…アンタ、イケメンね」
「恩人さんには劣りますよ」
漸く柔らかい笑みを浮かべてくれた恩人を伴って、取っていた宿に近い酒場へ足を踏み入れた。
「何が良いです?あ、お酒呑めますか…?」
「舐めないでよ〜?あ、1杯目はフロッタルエールで」
「激甘のやつじゃないですか!度数高いし!」
「良いの良いの!可愛い子助けられてアタシご機嫌なんだから」
今だけなら忘れられるかもしれない。
たった1人になってしまった旅路も、治安の悪い路地裏も。
飲み屋のランプより眩しく咲く笑顔を前に杯をぶつけると、自然に唇の端が天井を向いた。
_________命の恩人のイケメン騎士様は、愉快で最強なオネエだった
迷う前に8ってしまえ 紫桃こうへい @shitou-kouhei
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