第41話 凛人と意外な才能


 

 ガレリオ楽団による合唱の披露は──ただひたすらに、凄まじかった。


 

 演奏が終わった後もしばらく、誰も何も言えなかった。


 

 風が通り抜ける音だけが、しばし広場を支配する。


 

 やがて、どこからともなく始まった小さな拍手は、

 次第に周囲に広がり──


 

 気がつけば、万雷の拍手となって場を包み込んでいた。


 

 声を上げる者もいた。

 両手を高く掲げ、涙を拭う者もいた。

 

 凛人も、ただ立ち尽くしていた。

 今の合唱が、魔法なしの“ただの音楽”だったという事実が、

 なおさら彼の心を震わせていた。


 

「……なんなんだよ、今のは、……クソッ!」


 

 近くで聞こえたのは、マクシムの声だった。


 

 中世ヤンキーとでも呼ぶべきその風貌に似合わず、

 目のふちを赤く染め、鼻をすすっていた。


 

 泣いていた。普通に。


 

 ……にもかかわらず、全身からは異様なオーラがにじみ出ており、

 その迫力にびびって後ずさる生徒もいたほどだ。


 

 そんな中で、マクシムはぽつりと、誰に言うでもなく呟いた。


 

「……ガレリオ様は、凄すぎるぜ……」


 

 凛人の耳には、はっきりと聞こえていた。


 

(……こいつ、萌えキャラだな)


 

 真顔で毒を吐き、涙を流して照れもせずに褒める。

 ツンデレどころか、ただの“情緒の大渋滞”である。


 

(……ツンデレが酷すぎる。駄目だ、なんかコイツ愛着湧いてきちゃったぞ)


 

 そんな思考に浸る間もなく、次の授業の鐘が鳴った。


 

 

 ◇


 

 続いて行われたのは、学院での算術の授業だった。


 

 が──これは凛人にとっても、ある意味で衝撃的だった。


 

 教師が教える内容は、せいぜい算盤(そろばん)や日常商取引に使う“実用算術”。

 数の加減乗除(たし算・かけ算など)に加えて、簡単な面積の求め方や利率の話。


 

 凛人の世界でいえば、江戸時代の寺子屋よりやや進んでいるかどうかといった印象だった。


 

 比例や分数の概念は曖昧で、

 小数や負の数に至っては、ほとんどの生徒が首をかしげる。

 黒板に描かれる幾何図形も、どこか歪んでいた。


 

 そして何より──教師すら、それ以上の数学を知らなかった。


 

(……この世界、数学はまだユークリッドとインド数字止まりか?)


 

 頭の中で、大学受験時代に覚えた「数IAIIB」あたりの知識が自動的に比較されていく。

 ベクトル、関数、三角比、対数関数、整数論、確率、微分積分の片鱗もない。


 

 凛人は地方国立大学の工学部出身。

 とびぬけた数学者でもなんでもない。

 だが、ルネサンス初期の数学と比べれば、まるで未来人だった。


 

 この教室において、彼はまさに──無双状態だった。


 

 「三角形の面積は……底辺×高さ÷2です」

 「直角三角形の斜辺? 三平方の定理って知ってます?」

 「正負の数は、温度計で説明するとわかりやすいですよ」


 

 当たり前のように語る凛人に、教師は目を見開き、

 生徒たちは完全に呑まれ、誰も何も言えなかった。


 

 「何故そうなる...?何でそんな式が成り立つ...?」


という教師の問いには答えられない。

式の丸暗記だから。



 けれど、問題に対するアプローチ、解法の手筋──

 すべてが、時代を何世紀も飛び越えた“現代日本の数的思考”だった。


騒ぎを聞きつけた教師たちが集まりだし、ついには学院長であるガレリオまでやってきて驚いている。


 

 ふと、教室の隅に座っていた

 クロヴィルナと目が合った。


 

 ついさっきまで「腑抜け」とまで言っていた彼女が、

 今は凛人を、まるで別の生き物でも見るような目で見つめていた。


 

 目を見開き、口元に手を当て、

 その目は、まるで動揺と……困惑すら含んでいるようだった。


凛人の算術の凄さはクロヴィルナの理解の域を超えていたが、


何せ彼女は領主家であるフィオラリス家を守るべき家系、絶対の忠誠を誓っているはずだ。

その領主家の中でも──元領主であり王国随一の賢人と称されたガレリオが、凛人の知識に目を見張った。

それはクロヴィルナにとって、どんな理屈よりも重い“評価”だった。




そして、凛人と目が合ったことに気づくと、サッと気まずそうに目を逸らした。

 

(あれ?あれれれれ? どうしちゃったのかな? オレのこと見直しちゃったりしたのかな?)


さっきの苛立ちを思い出すと、つい意地悪な気持ちも顔を出す。


羞恥なのか、怒りなのかクロヴィルナの頬が紅潮しているようにも見える


(さっきはあんなにムカついていたのに...)


(ええ...と、何だか急に可愛らしく見えてくるもんだな...)




これ以上騒ぎになると、凛人の今後が非常に面倒くさくなりそうな気がしてきた。


(オレは数学で無双できたとしても嬉しくないんだよ。そもそも、オレがすごいんじゃなくて現代まで続く数学者達がすごいだけだ)


(どうせ異世界なら、もっと剣と魔法と音楽で無双して、楽しくやりたいんだよ)


さっさとミコト村に向かうしかないと決心する凛人であった。


-


「善は急げ、だな……」


凛人は一人、呟いた。


学院での出来事を経て、彼の中ではひとつの決心が固まっていた。


──神韻魔法の訓練は受けたいが、目立ちすぎて居心地が悪い。さっさとお預けになっていたミコト村調査に行こう。


音叉のこと、転移の手がかり、神韻魔法の根源。

ミコト村というなぞの多い村には、何かある。凛人と深く関係のある何かがあるはずだ。


学院長たるガレリオには出発の旨を伝えに行ったら、ちょうどマーヤがいた。


ミコト村に行く予定を話し合い、凛人はそそくさと逃げるように学院を後にし、ミコト村出発の準備をまとめることにした。




そして──旅立ちの朝。


 


凛人は、まだ夜の名残が残る空の下、馬の背に荷物をくくりつけていた。

指定された待ち合わせ場所は、城下町の東門前。


街の朝は意外と早く、あちらこちらで小さな灯りが揺れ、働き始めた人々の姿がちらほらと見える。

パンを焼く匂い、井戸水を汲む音、誰かの笑い声。それらが遠くで混じり合っていた。


(……なんか、“生活”って感じだな)


荷を確認しながら思う。こういう何気ない空気は、異世界に来てからこそ、やけに心に残るものだった。


 


やがて東門が見えてきた。


そこに、見慣れた赤毛の髪──マーヤの姿を認めた凛人は、手を挙げて声をかけようとした。

だが。


「……うぇ?」


思わず変な声が漏れる。


マーヤの隣に──あの金髪シニヨン。鋭い目つきと、どこか居並ぶ者を睥睨するような立ち姿。


クロヴィルナが、いる。


 


(なんで!?)


混乱する思考をよそに、視線を巡らせる。


その右隣──やたら陽光が似合いそうな金髪筋肉美青年、リオ。さらにその向こうには──


「マクシムゥ!?」


と思わず声が出そうになって、凛人はあわてて口を押さえた。


 


全員、旅装束だ。


マーヤ以外も、しっかりと荷物を背負い、旅用のブーツを履き、馬を連れている。


──これは、どう見ても、


「リオはともかく!何でコイツらまで……!」


 


凛人は思わず天を仰いだ。

そこには、白んできた東の空が、じわじわと朝日を押し上げていた。


 


(……マーヤと2人の旅じゃなかったのかよっ!)


──彼の“静かでのんびりしたミコト村調査旅行”の計画は、どうやら開始前から破綻しているようだった。


 


──何とも困難な旅になりそうな予感がする

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