第40話 凛人と悪役令嬢
「わたくしは、クロヴィルナ・アデル・ド・ヴィルブランシュ。
領主家をお護りする家の娘よ」
ふわりと揺れる、巻きすぎないフレンチウェーブの金髪。
太陽の光を受けると、ハチミツ色の艶が微かにきらめく。
髪はゆるく結われ、優雅にまとめられたシニヨンへと流れていた。
その金の光の下で、彼女はごく自然に、上から見下ろすような視線を向けてくる。
「あなたのこと、詳しくお聞かせくださいまし。
わたくしが──あなたを品定めして差し上げますわ」
「……は?」
「いいえ、わたくしにはその義務がありますの。
マーヤ様と行動を共にするに値する男なのか、見極めねばなりませんもの」
「は、はぁ……」
(……なんか面倒くさそうだな)
思わず溜息混じりに漏らした声に、彼女はぴくりと眉を上げる。
「……なんですの? その気のない返事は」
返答に困っていると、今度は少し首をかしげた。
「あなた、おいくつでして?」
「えっと……三十歳ですけど?」
瞬間、クロヴィルナの表情が凍りつく。
「…………!!!?」
(なんだ、その未知の生き物でも見たような目は!?)
この世界に来てからというもの、年齢の話になるたびに、なぜか妙に驚かれることが多い。
(日本人は実年齢より若く見られるって言うし、そういうことか?)
三十歳──若者というにはやや厳しい年齢だとは思っていたが、こうも若く見られるなら、それはそれで悪くない。
(まだまだ、オレも“若者枠”でいけるってことか!)
と、少し浮かれていたそのとき。
「三十歳にもなって、そのように腑抜けた締まりのないご様子……
いったい何を拠り所に生きてこられたのかしら?」
ズバリと切り捨てるように言われたその言葉は、凛人の心を確実に刺した。
冷ややかで、どこか同情するような瞳。
けれど、それ以上に──まるで本当に「理解できない」と言わんばかりの目で見つめてくる。
(ぐっ……これは……)
「……こういう顔なんだよ」
「いいえ、わたくしが言っているのは“顔の造形”のことではありませんわ」
言葉の芯は、思ったより深かった。
「覚悟──ですわね」
クロヴィルナはわずかに視線を落とし、言葉を選びながら続けた。
「あなたからは、“覚悟”というものがまるで感じられませんの。
だから、そんな腑抜けた顔をしていられるのでしょう?」
その瞬間、凛人はうっかり反射的に口にしてしまった。
「オレは、貴族じゃねぇよ」
言ってから気づく。ミコト語──日本語で出てしまっていた。
「……それは、違いますわね」
「……え?」
だが、驚くべきことに、クロヴィルナはその言葉を理解し、ミコト語で話してくる。
やはり、貴族はミコト語を理解している者が一定数いるのかもしれない。
ゆっくりと、まるで祈るように──彼女は静かに言った。
「どんな世界に生まれ落ちようと、
どれほど不遇な境遇であろうと──
人としてどう生きるのかを選ぶことだけは、自分にしかできませんの」
「生まれなど、ただの始まりに過ぎません。
大切なのは、その後をどう生きるかという《覚悟》。
そして、その覚悟に恥じぬよう生きるという《矜持》ですわ」
「わたくしはそう教えられて、今まで生きてまいりましたの。
そして、そう生きるべきものと信じておりますの」
返す言葉がなかった。
凛人の言葉は、なんとも小物じみていた。
それに対して、彼女の言葉には、まるで生き様そのものが宿っていた。
(……負けた)
言葉にできない。
だが、胸の奥で確かにそう感じていた。
凛人は何も言えず、ただその場に立ち尽くしていた。
「いずれにせよ、あなたという御方を──しかと見極める必要がありましょう。
マーヤ様、そして我が主たるフィオラリス家のために。」
そう言い残し、クロヴィルナはすっと教室を後にする。
残された凛人に、周囲の生徒たちが声をかけた。
「……災難だったね」
中には笑いながら慰めてくる者もいたが、
マクシムだけは小さく呟いた。
「あいつの言ってることも、間違っちゃいねーけどな」
(……そうだな。きっと、一理あるんだよ)
腹は立っていた。めちゃくちゃに。
だが、それを顔には出さず、声にも出さなかった。
それくらいの分別は、大人になった今の自分にはある。
──けれど。
この世界で出会った人々の目つき、言葉、生き様。
自分とは根本的に“何かが違う”という感覚は、確かにあった。
(クロヴィルナの言っていたことも、たぶん間違ってない。……でも)
うまく説明できない。
わかってもらえるとも思えない。
ただ、その違和感だけが心に残った。
そんな思考を振り払うように、次の授業の知らせが届く。
今日は特別授業。
学院の広場、ステージ前に集まるようにと告げられた。
凛人はマクシムと並んで、広場へと向かう。
◇
ステージ上に現れたのは、老紳士ガレリオ・ドミニク・フィオラリス──
元侯爵にして、王国一の神韻魔法の使い手と称される男だった。
その背後には、十人ほどの合唱団が控えている。
どの顔も年齢は高めで、四十代以上に見えた。
先ほど剣術を教えていた教師の姿もある。
「王国が誇るガレリオ様の楽団だ。滅多に見られるもんじゃない!」
「しっかり目に耳に焼き付けて、お父様お母様に伝えなきゃ!」
生徒たちは沸き立ち、興奮した様子でステージを見守る。
やがて──沈黙のなかに第一声が響いた。
それはアルス・ノーヴァ。
遥か昔の時代に編まれた、重厚な合唱曲。
神韻魔法は使われていない。
ただの「合唱」だ。
だが、それゆえにこそ、純粋な“音楽”としての力が、場の空気を震わせた。
響きが重なり、声が重なり、時に溶け合い、時にぶつかりながらも、
一つの荘厳な流れを生み出す。
ただの旋律ではない。
それは“魂に触れる音”だった。
生徒の中には、感動のあまり涙を流す者もいた。
凛人もまた──そのひとりだった。
知らない曲のはずなのに、どこか懐かしい。
遠い昔、あるいは記憶の底、夢の中で聴いたことがあるかのような錯覚。
生の声。
生の響き。
空間を満たす、圧倒的な音の存在感。
(……凄まじい)
声にならなかった。
言葉で表せない。
凛人の持つ語彙では、この“奇跡”を形にする術がなかった。
ただ、そのすべてを心に焼きつけた。
少し離れた場所から、クロヴィルナが静かに腕を組み、
合唱に聴き入る凛人を見つめていた。
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