第22話 名誉の盾と、命の歌 その5

「もっと速度を上げられないのか!?」


凛人はカイルの背にしがみつきながら叫んだ。

騎獣の蹄が森のぬかるんだ道を蹴り上げ、深夜の冷気が顔を斬るように吹きつけてくる。


「無理だって! 馬が転んだら、そこで終わりだ!」


「頼む……嫌な予感がするんだ。もうすぐなんだろ!? すぐそこなんだろ!」


 見えない何かに値踏みされているような感覚が、夜の森から突き刺さる。

恐ろしい……それでも、マーヤたちのことを考えると足を止めていられなかった。


次の瞬間――廃村が見えた。

焚き火の灯り、金属音、怒号、悲鳴。


空気が、一瞬で“戦場のそれ”に変わった。


 


「う、わ……こ、こんな……」

カイルの声が震えた。


火の粉が舞い、剣が飛び交い、人が倒れる。

血と恐怖と叫びが渦巻く地獄の光景。


「……っ!」


 


その中で、凛人は見つけた。

「マーヤ……!」


人質小屋の方へと引きずられる少女。

顔面蒼白、肩が激しく上下している――


 


「止まってくれ!」


凛人は馬から飛び降りた。


「おい、リ、リント! ダメだ、行かせられない!

ご、ごめん、変なお願いして……

……もし、リントまで死んだら、俺、もう……!」


カイルの懇願は、戦場の現実を受け止めきれぬ少年の叫びだった。


 


凛人が怖くなかったわけではない。

むしろ、心臓は今にも破裂しそうだった。


 


移動中ずっと想像をしていた。


(これから行くのは、人が殺し合ってる場所だ。

映画みたいな惨劇が、目の前で起きてる。

知ってる奴の死体が転がってるかもしれない……)


覚悟をするために。


(いい。怖がって当然だ。

想像しろ、できるだけリアルに、できるだけ悲惨に……)


(それが、情けない自分を知ってる“おっさん”の覚悟の仕方だ)


 


「隠れてろ、カイル。絶対に動くな」


そう言い残し、凛人は駆け出した。


 


驚くほど足は軽く動いた。

妙に冷静だった。


戦場の叫び、剣の衝突音、すべてが遠く感じた。


 


小屋ではない――向かうのは敵陣の側面、森の陰。


(近づきすぎなくていい。

駐屯地で試したとき、あんなに遠くの馬にも影響が出た。

無理はするな。とにかく“バレないように”)


 


木の陰に身を潜め、敵陣を目視で捉えた瞬間――

凛人は、胸元の音叉デル=ハンを強く握りしめた。


 


震える指。乾いた喉。

だが、深く息を吸い込むと、静かに呟いた。


 


「これは……ライブだ。バンドのライブと変わらない」


アウェイの会場でも、観客が数人でも、彼は歌ってきた。

どんなに苦しくても、最後の一音まで――。


 


(俺は……過酷な“演奏環境”には耐性あるんだ)


 


敵の姿を目に焼きつける。

目を閉じ、音叉を唇に当て、そっと歌い始める。


 


「迷い始める……」


神韻魔法――

凛人の歌が、静かに森を満たしていく。


 


光の粒が線となり、彼を中心に揺るがぬ模様を描いた。


震える旋律が空気を震わせ、囁きのように奴隷狩りたちの耳元へ忍び込む。


 


「……あれ? なんだ、これ……?」

「う……ん? 何してたんだっけ……?」


 


奴隷狩りたちが動きを止め、周囲をきょろきょろと見回す。

頭を抱える者、虚空に剣を振る者、うわ言のように祈る者――


 「馬がっ……暴れてるぞ!!」


繋がれていた馬が杭ごと引き抜き、敵陣へと突進した。


 

突如として生まれた動揺。

それは、敵の隊列を完全に揺らした。


 


「……今だ!! 押せ!!」


グラの咆哮が響く。

警護団が一斉に前進。

混乱に乗じて、前線を押し戻した。


 


戦場の流れが、変わった。


 


その隙を突いて、凛人は大きく迂回しながら人質小屋の裏手へと走った。



(やべぇ、怖い、怖すぎるよこれぇぇえ!)



マーヤの姿を目にした瞬間から、“遠くから支援”なんていう生ぬるい覚悟は、突風に吹き飛ばされた紙くずのように消えていた。


そこには――


「……リ、リント!? なんで……!?」


剣を構え振り返ったのは、リオだった。


 


「話は後だっ!」


息を整えながら、凛人が叫ぶ。


「お嬢が……様子がおかしいんだ!」


 


リオはうろたえ、どうすればいいのか分からない様子で見守っていた。


 


マーヤは地面に座り込んでいた。

両腕で膝を抱え、俯いたまま、小刻みに肩を震わせている。


目は見開かれ、焦点が合っていない。

唇がかすかに開き、浅い呼吸を繰り返していた。


 


「……マーヤ?」


声をかけた凛人は、思わず息を呑む。


彼女の胸は異様な速さで上下していた。

呼吸が浅く、速い――それが止まらない。


まるで、肺が過剰に働いているようだった。


頬には色がなく、手の指先がわずかに痙攣しているのが見えた。


 


(こ、これ……過呼吸……か?)


 


凛人の頭に、昔読んだ医療マンガや、深夜ドラマのワンシーンがよぎる。

床に座り込み、うずくまり、肩を上下させて荒い呼吸を繰り返す登場人物――


それと、今のマーヤの姿が、恐ろしいほど重なった。


 


彼女は完全にパニックの中にいた。

目は見開かれ、焦点が合っていない。

声も届いていない。


ただ、怯えた小動物のように、そこで震えていた。

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