第23話 名誉の盾と、命の歌 その6

マーヤの肩が、激しく上下していた。


目は見開かれ、視線は宙をさまよっている。

唇が震え、何かを言おうとしても声にならない。


(これは……過呼吸だ)


凛人はすぐに理解した。

呼吸が浅く早くなり、酸素が過剰になって意識が混乱している――典型的な症状だった。


「リオ! 水の袋、貸して!」


「えっ? あ、ああ、これだ!」


リオが差し出した皮袋を受け取ると、

凛人は手早く水を少しだけ残して中身を捨て、袋の口をわずかに開けた。空気が入るように。


――現代ではもう推奨されていない方法だが、今はこれしか思いつかなかった。


「マーヤ、これに口をつけて……そう、吸って、吐いて。吸いすぎないで……ゆっくり。俺の声だけ聞いて……!」


袋の口を少し折って空気を入れ、そっとマーヤの口元へ近づけた。


彼女は最初、袋を押し返そうとしたが――

凛人の真剣なまなざしに、わずかに動きを止めた。


「ゆっくり……そう、吸って……吐いて……そのまま……」


凛人は彼女の呼吸に合わせて、自分の胸を上下させた。

呼吸のリズムを目で伝えるためだ。


次第に、マーヤの息遣いが浅く速いものから、

深く、ゆっくりとしたものへと変わっていく。


肩の震えが和らぎ、強張っていた指先も緩んでいった。


「……り、凛人……? 何であんたが…ここに…?」


ようやく焦点を結んだ瞳が、凛人をとらえた。


「お嬢……!」


「大丈夫だ。よく戻ってこられたな」




マーヤは小さくうなずき、瞳にうっすらと涙を浮かべた。

まだ不安げに、かすれた声で言う。


「……ごめん…なさい……私、歌えなかった……声が、出なかった……また……」


凛人は、優しくうなずいた。


(たぶん……これはPTSD。こっちの世界でも、そういう名前があるかは知らないけど)


「無理に歌わなくていい。お前は今、戦える状態じゃなかった。怖かったんだろ? それは、悪いことじゃない」


そう言って、彼はそっとマーヤの肩に手を置いた。


「でも――マーヤ。お前にしかできないことがある。

今、戦場に必要なのは“神韻魔法”じゃない。“指揮官”だ」


「警護団のみんなは、お前を信じて戦ってる。

だから必要なのは、みんなを落ち着かせて、前を向かせる存在だ」


「オレに、ひとつアイデアがある」


今この場に必要なのは――

戦場でもよく通るマーヤの声。

そして言葉通り、警護団に「前を向かせること」そのものだった。


困惑するリオと、迷いの残るマーヤ。

まだ彼女は完全には落ち着いていない。自信もないように見える。


そんな彼女に、凛人は、ちょっとわざとらしいほどに笑ってみせた。


「こういう時はさ――

オレの世界で、伝説の勇者が自分を奮い立たせる時に言った言葉があるんだ」


「勇気……勇気爆発だ!!」


思わず照れくさくなるような言葉。

でも、今必要なのはこんなストレートな言葉だと思った。


「……勇気、爆発……?」


ぽかんとした表情のあと、マーヤの頬がわずかに上がった。


「…ふっ、なに? 爆発って…バカじゃないの…?」


それは、ひどく照れくさそうな、でも確かな笑みだった。


マーヤの中の迷いがふっと途切れた。

恐怖も、後悔も、すべてを吹き飛ばすような、シンプルな言葉。


今必要なのは――勇気。それだけだ。


シンプルな思考が、彼女の心をまっすぐに整えていく。


「……わかった。行こう!!」


低く、だが力強く言い、マーヤが立ち上がった。

その瞳には、確かな意志の光が宿っていた。

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