第9話 囚われの旅人と語らいの時人


「ひどいっ……ひどすぎるよおおおおお!!」


 


 大人である凛人が鼻水を垂らしながら、少女に泣き叫んでいた。


 


* * *


 


 どういう手違いか、勘違いか。リオから城の兵士に引き渡された凛人は、そのまま牢に連れて行かれた。


 


 どうやら、「奴隷狩りを捕らえた」という報告が先にあり、見るからに怪しい魔法使いポンチョ姿の凛人は、あっさりとその一味と誤解されたらしい。


 


 看守が凛人に何か話しかけてきたが、その言葉は理解できなかった。笑ってごまかすと――次の瞬間、殴られた。


 


 そこからはもう散々だった。何度も殴られ、牢に入れられたかと思えば、今度はそこにいた囚人に「ついで」のように殴られた。


 


(看守が殴ってたから、殴っていいとでも思ったんだろ……)


 


 凛人は漫画で読んだ「囚人のカースト制度」を思い出した。


 


 それがファンタジー世界でもあるなんて……夢がなさすぎる。


 


 看守が感情的になるのは、まだわかる。奴隷狩り被害者の家族だったのかもしれない。


 


 だが――囚人は違う。ニヤニヤしながら殴ってきたあいつらは、絶対に“ただの八つ当たり”だ。


 


(絶対に許さねぇ……絶対に、だっっ!)


 


 凛人は四つん這いになり、悲しみと恨みと涙と鼻水がごちゃ混ぜになった顔をマーヤに向けた。


 


 マーヤはまばたきを数回し、無言で一歩後ずさった。


 


「え……えっと……ご、ごめんなさい?」


 


 ドン引きしながらも、マーヤは困惑した表情で謝った。


 


* * *


 


 グラが凛人を背負い、来客用と思われる綺麗な部屋へ運んでくれた。


 


 そこで凛人は召使いたちに体を拭かれた、気がする。もう意識が朦朧としていた。


 


(あの女……俺なんて牢屋で十分って思ったに違いねぇ……)


 


 許さない。


 


 そう思っていたのも束の間、マーヤが部屋に現れ、癒しの神韻魔法をかけてくれた。


 


 ポンチョは、後で洗って返してもらおう。お気に入りなんだ。


 


 ぼんやりした頭で、畳まれたポンチョを見つめながら凛人は思った。


 


(風呂……入りたい……サウナも……)


 


 今の凛人に必要なのは、考えることを放棄できる場所。そう、サウナと水風呂、整いチェアーだ。


 


 一度思い出すと、欲求は止まらない。現代日本でもそうだった。


 


 仕事に疲れたとき、イライラがたまったとき――帰り道にあるスパで、サウナ。


 


 サウナ→水風呂→外気浴。これをちょっと多めに4セット回して。


 


 特に好きだったのは、あの「寝湯」。


 


 仰向けに寝転がって、頭を固いまくらに乗せる。背中側だけを温めるあのお湯。


 


 熱めのお湯が流れ、身体の半分しか浸かってなくても寒くない。


 


 サウナ4セット後の寝湯は、もう、極上だった。うとうと、でも完全には寝ない。あの感覚が最高なのだ。


 


――そして今、マーヤの癒しの魔法が、まさにそれだった。


 


これは……“寝湯”だ。


まさに、極上の寝湯そのもの……!


 


 湯気に包まれるような魔法の余韻。肌の表面だけでなく、骨の芯まで溶かされていく感覚。


 


「ぜんぶ……許す~~~……」


 


 凛人はほやっほやになった顔で、寝湯のような心地に沈んでいった。


 


* * *


 


 しばらくして、リオが迎えに来たときには、マーヤの姿はすでになかった。


 


 凛人はまだ夢うつつの中、幸せな寝湯気分を味わい続けていた。


 


 昼過ぎの陽光が屋敷の回廊に差し込み、天井に吊るされた小さな風鈴が、風に揺れて静かな音を奏でていた。


 


 リオに案内され、凛人は奥まった回廊を歩いていた。屋敷の喧騒から切り離されたような一角。


 


 回廊の先にある鉄製のアーチの向こうには、やわらかな光に包まれた空間が広がっていた。


 


「この時間は、じいさまのティータイムさ。勝手気ままの生活だよ。君に話を聞きたいってさ」


 


 冗談めかした口ぶりではあるが、リオの声音には敬意がにじんでいる。


 


 彼は先ほどの軽装から、フィオラリス家の騎士服に着替えていた。


 


 黒を基調にした上質な布地に、肩章や銀飾りが映える格式ある装いだ。だが、彼の砕けた笑みと歩き方は、相変わらず親しみやすい。


 


 鉄のアーチをくぐると、そこは一風変わった庭園だった。


 


 パーゴラ状の天井には、アイアンの装飾。蔓草が絡み、昼の陽光を柔らかく遮っている。


 


 つたの隙間から注ぐ光は、木漏れ日のように地面にまだらな陰を落とし、石畳の苔や鉢植えの草花にやさしく降り注いでいた。


 


 風に乗って香るのは、ハーブや果実の微かな香気。


 


 美しく咲き誇る植物の合間を、数羽の小鳥たちが忙しなく行き交っていた。


 


 庭の奥、蔦に包まれた鉄製のアーチの下に、深緑の円卓と椅子が並んでいる。そこに、すでに二人の姿があった。


 


「ガレリオ=ドミニク=フィオラリス。グレイヴェルンの音律を守り抜いた男にして、我らが元領主様。今はただの茶飲み爺さんです」


 


 リオがからかうように紹介すると、老人はふふっと笑った。


 


「おや、ずいぶん威厳のない紹介をするものだな、リオ。

――よく来てくれたね、客人よ。まあ、座って。茶の香りはまだ逃げてはいないはずだ」


 


 その瞳に見据えられた瞬間、凛人は背筋が自然と伸びるのを感じた。


 


 親しげな笑みの奥に隠された観察眼と威厳――“見透かされる”ような感覚があった。


 


 白銀の髪は丁寧に後ろへ流され、顎には整った髭をたくわえている。


 


 濃紺のローブの上に、手織りと思われる薄手のショールを羽織り、背筋を伸ばして紅茶の湯気に目を細めていた。


 


 その佇まいはまさに“貴族”のそれでありながら、どこか学者のような知性と遊び心を感じさせる雰囲気を纏っている。


 


――彼こそが、神韻魔法の達人であり、グレイヴェルン侯爵領の元領主。そして、今は隠居の身ながらもなお、領内外に影響を持つ人物。そして、マーヤの祖父。


 


 凛人はリオに聞いていた説明を思い出した。


 


 そしてその隣にいたのは、凛人の知る少女――マーヤだった。


 


 だが、その姿に凛人は思わず息を飲んだ。


 


 武具を身につけていた旅装から一変し、淡い青のドレスに身を包んだマーヤは、まさに“お嬢様”そのものだった。


 


 肩までかかる亜麻色の髪は柔らかく巻かれ、首元には真珠のような小さな飾りが揺れている。


 


 レースの袖が動くたびに日差しを透かし、花の香りが漂ってくるようだった。


 


 さっきまでとは打って変わって、マーヤの態度には“フィオラリス家の令嬢”としての品格が漂っていた。


 


 その姿はまさに“お嬢様”という言葉そのものであり、凛人の胸に一瞬、言葉にならないざわめきが広がった。


 


「ようこそ、リント」


 


 マーヤがやわらかく微笑む。


 


「あの、さっきはごめんなさいね…」


 


「いや、もういいよ」


 


――もう許したし、いいけど。


 


 少し拗ねた気持ちで、凛人はそう思った。


 


「お祖父様に、あなたのことを話したら、すぐにでもお会いしたいと仰って。――ユル=ノトの件と、あなたについて」


 


「……君の魔法は、どうにも腑に落ちない。私のような偏屈な老いぼれには、実に面白い謎だよ」


 


 穏やかな声音でそう言ったのは、ガレリオ本人だった。


 


 顔には深い皺が刻まれていたが、その瞳にはまるで少年のような好奇の光が宿っている。


 


 あたたかな笑みの奥に、冷静な観察と論理が感じられる――この世界においては稀有な、理に生きる人物だと凛人は直感した。


 


「さて、僕の役目はここまでだね」


 


 リオが両手を挙げて一歩引く。


 


「じいさま、マーヤお嬢。あとはごゆっくり。――リントいい話になるとイイネ!」


 


 そう言ってリオは背を向け、軽やかな足取りで庭を後にした。


 


 そして、残された三人。


 


 紅茶の湯気がふわりと立ち上る中、ガレリオは凛人に優しく手招きをした。


 


「さあ、腰を下ろしなさい。話はゆっくりでいい。」


 


 昼下がりの陽だまりの中で、静かに時が動き始めた――。

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