第10話 迷いの詩と穏やかな庭園

昼下がりの陽光が、ガレリオの庭園をやわらかく照らしていた。



 


石造りのテーブルを囲み、凛人、マーヤ、ガレリオが腰かけていた。

マーヤは祖父の隣で安らいだ表情を見せ、凛人は湯気の立つ茶杯から視線を逸らせず、肩にわずかな緊張をにじませていた。


 


「ふむ……お主が奴隷狩りに捕まっていた時に使った神韻魔法のことだが──」


 


ガレリオが静かに切り出す。


 


「本当に、自分で作った旋律だったのかね?

どこかで聴いた覚えのあるメロディだったとか……お主の世界で昔から歌われているような、そんなものでは?」


 


凛人は黙り込んだ。

どこまで話していいのか。何を言えば、自分は守られるのか。

考えても答えは出ない。わからないことばかりだった。


 


──けれど、この老人は、なぜか信用してもいい気がした。


 


隠さず話そう。

信頼されるには、自分から心を開くしかない。

交渉できるカードなど、自分には何ひとつないのだから。


凛人は、あのとき奴隷狩りたちを混乱に陥れた旋律を思い出しながら、口を開く。


「絶対に、ないとは言いきれません。

でも……あんな不安定で歪んだ旋律、聞き覚えのあるメロディではないですね。」


 


目を伏せ、続ける。


 


「うまく言えませんが……すっと、心に落ちたんです。

初めて作ったメロディなのに、知っているような気がして──」


 


「歌詞も、自然に出てきました」


 


戸惑いと確信の入り混じった声で、言葉を継ぐ。


 


「この旋律しかない、そう思えたんです。

頭の中がぐちゃぐちゃになるのに……心地よかった。

満たされるような感覚で」


 


ガレリオは興味深げに頷いた。


 


「ふむ。よければ──その旋律、もう一度聴かせてくれないか?

ユル=ノトは使わずとも構わん」


 


少し戸惑いながらも、凛人は小さく息を吸って、口ずさむ。


 


「──迷い始める……」


 


だが、光の粒子は現れなかった。

魔法も発動していない。

あのときとは、明らかに違う。


 


(ユル=ノトがなければ、魔法は発動しないのか?)


 


そう思っていると、マーヤが口を開いた。


 


「この前はね、遠くの馬まで混乱してたの」


 


「警護団の兵士たちも、あれくらいじゃ普通は騒がない。

……おじいさま、やっぱりこれは神韻魔法だよね?」


 


ガレリオはしばし黙ったまま、遠くを見つめていた。


 


「神韻魔法とは、神々に捧げる祈りの歌で奇跡を呼ぶ、神聖な儀式だ。

古くからの旋律──神譜──を神に向かって歌うことで、力が宿るとされている」


 


そして、凛人に視線を向ける。


 


「だがお主のその”迷いの詩”は、古の歌かね?

あるいは、歌う時祈ったか?」


 


凛人は、首を横に振る。

マーヤも困惑した表情で祖父を見た。


 


「──ならばお主の起こした奇跡は、既存の神韻魔法とは異なる何か、ということになる」


 


その言葉には、重みがあった。


 


「神韻魔法に対する我々の理解を、根本から見直さねばならんかもしれん……」


 


それは誰に向けるでもなく、空へ漏れるような声だった。


 


「わしもな……ずっと、神韻魔法の定義に違和感を抱えていた。だから研究を続けてきた」


 


ふと、ガレリオは微笑む。


 


「実はな、一度だけ、新たな神韻魔法を自分で編んだことがある」


 


「……精霊の歌だね」


 


マーヤが静かに口を挟む。

ガレリオは頷いた。


 


「あれはこの地に伝わる童謡をもとにしている。

神への祈りとは関係ない旋律を、あえて選んだ。

子どもの頃から親しんできた歌で、歌っていると、本当に精霊が見える気がしてな」


 


「だが、それを魔法として成立させるまで、十年かかった」


 


凛人をまっすぐに見つめる。


 


「お主は、その”迷いの詩”を自分で作り、魔法に変えた」


 


低い声で告げる。


 


「……この意味が、わかるかね?」


 


マーヤが、小さく息を呑む。


 


「これは、我々だけの秘密にしておこう。

教会の連中に知られたら……厄介なことになる」


 


ガレリオの声に、微かな緊張が混じっていた。

それでも、いたずらっぽく笑う。


 


「……わしの精霊の魔法も、内緒にしといてくれな」


 


凛人は思わず笑いかけ──ガレリオの言葉に凍りついた。


 


「お主は──ユル=ノトと共に、こちらの世界に来てしまったのだろう?」


 


“こちらの世界”という言い回しに、凛人はどきりとした。


この老人は、凛人と同じように、“別の世界から来た”と解釈しているらしい。


 


マーヤは少し怪訝そうに眉をひそめた。


 


「ユル=ノト……あの音叉ですね」


凛人が言葉をつなぐ。


 


神韻具しんいんぐと呼ばれる道具がある。ユル=ノトも、そのひとつだ」


 


ガレリオが静かに語る。


 


「神韻魔法を使いこなすには、厳しい修練を経て、自らの魂と音が深く共鳴する瞬間を掴まねばならない。


神韻具はそのための“鍵”であり、魔法の力を媒介する“器”でもある」


 


ユル=ノトは、遥か昔に伝説的な名工が鍛えた最高傑作の神韻具だという。


今もなお語り継がれ、多くの者に畏れ敬われている。


「ユル=ノトは優れた神韻具で、これをきっかけに神韻魔法を使えるようになったものはたくさんいる。

お主が神韻魔法を使えるようになったのも、このユル=ノトのおかげじゃろう」


「そして、この優れた神韻具ユル=ノトは偶然か、あるいは運命か──マーヤと強く共鳴している。


まるでお互いがお互いを求め合うように、だ。


理由はわかっていない。

血筋かもしれんし、生まれた時からいつもそばに置き、触れ合っていたからかもしれん。」


 


ガレリオは慎重に言葉を選びながら続けた。


 


「仮に“世界を跨いで移動する”ことを《転移》と呼ぶとしよう。


お主に起こった転移──その前後に、何があったか思い出せるかね?」


 


「えっと……」


 


御茶ノ水の骨董屋で、場違いなほど惹かれた音叉──ユル=ノトを見つけた。


その後だったな。あの曲を完成させたのは。


それは、さまざまな旅を経て「自分のいるべき場所に帰る」──そんなイメージを持った、素朴なメロディだった。


複雑でも、奇抜なスケールでもない。


けれど不思議と心に染み入り、体にすっと馴染む旋律だった。



 完成した曲を口ずさみながら、

──ユル=ノトを、手でいじっていたな...



歌詞に「転移」なんて直接的な言葉はなかった。


けれど──


 


「いるべき場所に帰る、あの場所へ」


そのフレーズは、たしかに自分の心に強くあった。


 


(神韻魔法の発動条件……なんだった?)


 


ガレリオの言葉が蘇る。


 

“お主が神韻魔法を使えるようになったのも、このユル=ノトのおかげじゃろう”


“歌と魔法の効果を、明確に、強くイメージすること──”



──すべてのピースがはまり込んでいく感覚が、凛人を包む。



焦燥感のなか、すべてがつながっていく。

凛人の呼吸が浅く、速くなっていく。

 


最後に歌ったフレーズは──「あの場所へ」



その瞬間、光に包まれ、気づけば見知らぬ世界にいた。


 


……間違いない。


 


「オレは……“いるべき場所に帰る”神韻魔法を、ユル=ノトに対して使ってしまったんだ」


 


その魔法が導いたのは、ユル=ノトの“帰るべき場所”。


 


つまり──ユル=ノトが生まれた世界。


そして、マーヤという“お互いが求め合うように共鳴する者”がいるこの世界。


……それは、自分の意志ではなかった。

でも、あのときの自分は、確かにあの旋律を“歌った”──自らの声で。


凛人は呆然としたまま、搾り出すように呟いた。


「……オレ、自分で神韻魔法を使って、ユル=ノトごと……この世界に来ちゃったんだな……」

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