第8話 歌姫と異邦人

──火の海。

──音が、燃える。

──「逃げろ!」

血まみれの背中が、立ちはだかる。


音叉ユル=ノトに手は届かない。

指が動かない。

ヒューヒューと喉から漏れる空気。

声は出ない。


砦が崩れる。

兵の叫び。

マーヤの名。


誰も彼もが自分を責める。

泥の中の遺体。

騎士を送り出した母の涙。


ごめんなさい……

ごめんなさい……

ごめんなさい……


マーヤは息を荒くして目を覚ました。

頬には涙。指先は微かに震える。


「ユル=ノト……!!」


寝具を跳ね除けて探す。

毛布の下、枕の脇、ポーチの中――


……けれど右手の中にあった。


失うことへの恐怖か、いつのまにか音叉ユル=ノトを握ったまま寝ていたようだ。




その事実が、胸に重くのしかかる。

静かに胸に抱いて、目を閉じた。


「戻ってきたら来たで、複雑なものね……」


震える声でつぶやく。

「これでまた……誰かが死ぬかもしれない。私のせいで」


  ***


「おじいさまのところに行きましょう」


そう言って、マーヤは凛人を連れて出発した。

目指すのは、元領主である祖父が住むという城。


同行するのはマーヤの騎士、リオとグラ。

四人での小さな旅。


凛人に選択肢はない。

言葉も土地も知らぬこの世界では、従うしかなかった。


リオは重い鎧を脱ぎ、凛人を馬の後ろに乗せてくれる。

「馬に乗れるか?」など聞かれない。

逃げ出せないよう、一緒に乗せた方が管理しやすいからだろう。


それでも、手足を縛られないだけマシだった。


森は朝露に濡れ、ひんやりした空気に包まれている。

鳥の声、小川の音、馬の蹄が静かに響く。


リオが振り返り、陽気に笑う。

「しっかり掴まってネ。落ちたら森のごはんにナルヨ?」


マーヤとグラは前を進む。


(どうせならマーヤの後ろがよかったな)

(グラなら相方はグリだろ……)


そんなくだらないことを考える余裕は、まだあった。


リオは気さくな青年で、日本語に近い“ミコト語”を少し話せる。

(こういう人、めっちゃ助かる……)


一方のグラは寡黙で、言葉は通じない。

だが時折、豪快に笑うその様子に、凛人は悪い人ではないと感じていた。


道中、マーヤについて聞くと、

彼女は領主の娘で、神韻魔法の使い手。


その美しい歌声は兵士を導き、人々は“姫”と呼ぶ。

特にミコト村周辺では、親しみを込めてそう呼ばれていた。


神韻魔法を使える者は希少で、

マーヤほどの実力者は極めて稀だという。


森の奥に光が差し、幻想的な景色が広がる。

優雅に馬を操るマーヤの姿に、凛人は目を奪われる。


グラが何かを呟き、リオがニヤリと笑う。

何を言われたか、言葉がわからなくても察しはつく。


マーヤは時折、ユル=ノトを鳴らし、何かを確認しているようだった。

リオとグラは無言でついていく。


凛人が不思議そうに眺めていると


「魔除けの祈りだヨ。お嬢がいれば危険な森だって安全に抜けられるからダイジョーブ」


(この土地の信仰か何かかな?)



この大陸では「エルセリア語」が共通語。

日本語ミコト語は一部の地方でしか使われない方言だった。


「オハヨ、リントさん! 今日はどこいく〜?」


リオが得意げに日本語ミコト語を披露し、凛人は逆に通じているのか不安になった。


グラが何かをぼそっと呟く。

リオが腹を抱えて笑い、マーヤが呆れ顔で振り返る。


凛人は、その空気に少しだけ救われた。


  ***


奴隷狩りの話を聞かされたのは、その後だった。


最近被害が増え、マーヤの進言で警護団が組まれたという。

だが敵は統率され、手口も巧妙。なかなか捕まらない。


「さっき捕まえた奴にアジトの場所を吐かせれば、一気に叩ける」


リオはそう語り、続けて――


「それに、ユル=ノトがある」


その瞳には隠しきれない興奮があった。


あの音叉ユル=ノトが、特別な何かだというのは、凛人にもよくわかる。


  ***


森の向こうに、塔が見えた。


石造りの尖塔。高くそびえる城壁。

その圧倒的な存在感に、凛人は思わず息を呑む。


城の手前に、広がる城下町。


「あれが……領主の城?」

リオが笑ってうなずいた。


「ようこそ、グレイヴェルンへ」


涼やかな風が、森を吹き抜ける。


馬を降りた凛人は、

地面の感触にほっとすると同時に、未来への不安を感じていた。


(何もかもが新鮮すぎる……

 観光気分だけ切り取って、ゆっくり味わいたいもんだな)


十代だったら、きっとテンションは爆上がりだった。

でも今は、体力も心の余裕もない。


(つまらないおっさんになっちまったもんだ)


ぽつりと漏らしたその言葉に、

誰かがくすっと笑った気がしたが――

もう、確認する気力も残っていなかった。

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