筆箒の魔法使い

一途貫

第一話 とんがり帽子の魔法使い

 昔々、この世界には悪い魔王がいました。魔王は邪悪な力で人間を滅ぼそうとしたのです。そこで、一人の魔法使いと、勇敢な剣士が立ち上がり、魔王と戦いました。長い長い戦いの果てに、剣士は自分の命と引き換えに魔王を封印したのです。それから人々には平和な日々が再び訪れました。

 

 長い時が過ぎ、人々からは魔王も、年老いた魔法使いの存在も忘れ去られていました。年老いた魔法使いは平和な世界で、一人の小さな弟子と静かに暮らしていました。


 人々で賑わう小さな町。その町から少し離れた所に、小高い雪山があった。シルバ山。それが山の名だ。そこには古くから一人の魔法使いが住んでいる。深緑のローブを纏い、山羊のように白く長い髭を蓄えた偏屈な老魔法使い。パーシヴァル。かつて魔王と戦った大魔法使いだ。かつて偉大な魔法使いであったこの老人は、町の喧騒から離れるようにこの山に住んでいた。古びた椅子に深く腰掛け、暖炉の火をまどろんだ瞳で見ている。暖炉の鍋には煮立った豆のスープが入っていた。パーシヴァルの団子鼻に、豆とバターのまろやかな香りが漂う。パーシヴァルは暖炉を見つめながらしばしもの思いにふける。

 かつては買い出しの為に、何度か麓の町を訪れたものだ。この家にも尋ね人が来たこともある。だが、一年中雪に閉ざされたこの山に好き好んで来る者はもういない。偉大な魔法使いは、ただの好々爺としてこの山で生を終えるつもりであった。


「お師匠、チーズパンが焼けたよ」


弾むような声と共に、両手でパンを抱えた少年がやって来る。パーシヴァルの弟子、レオナだ。ふっくらとした頬が、暖炉の熱に当てられて赤く火照る。パーシヴァルは目をこすりながらパンを受け取った。


「ありがとう。レオナよ、そろそろお昼にしようか」


パーシヴァルはテーブルの上にあるナイフで、パンを一枚ずつ切り分ける。レオナは緑色の丸い目を輝かせて、パンを受け取った。パーシヴァルは椀を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。


「今日はお前の十二の誕生日だからな。お前の好きな豆のスープを、たんと食べなさい」


パーシヴァルは椀の中にスープをよそり、レオナの前に置く。レオナはスプーンを手に取り、目の前にあるささやかなご馳走を次々と口に運ぶ。喜ぶ弟子の顔を見て、老魔法使いは微笑みながら椅子に腰掛けた。


「ねえ、お師匠。お願いがあるんだ」


口一杯に頬張ったスープを飲み込み、レオナは師を見上げる。まだ小さい弟子には、師匠の姿が大きく見えた。


「なんだ?」


「そろそろ僕にも魔法を教えてよ。僕だってもう魔法を使ってもいい年でしょ?」


レオナの言葉に、パーシヴァルの返答はしばらくなかった。歳を重ねる度に聞かされたその言葉に、パーシヴァルは呆れてため息をつく。これまで誕生日の度にせがまれて作った豆のスープさえも、喉を通らなくなった。そのまましばらく、パーシヴァルはスープに浮かぶ赤茶色の豆を見つめる。


「この前も言っただろう? 今の世の中、魔法を必要としている者はおらん。必要がない時に魔法を使うものではないのだ」


パーシヴァルは深く息を吸い込み、椅子にもたれかかる。この家の中にある魔法の杖や魔導書。今や無用の長物となった不思議な道具達は、棚や箪笥の中で息を潜めている。レオナはその道具達を触れてみたいと思っていた。レオナにとって魔法使いは憧れの存在だ。憧れと同時に、遠い存在であると感じられた。幼い頃に師にせがんで、白いとんがり帽子を作ってもらったこともある。


「でも、僕も師匠みたいな魔法使いになりたいよ」


「知識を蓄えることは良いことだが、レオナよ。お前は魔法を使って何をしたいのだ?」


パーシヴァルは鋭く説き伏せる。灰色の瞳に見据えられ、レオナは胸を押さえる。老いて皺を蓄えた顔だが、静かな険しさがあった。頭の中まで見透かされているような気分になり、レオナの言葉は体の奥に引っ込む。


「だって......魔法をいっぱい使えたら、どんなこともできるんでしょ?」


「レオナよ、忘れるでない。魔法は決して万能ではないのだ。使い方を誤れば災いにもなる。魔法を使えて幸せになった者などおらんのだ」


固く言い放つパーシヴァル。その目はどこか悲しげであった。この老魔法使いの目は、一体どんな人々の姿を映してきたのだろう。レオナはそんな師の姿を見て、それ以上何も言えなかった。出かかった言葉と共に、スープを飲み干す。


「お前はまだ幼い。今はまだ、たくさんの経験を積んで、知恵をつける時だ」


「......うん」


パーシヴァルは俯く弟子に向かって、柔らかな口調で諭す。師匠の話は時々難解で、まだ幼いレオナには理解できなかった。いつか大きくなれば師匠の言っていることが分かるだろうか。レオナは不鮮明な自分の未来を思い描いていた。


「でも、お師匠。どうやったらその......"チエ"がつくの?」


レオナが首を傾げると、パーシヴァルはくっくっと笑う。


「そりゃあ、めいっぱい遊ぶ事だ。外でたくさん遊んで、泥だらけになって帰って来る事だ」


パーシヴァルの言葉を聞くなり、レオナは家の外へと飛び出した。玄関のドアが勢いよく閉まる音を聞き、パーシヴァルは空っぽになったレオナの椀を見る。


「全く、せっかちな子だ。誰に似たのかのう?」


 シルバ山はレオナにとっては唯一の遊び場であった。寒さも忘れ、レオナは家の周りの雪をかき集める。雪だるまが一つできる頃には、レオナの額に汗が滲んでいた。雪だるまに白いとんがり帽子を被せ、木の枝を付ける。


「ここにこれを付けて......よし!」 


レオナは胸を弾ませ、最後の仕上げをする。たった今、シルバ山の名所が一つ増えた。偉大な魔法使いを模した雪だるまだ。不恰好な髭が生え揃え、三日月のような三角帽子。レオナから見た師の姿が、目の前にあった。

 レオナは一息つき、雪づくりの師の隣に座る。雪だるまの目は、山の麓を静かに見下ろしていた。晴れた日の雪山からは、野や川などが手にとる様に見える。麓に広がる花畑を、レオナは身を乗り出して見ていた。色とりどりの花が咲いた花畑は、虹色の絨毯のようだ。山の麓に降りたことがないレオナにとっては、ここから見える光景だけが外の世界だった。パーシヴァルは、まだ幼いレオナを麓に行かせてはくれない。魔法が使えれば、師匠は僕の事を一人前と認めてくれるだろうか。そしたら、僕の世界も広がるだろうか。レオナは深いため息をついて、雪だるまに向き直る。そして、魔法使いの真似事をするように、えいっと手を振りかざす。しかし、いくら威勢のいい掛け声を出しても、レオナの手から魔法が出てくることは無かった。何度も試した後、レオナは疲れ果てて肩を落とす。ひょっとすると、僕には魔法の才能が無いのだろうか。師匠は僕が魔法が使えないのを知っていたから、魔法を教えてくれないのだろうか。次々と溢れる疑念で、レオナの胸は重くなった。


 雲が山の上を流れていく。レオナはぼんやりと、川の様に流れる雲を見ていた。白い雲は尾を引き、遠い地平線へと吸い込まれていく。風のように速く、もっと速く。

 レオナは頰を打つ風が強くなるのを感じた。風は赤く染まった地平線へと吹いていく。レオナが見慣れた夕焼けの空ではない。渇いて澱んだ血の様な色の地平線だ。白い紙に水彩の赤色が垂らされたように、空は赤く染まっていく。風が更に強くなり、黒く染まった雲が洪水の様に激しく空を流れた。唸りを上げる風に、レオナは得体の知れない恐怖を覚える。あれは今までレオナの世界にあったものではない何かだ。震える足を一歩も動かせず、レオナはその場に蹲る。赤い光が鼓動を打つと、風は突風に変わり、雪を巻き上げた。魔法使いの家も、悲鳴を上げるように軋む。レオナは泣き叫ぶ事もできなかった。出かかった涙も凍りつき、レオナは硬直する。


「レオナ!」


安心を与える声に、レオナは顔を上げる。彼の前には、パーシヴァルがいた。いつもの温和な表情とは打って変わって、険しい表情を称えている。吹き付ける風をものともせず、偉大な魔法使いはかつてのように堂々とした佇まいで立っていた。トネリコの木で作られた杖を高く掲げ、パーシヴァルは押し寄せる赤い光に対峙する。


「レオナ、お前は家に入っていなさい!」


「で、でも、お師匠……」


普段ならば、レオナは師の言いつけは守っていた。だが、恐怖がレオナの体を縛り付けている。自分の前に立つ年老いた師を見ていると、赤い光に対する恐怖とは別に、底知れない恐れが体を突き刺す。自分がここを離れたら、師匠とは会えなくなってしまうかもしれない。そう思うと杖を掲げる師匠の手を握っていたかった。だが、赤い光はレオナが指一本動かす事も、許してはくれない。無力な十二歳の少年は、師の背を見ている事しかできなかった。師の体に光が襲いくるその時まで。


「邪悪な魔法よ、消え去れ!」


パーシヴァルは声高に叫び、杖を地面に突き刺す。すると、二人を守る様に白い光が覆う。赤い光は二人の命を奪い去ろうと牙を剥く。白い光の波動は広がり、赤い光とぶつかり合う。その衝撃が走る度に、パーシヴァルの額に冷や汗が浮かぶ。杖にしがみつきながらも、パーシヴァルは弟子の前から離れない。荒れ狂う突風は、雹とともに二人を地から攫おうとする。なす術のないレオナは、パーシヴァルの袖を縋るように掴んでいた。魔法を見たことがないレオナは、目の前の光景が強烈な記憶として刻まれている。伝説の魔法使いが、自分の師匠が、最初で最後に放つ魔法として。


 風で雪が吹き飛ばされ、所々山肌が見えるようになった頃、赤い光は晴天の前の雲のようにかき消えた。光が収まると同時に、風も止み、悪夢が始まる前の光景に戻った。レオナは雪を振り払い、紺色の夜空を見回す。赤い光は嘘のようにどこにもない。パーシヴァルが放った白い光も、夜空に溶けるように消えていった。しかし、悪夢が残した爪痕として、パーシヴァルが荒い呼吸をしていた。


「わ……わしの力も衰えたものだ。魔法一つも……止めることができぬとは……」


パーシヴァルは顔面蒼白になり、絶えず白い息を吐いていた。杖に体を預け、立っているのがやっとな程だ。師の凍えた白い手を見て、レオナは駆け寄る。


「お師匠!」


「レ……レオナか……無事でよかった……」


弟子の傷一つない姿を見て、パーシヴァルは弱々しく微笑む。レオナは涙ぐみながら、師の手を握る。皺だらけの手から、生命の温もりが消えていく。氷のように冷たい手を、レオナは握り続けた。


「お師匠こそ大丈夫? お師匠の手……すっごく冷たいよ」


「な……なに、気にすることない。久し……ぶりに……魔法を……使って……少し……疲れた……だけ……」


パーシヴァルの言葉が風音に打ち消される。力尽きたようにトネリコの杖が折れ、パーシヴァルの体が崩れ落ちた。杖は役目を終えたように、雪中に消える。苦しそうに呻き声をあげるパーシヴァル。彼の呼吸も間隔が短くなっていく。


「お師匠!? お師匠!!」


レオナは小さな手で師の体を揺する。しかし、彼の声は師の意識には届かなかった。体を小刻みに震わせながら、汗で体温が奪われていくだけだ。レオナは涙を浮かべながら、何度も師を呼んだ。だが、幼い少年の掠れた声が、静かな夜空に響き渡るだけだ。


 その後、レオナは家で師の介抱をした。暖かいベッドに師を寝かせ、野菜スープを飲ませる。麓の世界を知らない少年に出来ることは、これが精一杯だった。パーシヴァルは幸い、意識は戻ったが、立つことはできず、食事を終えたらすぐに寝込んでしまった。日に日に窶れていく師の姿を見ていると、レオナは胸が痛む。どうすればいいのか分からない。十二歳の少年は、誰かが病気になったという経験をしていなかった。ただ、師の容態が良くなることを祈るばかり。そんな日々が一月続いた。


 

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