第3話 学校がなくなる日

数学なんて必要ない3


気のせいだろうか。HRで立ち上がる天野の手には昨日倍の紙が握られている。しかし、昨日より顔が良く見えるのは少しは寝れたからなのか、それとも徹夜続きでハイになっているのか。僕はまだ怖くて聞けずにいる。


「まず僕から話します。前回の議論のあと、少人数制の公立中学やオルタナティブスクールの事例をいくつか調べてみました。やっぱり、“通う”ことに価値があるなら、その“場”を誰にとっても安心できるものにする必要があると思ったからです。」

どうしよう。冒頭から何を言っているのか分からない。え?みんなそのオルタナかんちゃらとか聞いたことあんの?目だけでクラスを見回すと隣の席の鈴森さんと目が合った。その瞳に安堵が見えたことに安堵と僅かな悔しさを感じる。


「なるほど。私もね、ホームスクーリングで学んでる友達に話を聞いてきた。週に数回、地域のワークショップや図書館で勉強してるんだけど、そこで“自分で考えて選ぶ”っていう感覚がすごく育ったって言ってた。先生に“与えられる”んじゃなくて、自分で“学ぶ”姿勢が自然とできるって。」

ホームスクーリングというくらいだから家庭教師と勉強しているのかと思えば少し違うようだ。そもそもワークショップってなんなんだ?何をしているんだ。


「能動的に動く力を伸ばすというのはすごく大事な視点だと思う。ただ、ホームスクーリングの場合、家庭の環境にすごく左右されるって課題もあるよね?学習内容や進度の管理、安全性の確保も。だからこそ、制度として“多様な学び方”を支援する枠組みが必要だと思うんだ。」


「そうだね、私も調べてみたけどそこは課題。でも、学校に“通わせる”ことが前提になってる社会の方が、もう古いんじゃないかとも思う。“通わないこと”を前提にして、地域で学べる場所や、支援を受けられる仕組みをもっと増やせばいい。いわば、“通う”と“通わない”の間にグラデーションがあってもいいと思うの。」


「僕は、“学校”という仕組み自体をなくすのは違うと思ってる。なぜなら、学校って“偶然の出会い”がある場所だから。興味のない相手や意見に触れて、嫌でも考えざるを得ない場でもある。ホームスクーリングだと、どうしても“選ぶ自由”が“避ける自由”になってしまうこともあると思うんだ。」

選ぶ自由が避ける自由になるか…。確かに仕事で将来嫌な上司と会った時になら行かない!って選択はできないもんな…。


「偶然の出会いはどこでだって得られると思う。でも、その“嫌でも関わる”っていうのが、苦しくて不登校になる子もいる。学校って“社会の縮図”であるなら、社会の側がもっと“選択肢を許す社会”であるべきじゃない?“嫌なことに耐える訓練”が教育じゃないと思う。」


「耐える訓練を教育だとは僕も思わないよ。でもじゃあ、今の学校制度をどう変えれば、“誰でも通える場所”になるんだろう?僕は、教科の選択制とか、朝の始業時間をずらせる制度、学校内にカウンセラーを常駐させる仕組み……そういう“中の柔軟化”で対応できる部分は多いと思ってる。」


「私は逆に、“外の受け皿”を整える方が先かなって思ってる。“学校でなければ学べない”って思わせる制度じゃなくて、“いろんな場所で学べる”っていう前提に立った制度に変えていく。そうすれば、“無理に通わせる”必要もなくなる。」

どこかの誰かが卵が先か鶏が先か。そんなことを言ってたと頭に思い浮かぶ。ここでの正解は両方を両立して進めるというのが正しいのだろうか。でも、もし外の体制が整ったとしていつか本当に中学校に通う必要はないという未来が本当に来るのだろうか。あまり想像ができない。

「言ってることは矛盾してるようで、目指してる方向は似てるのかもしれないね。この話で大事なのは、“学びの質”が保障されてるかどうか。通う/通わないじゃなくて、“どう学べるか”が基準になるべきだってこと。だからこそ学業という中学生の本質を留めながら許容していく形が現実だと思う。」


「うん。でも未来の教育の観点で見ると、“選べること”が大前提だと思う。義務教育って、私たちの“権利”なんだから、教育についても“どんな形で受けるか”を一人ひとりが決められる社会がいい。」

アラームの時間を少しオーバーして2人は口を閉じ、鬼教師に目を向けた。2人の話し合いは側から見ていてもこのたった3日でレベルが上がってきたと思う。だから、また同じ言葉を言われるとは思わなかった。


「君らは大変頭がよくそして大変頭が悪い。」

この二日間見続けたあのヘラヘラした顔はなく無表情にすっと2人を見つめる。

「とりあえずどうだ?青木。どう思った。」

「2人の主張は一見対立してるようで、実は補い合ってると思いました。

天野くんの話は、現実的に今の学校をどう変えていけばいいかっていう制度の中の提案で、実現性が高いです。一方で、五十嵐さんの主張は、制度の外から“そもそもどうあるべきか”って価値観に踏み込んでて、未来志向という意味で重要な視点でした。現実と理想、どちらも必要で、今回はその両方がちゃんと出ていた。あと、お互いに“相手の立場を理解しよう”とする姿勢がすごく伝わってきて、それ自体が学びになっていたと思います。」

また少し鬼は考え込んだ。少しの沈黙は次の言葉を身構えるには短く、思考を巡らせるには長く降りかかった。


「どちらが正しい?」


「…両方が歩みあって双方のメリットを追求していくことが大切だと思います。」


「それはディベートか?ディベートとというのは第三者を説得した方が勝ちって話だ。それが社会的に正しいだとか、優秀な回答かなんて関係がない。相手の話を受け入れるのはもちろん大事だ。ただ、このディベートでは自分の考えと相違しようがなんだろうが決定者に自分が正しいと言わせなきゃいけない。」

たしかに2人の会話は行くべき。行かなくてもいい。という論点ではなく今後の社会のあり方にシフトしすぎていた気もする。


「2人ともよく調べてきている。それは大変素晴らしい。でも調べたことを言えばいいってことではない。オルタナティブスクール。これ分かった奴居るか?」

見回すと手を挙げたのは1人だけであった。


「竹内どんなとこだ」

竹内は頭は良いが少し変わったやつで何が面白いのか分からない経済本や新聞を毎日読んでいる。


「はい。オルタナティブスクールは、簡単に言うと“普通の学校が合わない子のための別の学び場”です。テストやカリキュラムに縛られず、自分のペースで学ぶ、海外の思想を取り入れていることが特徴です。興味に合わせてプロジェクト型で進めたり、評価も点数じゃなく記録や話し合いで決まることが多いです。教育の多様化って意味では、社会の変化に合った仕組みだと思います。ただ、制度のサポートが弱くて、知ってる人が少ないのが課題ですね。」

そうなのか。なんか今回の議題で天野が主張する未来像に近いな。似た感想をみんな持ったのか頷いて聞く人が多かった。


「天野。よく調べてきているし主張もブレてない。ただ、誰が聞いてもわかる内容か今一度考えてみてほしい。五十嵐。自分のコネクションを使って情報を集めるのは素晴らしい。だからこそもう少し具体的に話しても良い。ホームスクーリングの人はどうして能動的な力を身につけられるのか。今どうやって勉強しているのか。2人に言えるのは断片的に情報を掴むんじゃなく深堀をしてみてほしい。」

さて!と鬼は大きく手を叩いた。その顔にニヤニヤが戻ってきている。…嫌な予感。

「そんな2人に次回はヘルプを1人呼んでもらおう。送られてきた感想を読んだだろ?それを参考にしながらでいい。1人仲間を見つけてくるんだ。相手への反論でも自分の意見の補強でも構わない。」

僕は慌てて頭を下げた。下げると同時に天野の方から何かが突き刺すように飛んできているのを感じる。僕はHRのチャイムが終わり目の前に天野の上履きが見えても顔を上げることができなかった。



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【今回の要点】

ディベートのテーマ:「中学に通うべきか」〈第3回〉

▶ 前回の議論を踏まえ、実際の制度や代替教育の実態により踏み込んだ議論となった。

▶ 天野くんは「学校制度内での変革」、五十嵐さんは「制度外の学びの可能性」を主張。

▶ 両者は議論の中で“通う”ことそのものの是非から、“学びのあり方”へと焦点を移していった。



天野くんの主張


▶ 学校には“偶然の出会い”や“異なる価値観に触れる場”という独自の意義がある。

▶ ホームスクーリングでは「選ぶ自由」が「避ける自由」に変わる可能性がある。

▶ だからこそ「誰もが通える学校」を目指し、教科選択制や始業時間の柔軟化、常駐カウンセラーの配置など、“制度内での柔軟性”を拡張すべき。



五十嵐さんの主張


▶ 「通わせる前提の社会」そのものが古い発想ではないかと問い直す。

▶ ホームスクーリングやフリースクールのような“選べる学び”を社会が保障するべき。

▶ 「通わない」ことも正当な選択肢とした上で、地域の学び場や制度的な支援を充実させることが大切。

▶ 教育は“耐える訓練”ではなく、“選べる権利”として設計されるべき。


青木くんの感想


▶ 天野くんは制度内からの現実的な提案を通じて説得力があった。

▶ 一方で五十嵐さんは制度の枠を超えた“未来の教育像”を提示していて、どちらも補完的だった。

▶ 両者に共通していたのは「学びの質」を問う視点であり、通うか否かよりも「どう学ぶか」が問われるべきだという方向性だった。



【次回に向けたポイント】


▶ 「学校の外の学び」を支える具体的な仕組みと現状の課題

▶ 「学校制度の中で柔軟性を拡張するには何が必要か?」という問いへの深掘り

▶ 自分の意見だけでなく、チームを作ってどう補完し合うか(ヘルプの活用)



【書記のひとこと】


今回、天野くんと五十嵐さんはただ「自分の主張を通す」のではなく、相手の視点を踏まえながら、自分の立場を再構成していたように見えました。議論がただの“意見のぶつけ合い”ではなく、“社会をどうしたいか”という問いへ深まっていったのが印象的でした。次回はチーム戦。今の議論がどう発展するのか、楽しみにしています。


書記:浅野由依

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