第17話 ロクな友達がいないのかもしれない?
銀杏高校の校舎に入ると、同級生が声をかけてきた。
「優斗~。おっす」
「よう」
軽く手を振り、上履きに履き替え、階段を上る。
今は友達にも苦労はしていないし、学校は優斗に害を与えるものではない。
だがそれは「今は」の話だ。
今でも靴を履き替えるとき、画鋲が入っていないかを考えるときがある。
教室に入ったら、一斉に物を投げられるのではないかと身構えてしまう。
憂鬱な気分で、がらりと教室の戸を開ける。
「優斗。おはよ」
「お前、遅いぞ」
真琴と空がにこやかに近づいてくる。
今は、誰も優斗に危害を加えたりしない、と頭で理解して、ようやく笑えるようになる。
「なあ、次の土曜、クラスの奴らでカラオケ行かね、って話なんだけど、お前も来るよな」
空が肩を組んでくる。答えは一択。
「分かった。予定空けとく」
優斗が答えると同時にチャイムがなり、クラスメイトたちは名残惜しそうにバタバタと席に着く。
優斗は自分の席である窓側の最後尾の席に座る。クラスメイトから羨ましがられる特等席を、先週の席替えで引き当てたのだ。
「ねえねえ、藍君」
隣の席の女子が、優斗の肩をつついた。
優斗の席が、当たりくじだとクラスの男子から言われるもう一つの理由。
「何? 高梨」
「今度の土曜、クラスでカラオケ行くじゃん? その一時間くらい前に学校の門で待ち合わせない? 図書館の装飾に使う画用紙がないから買い出し付き合ってよ。藍君も一応掲示委員なんだし」
グレージュの巻き毛を人差し指に絡めながら楽しそうに笑うのは、クラスメイトで、席が二回連続で隣の、
桜香の嫌味がない明るさに心が解される。ふと笑いが漏れた。
「一応掲示委員って……俺、ちゃんと仕事してるでしょ」
「そうだけど。いいでしょ?」
「分かった。いーよ。でも高梨は遅刻癖あるからなー。ちゃんと時間通りに来れるか賭けてやろうか」
「余計なお世話ですぅ」
「こらそこ! 喋らない。夫婦漫才か」
いつの間にか教室に来ていた担任が、小競り合いをしていた優斗たちに向けて言葉を放つと、クラスがどっと笑いに包まれる。
桜香は下を向いて真っ赤になり、通路を挟んで右隣の友達にからかわれている。
優斗は……誰にも分からないくらい、小さなため息をついた。
桜香には感謝している。さっぱりとした明るい性格で、中学時代から仲良くしてくれた。とてもいい子だと思う。友達として、好きだ。でも。
自然と紫苑のことを思い出す。
友達にも困らないし、学校にも行きたくなきなったこともないでしょ、と言われたことが、ショックだった。彼女にだけは分かってほしい、と。
無理な話だ。
紫苑はもう、覚えていないのだから。
三ヶ原小学校で、一緒に図書委員をやったこと。
優斗が受けたクラスメイトからの嫌がらせに、教師に直談判したり、誰よりも憤ってくれたこと。
優斗の記憶だけが全て抜け落ちてしまった原因が、優斗を守ったがための事故だと思うと、やるせなさが胸を満たす。
怪我をした左耳は、今でも痛むのだろうか。
担任の、「夫婦漫才」という言葉に反応して、調子者の誰かが指笛を吹く。ピューという気の抜けた音が耳に入る。
これが、青春なのだろうか。紫苑は、これを求めているのだろうか。
(青春。合わないんじゃないの? 紫苑も、俺も)
◇◇◇◇
「紫苑! 回覧板出してきて! 隣の家」
朝から桃子の怒声が飛ぶ飛ぶ。
優斗に勉強を教わってから三日後の金曜日。五月二十八日だ。
ちなみに、あれから一度も公園には顔を出していない。気まず過ぎて、レインで「学校が忙しい」とバレバレの嘘をついて、何とか誤魔化している。
今日は学校へ行く日だ。出たついでに、桃子から回覧板を受け取って、外に出る。
厚ぼったい雲が空に低く広がり、今にも雨が降りそうな天気だった。
靴のかかとを踏みながら歩きだし、隣の家のブロック塀に作られた郵便受けに回覧板を突っ込む。
十色市に来てからというもの、高校へ通いだすまでは引きこもりだったので、お隣さんの名前を紫苑はあやふやにしか知らない。
以前、桃子と紅里の会話を小耳に挟んだのだが、紫苑より一つ年上の高校生と、紫苑より一つ年下の中学生の兄妹と、その母親が住んでいるとのことだった。
名前は確か、アイ……? だったかなんだか、忘れてしまった。
紫苑は、学校に到着し、言語文化の授業を受けながらも、勉強に身が入らないでいた。
(青春が合わないって。どういう意味だろう)
火曜日、優斗が振り向きざまに放ったその言葉が、今でも紫苑の耳にこだましている。
嫉妬するほどに、羨ましかった青春。脳内計画のことではなく、一般的に万人が想像する青春だ。
それが合わないと言われてしまったら、紫苑はどうすればいいのだろうか。
キュウッと左耳が疼く。思わず手を当てる。その痛みは、そのまま、紫苑の心の痛みのようだった。
愛に遭遇することなく学校から帰り、桃子に追い立てられ洗濯機を回し、洗濯が終わるまでの待ち時間、紫苑は自室のベッドであれこれ考えていた。
(そもそも、藍野さんが急に怒り出したのは、何が原因?)
何を言っただろうか、と思案して、友達にも困ったことないでしょ、と勢いで言ってしまったことを思いだした。
(もしかしたら藍野さん、ロクな友達がいないのかもしれない? 素行がめちゃくちゃで、その友達の尻拭いに奔走しているとか?)
例えばの話だが、窓ガラスを割った友達に濡れ衣を着せられたり、万引きした友達に代わって店に謝りに行ったり。
(うっわー。大変だわ……)
ものすごく失礼な想像をしながら、青ざめる紫苑。
もしそうであったなら、きちんと謝らなければならない。軽率な発言をしてすまなかったと。
謝ったのなら、少しは気持ちがスッキリするかもしれない。
(今日は金曜日で約束の日じゃないけど、公園に行ってみよ。もしかしたら、いるかもしれない)
紫苑はとんでもなく自分本位な理由で、公園行きを決めたのだった。
***
優斗が公園に出現しそうな時間は、四時半以降だ。
そこを狙って紫苑は家を出る。
厚ぼったい雲から零れ落ちるように、雨がしとしと降っていた。
傘をさして木犀公園に向かう。
雨の匂いは独特だ。草の匂い、道路の匂い、土の匂い。雨に濡れて蒸しあがってきた自然の匂いが混ざり合い、カエルの鳴き声とともに独特なハーモニーを奏でる。
公園の遊具は、流石に遊んでいる子どもはいなかった。
「藍野さん……どこだろう」
傘をさしたまま、ぐるりと辺りを見回す今日は雨だからいないかもしれない。
少し残念なような。いないならいないで、安心したような。
喉が渇いたので、管理事務所の近くにある自販機まで歩く。
ジュースを買って自販機に背を向け、腰に手をあて、ジュースをあおる……。
「⁉」
穴という穴から、オレンジジュースが噴き出るかと思った。
紫苑がジュースをあおった真正面、数メートル先の東屋で、端正な顔つきをした両耳ピアスでミルクティー色の髪の男が、黒髪ロングの制服姿の女と楽しそうに会話をしているではないか!
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