第18話 こんの二股野郎!

 優斗と謎の女を発見した紫苑は、はじかれたように自販機の陰に隠れ、その様子をじっくり確認する。


 黒髪ロングの女は、目が隠れるほどに長い前髪が顔に影を落としている。それが目の下のクマのように見えて、真っ白な日焼けしていない肌と相まって、なんとも幽霊っぽい。


 隣にいる優斗はというと……この上なく、リラックスしたような表情だった。

 女が何か言うと、女の頭を軽くはたきながら笑う。

 その満面の笑顔が、雨の中でもはっきりと見えた。


 こんな優斗の表情は、見たことがなかった。


 女の方は、時折優斗に甘えるように腕を組んだりして、楽しそうだ。女は、制服からして中学生だろうか。

 もしかすると、中学に残してきた、後輩かもしれない。


 紫苑は察した。


 優斗の優しい笑み。


 女の甘え具合。


 これは、後輩彼女だ、と。



***



 紫苑は、雨の中一人、帰路についていた。気圧のせいか、耳が痛い。


 優斗には、彼女がいた。


 紫苑は、知らなかった。紫苑が知らない世界に、優斗はいる。

 少し親切にしてもらったからって、何か勘違いをしていたのかもしれない。

 もしかしたら、本当に面白がられていただけかもしれない。

 黒髪ロングの彼女との、話のネタにされていただけかもしれない。



 紫苑は、いつの間にか優斗のことを知ったつもりでいた。

 でも、そんなことはなかった。


 優斗がなぜ怒ったのかも分からないし、彼女がいたことさえ、知らなかった。


 あんなにドキドキしながらレインを送っていた自分が、馬鹿みたいだ。



 青春が合わないとは、そういうことかもしれない。

 優斗は青春謳歌野郎だ。紫苑の無様な姿を見て、こりゃダメだと見放したに過ぎない。


 じゃあ、なぜ紫苑の青春を手伝うと言ってくれたのだろうか。ただの気まぐれだろうか。


「藍野さん……」


 穏やかに落ち着いた声。隣に座ったときの彼の香り。手の温かさ。笑った顔に、からかうときの目の優しさ。


 全てを思い出すと、また、胸の奥から甘くて苦しい綿菓子みたいな感情が湧き上がる。今回は苦しかった。甘さより、何倍も。


 その綿菓子を胸の中で育ててしまったら、また何かを自覚してしまいそうで。


 慌てて、胸の奥に閉じ込めた。



***



 ふわふわした苦い綿菓子の残像は、家に帰っても残っていた。


 お風呂から上がり、何もする気が起きなくて、スマホをボーっと眺める。


 インカラの新情報を追って、スマホをスクロールしていると、



『シングル発売記念! 全国フリーライブ!』



 そんな情報が流れてきた。


 行きたいなぁ、と取り留めなく考えながら、開催場所をチェックした次の瞬間、紫苑の目玉が飛び出た。


「十色市楓町で、フリーライブ……?」


 十色市楓町とは、紫苑の住む木犀町の隣町だ。電車一本で行ける。

 そこにある、大型商業施設で開催されるらしい。

 日時は約一か月後の六月二十七日、日曜日。

 フリーライブだから、観覧はお金もかからない。


 インカラを生で見られる絶好のチャンスだ。


 行けるかもしれない。

 だが、問題は誰と行くかだ。

 引きこもりで木犀町から出たことのない紫苑。さすがに一人は怖い。


 でも桃子には思いっきり嫌な顔をされそうだし、紅里は日曜日くらい休みたいかもしれない。褐平は……アイドルに興味がなさそうだ。


 紫苑が頭を抱えると同時に、一階の桃子から「ご飯できたから手伝いなさい!」と声がかかった。



 夕食の間、それとなく「楓町のショッピングセンターに行きたいなー」と桃子に話してみると、桃子は箸を止め、「よく考えなさいよ」と言った。


 怖い。

 どういう意味だろうか。


 褐平は恐妻家なので、何も言えないのは当然とでもいうように、もくもくと焼き魚をつついていた。

 紅里は、今日も残業。


 ……話すタイミングを間違えたかもしれない。



 完全に敗北した気持ちで歯を磨き、部屋に帰ったら、早々にベッドに入ることにした。

 

 なぜかというと、明日の土曜日も学校があるのだ。

 紫苑が履修する単位のスクーリングが、金曜日も土曜日もあるという素晴らしい(涙)週だ。


 いろいろといいことがないが、とりあえず布団に入る。


 人間とはよくできたもので、朝日が昇るまでちゃんと眠ることができた。


「はあ……いい天気……」


寝起きの気分は、快晴とは反対で、すこぶる悪い。



***



 どうにかこうにか体を動かして、桃子にせかされつつ家を出る。



 八時五十分。紫苑は学校の目の前まで来ていた。

(今日は……地理……)


 そのとき、黒猫がさっと紫苑の前を横切る。車道に出たその野良猫につられるようにして、視線は道の向こうと銀杏高校の方へ向かう。


 土曜日の今日の校舎は部活なのか、ラッパの音が聞こえてきたり、敷地内には自転車がいくつも止めてあるのが分かる。


 門の前では遊びに行く高校生たちが待ち合わせを……。


「ん?」


 紫苑は、目をこする。

 眼鏡をかけ忘れてきたかと顔を触るが、ちゃんと眼鏡は鼻の上に乗っかっていた。



 門の前には、誰かと約束してあるのか、一人の男子がスマホをチラチラ見ながら立っている。


 誰がどう見ても、藍野優斗にしか見えない。


 まあ、そこまでは予想の範囲でなんら問題はないのだが。


 藍野優斗は、金木犀高校、つまり紫苑がいる場所に背を向け、銀杏高校の門がある先の歩道へ目を向けた。

 

 すると彼が目を向けた方向から、美少女が駆けてくるではないか。

 美少女はどれだけ時間かけとんねん! と突っ込みたくなるくらいにつやつやのグレージュの巻き毛を弾ませてやってくる。


 彼女は走っているせいなのか、はたまた恋のせいなのか、頬を薄っすらと上気させている。


 優斗の表情こそ見えないが、美少女が手を振ると、優斗のてもひょいっと上がる。


「藍君!」


 美少女が優斗の前までやってくると、膝に手をつきながらそう叫んだ。

(藍君、だと⁉)


 紫苑は、自分の目だけでなく、耳まで疑う羽目になった。


 美少女と優斗は、二言三言言葉を交わすが、何を言っているかまでは聞き取れない。ただ、藍君! だけは聞こえた。



 紫苑は頭が真っ白になりながらも、何とか脳味噌を稼働させる。

(待て。待て待て待て。あだ名で呼んでるってことは、相当仲がいいんじゃない?)


 しかも、今日は土曜だ。休日にわざわざ遊びにいくなんて、ただのクラスメイト、では済まない。あの美少女の様子は相当脈ありだ。


 そうなると、浮かんでくるのは公園の東屋での、黒髪ロングとの逢瀬。


(どうしよう。どっちが略奪⁉)


 黒髪ロングはスキンシップをしていたから、すでに付き合っているのかもしれない。グレージュロングは、まだ恋する乙女といった様子だ。


 ……となると優斗は、彼女がいてなお、グレージュロングをたぶらかしているということだろうか。


(こんの二股野郎!)


 紫苑は、出ていって優斗がグレージュロングをとっ捕まえたい衝動に駆られるが、優斗とグレージュロングは、彼女が駆けてきた方向へ一緒に歩きだした。


 グレージュロングがキラキラした瞳で、頭一つ分も背が高い優斗を見上げるようにして話しかける。


 美男美女で誰が見てもカップル。

 とってもお似合いだった。


 紫苑は胸を押さえる。きゅうっと痛かった。


「おかしいな……心電図、何にも問題なかったよ?」


 四月、高校に入るときにちゃんと健康診断をは受けた。



 そう思いながら、ふと我に返る。優斗たちの観察にすっかり気を取られて……恐る恐るリュックに放り込んでいたスマホを手に取る。

 電源を入れた。


「九時、十分……終わった……」


 遅刻だ。



***



 地理総合の担当の教師は、優しそうなおじいちゃん先生なのに、十分の遅れについてぐちぐちと言われた。


「一年生なんだから、こう、もう少しピリッとやってくれると思ったんだけど……」

「はい、すみません……」

「次遅れたら、出席扱いにできないかもしれないよ」

「はい、分かりました……」


 おじいちゃん先生が、優しいのに、なかなか解放してくれない。

 悲しくてしょうがない。

 ……優斗が二股をかけていたことが。


(最近、いいことないな……)

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