第8話 サスペンスドラマに同情?
二日後の月曜日。
その日は、桃子に家の掃除に駆り出された。
家全体に掃除機をかけ、水回りの掃除の仕方を教わった。
憂鬱で仕方がなかったが、いつまでも、いると思うな、親と祖父母である。もう立派な高校生なのだから、甘えてばかりいたら性根が腐ってしまう!
……と、これは全て桃子の教えである。
やっと桃子婆から解放されたあとは、現代の国語と数学のレポートをやった。
勉強すればするだけ桃子がほめてくれるし、努力をしているという実感は、紫苑は思う紫苑の存在価値を少ながらず高めてくれた。
だが。引きこもりの体力を舐めてはいけない。
紫苑はたった四十五分の掃除と、たった一時間の勉強、そのあとの十二時の昼食が終わるころには、へとへとに疲弊してしまった。
まず、体が重くなる。
次に頭が朦朧とし、物事を考えようとすると、頭が爆発しそうになる。
それから襲ってくるのは睡魔だ。左耳の激痛もセットでやってくる。
いったいこの痛みは何なのだろうか。
重い掃除機を抱えて階段を行ったり来たり……足りない脳味噌に数式を詰め込んだ結果がこれだ。
紫苑は自室のベッドにもぐりこむと、しばしの眠りについた。
***
何かの拍子で、ふと目が覚める。
スマホを見ると、午後四時十分だった。
ベッドに入ったのが十二時半だったから……なんと、四時間も眠りこけていたらしい。
これほど寝込むとは思わず、自分の体力のなさにあきれる。
「体力がなきゃ、まともに仕事できないよ……やっぱり公園とかで走った方がいいのかな」
何気なく口にした言葉だったが、「公園」と「体力」という単語に、記憶の蓋が空く。
「あ……藍野さん。あ! 思い出した! やっべ、月曜日の四時半に約束してたね!」
スパルタ桃子の掃除指導を受けていたせいで、すっかり忘れていた。
確か、優斗は来たくなかったら来なくていいと言っていた。
今は夕方だし、紫苑も疲れている。
行かない選択肢もあるが。
「よし!」
紫苑は立ち上がって、外出用のカバンにスマホと財布を突っ込み、上着を羽織って帽子を目深にかぶる。
一階に下り、ソファーに座った桃子の後ろ姿に声をかける。
「ばあちゃん。あたし、少し散歩に行ってくるから」
まさか男子と公園で待ち合わせ、なんて言えない。
冷や汗たらたらの紫苑を振り返って、桃子はにっこりと笑った。
「散歩? 珍しい。いってらっしゃい。気を付けていくのよ」
第一関門クリア。怪しまれていないようだ。
紫苑はそっと胸をなでおろして玄関に向かおうとする。すると、祖父の褐平がトイレから出てきた。そして、目尻のしわを深くして笑った。
「珍しいなぁ。紫苑が外出なんて。彼氏でもできたかい? はっはっは。いいぞ、恋愛は。紫苑もお年頃、といったところか」
褐平の言葉に、桃子は疑いの目を紫苑に向ける。
「紫苑が恋愛? 褐平さん、何言ってるの。勉強もままならない子が、恋愛なんてするもんですか。紫苑、まさか彼氏ができたとか?」
興味本位で訊いてくる桃子に、紫苑は真っ青になる。
桃子の見ていたサスペンスドラマのおばさんが、ナイフでぶっ刺された。血がブッシャアと飛び散る。
『ギャー!』
テレビの向こうから聞こえてくる叫び声に、本気で同情したい。何もかも祖父のせいだ。
(このくそじじい! 余計なこと言いやがってぇ!)
「かか、彼氏なわけないじゃん! 行ってくる!」
紫苑はそう言い捨てると、小走りで家を出る。
彼氏がいると勘違いされたことが恥ずかしくて、公園までの道を赤くなった頬を押さえながら走る。
(そもそも、あたしが藍野さんの彼女とか……あるわけないじゃん!)
自分で考えておいて、またさらに赤面する。
今日公園へ行こうと思ったのも、体力をつけたいと思ったから、だけではない。
紫苑の不安定な状況に向き合おうとしてくれた優斗に、また会ってみたい。
そう思ったからだ。
でも。優斗は全日制の高校生。
(しょせん、青春バリバリ謳歌野郎、ですから)
紫苑とは、住む世界が違う。
***
家から一番近い木犀公園の入り口は、紫苑の通っている高校と、その隣の優斗が通っている高校の前を通らなければならない。
金木犀高校は閉館日だから問題はない。だが。
「一! 二! 三! 四!」
プーププー ドンドン ドレミファソラシド!
銀杏高校の外周を、掛け声とともにランニングする運動部の生徒や、校内からは楽器の音色が絶え間なく聞こえてくる。
大変いたたまれない気持ちになりながら、紫苑はそおっと木犀公園の駐車場に駆け込んだ。
木犀公園は広い。高校がある方から入ると、まずだだっ広い駐車場がある。
そして遠く右端の小さな管理事務所を横目に真っすぐ行くと、砂埃舞うグラウンド、脇の歩道にはソメイヨシノがずらりと植えられている。
五月の今、桜はすっかり葉桜だ。
そこまで歩いてやっと、この間優斗に会った遊具がある。
四時を過ぎているだけあって、遊具には子どもたちがたくさんいた。
ブランコにすべり台、丘のように少し高くなったところから滑る、ターザンロープ。
筒のように延びた、おりくちが怪獣の口のようになっているすべり台を逆走して、上からすべってくる子どもを妨害するような遊び方をしている子どももいて、自分もこんな時期あったなぁと、何とも懐かしい気分にしてくれた。
とはいえ紫苑が木犀町に引っ越してきたときは中学生だったから、この遊具で遊んだ思い出はないのだが。
遊具の辺りをぐるりと見回したが、優斗の姿はない。遊具の横に設置された東屋も、子どもの母親で埋まっていた。
「さてどうするかな……」
紫苑が後ろを確認しようと振り返ったとき。
「よう」
「ぎゃっ」
「……そんなに驚く?」
優斗がちょっぴり傷ついたような顔で立っていた。
だが、なんてったって会うのは二回目だ。驚いて当然だと思うが。
「あの、来ましたけど。何するんですか」
「うーん。グラウンド十周?」
「体罰ですよね⁉」
紫苑が頭一つ分は背が高い優斗を睨むと、優斗は吹き出した。
「フフッ。嘘だよ」
その言葉に胸を撫でおろしたとき、遠くから運動部の掛け声が、風に乗って紫苑の耳に届いた。
「そういえば、藍野さん。部活とか入っていないんですか?」
何気なく疑問に思ったことを訊くと、優斗は頬をかいた。
「うん。入ってない。うち、母子家庭だから。母親とか妹とか。手伝ってやりたいし」
優斗には妹がいるらしい。
母子家庭、と聞いて、紫苑の耳がピクリと動いた。急な親近感を覚える。
「実は、あたしも父がいないんです。生まれる前に死んじゃって。今は、母と母方のおじいちゃんとおばあちゃんと暮らしてます」
つられてそう告白してしまった。
だが優斗はそれほど驚いた様子も見せず、何度か軽くうなずき、紫苑の前に紫色の縄を差し出してきた。
「はい、縄跳び」
「ナワトビ?」
なんの脈絡もなかったので、生まれて初めて聞いた言葉のように、片言で繰り返してしまった。
すると優斗はニヤリと笑う。
「星名紫苑の体力をつけよう計画、第一弾。縄跳び三十回。脳内で青春計画してる暇あったら、体力をつけろ」
「藍野さんって、たまにゲスいこと言いますよね」
「そういう星名も、たまに毒舌になる」
お互いの毒舌を浴びて、二人とも顔を引きつらせる。
紫苑は震える手で縄を受け取ると、優斗先導でグラウンドの端に移動した。
「ほら、跳んで。俺が数数えてるから」
優斗がパンパンと手を叩く。
逃げられないことを悟った紫苑は、思いっきり返事をした。
「ふぁい!」
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