第9話 例の青春コマーシャルのスポーツドリンクでした
「二十七、二十八、二十九、三十! はい、お疲れ」
優斗の縄跳びカウントが三十を満たす。
紫苑は跳ぶのをやめ、ゼエゼエと息をした。
「はあ、はあ……疲れた……」
不登校になってから暴落した体力と運動能力には、我ながら舌を巻いた。悪い意味で。
体が重いのだ。食っちゃ寝食っちゃ寝で身に着いた運動不足。これは地球温暖化レベルで深刻だった。
膝に手をついてまただ整わない荒い息を繰り返していると、優斗に手を引かれて、遊具の子どもたちを見ていた母親が立ち去ったベンチに座る。
ペットボトルを差し出された。至れり尽くせりだ。
「ありがとう、ございます」
息も絶え絶えペットボトルを受け取る。スポーツドリンクだった。
蓋を開けてぐびぐび飲むと、生き返ったような気分になった。そのころには息も整っていて、普通に会話ができるまで回復した。
「大丈夫か? 無理させ過ぎた?」
そう言って顔を覗き込んでくる優斗。
優しさ半分、そんなこと微塵も思っていない、面白がっているのが半分。大方そんなところだろう。
「やらしい……人の無様な姿見て面白がって……」
怨念のようにつぶやく紫苑に、図星だったのか優斗がカラカラと笑った。
「ごめん、ごめん。でも無理だったら言って。もう少し考える」
「いえ。こういうタイプの体力のなさは精神的なものが大部分を占めてるので。荒療治くらいがちょうどいいんです」
「そんなに荒療治じゃないけど……五歳児の方がもっと動ける気がするんだけど……」
「それ聞きたくないです」
ハア……と紫苑はため息を落とす。すると、
ブー……
スマホの着信音が鳴った。優斗のスマホからだ。優斗は、「ちょっとごめん」と断ってから、スマホをいじり始めた。
メッセージアプリのレインを開いたと思われる彼の口元に、笑みが浮かぶ。
(友達かな。あたしは公式からしか来ないからな……。もしかして、彼女?)
彼女の可能性を考えた途端、なぜか面白くなかった。すごく。
(なに、これ……)
なぜか紫苑の想像上の優斗の彼女と、張り合いたくなった。
「あの。藍野さん。レイン交換しませんか」
気が付いたら、そう口にしていた。
優斗はスマホをいじる手を止めて、驚いたようにこちらを見てくる。目をいつもより少しだけ見開いて。
その彼の表情を見た途端、我に返って恥ずかしさに襲われる。
だが言ったからには「やっぱりいいです」と引き下がることもできない。
「やっ、あの、変な意味じゃなくて。そのこれからも公園来たいと思ってるし来れないときぐらい連絡した方がいいかなっていうかなんていうか……ほら! あたしレイン送り合う相手いないし、寂しいじゃないですか。あはは……」
うまく言葉がまとまらない紫苑を数秒見つめた優斗は、ニヤリと笑った。
「いいよ。連絡先交換に変な意味って……何想像してたの?」
明らかにからかっている表情に、紫苑は真っ赤になる。
「ちょ、趣味! 趣味が悪いですよ! 何にも想像してません!」
「俺もいつか訊かなきゃなって思ってた」
睨んだ紫苑に、優斗はそう囁いた。それが少し甘く聞こえたのは、紫苑の変な想像だろうか。
顔の赤さを誤魔化すように、紫苑はスマホを取り出した。
ホーム画面はもちろん、インカラの黒羽有彩こと、ありしゃだ。
スマホをかざして優斗とお友達になったが、彼にも紫苑のスマホのホーム画面が見えていたらしい。
「それ、アイドル?」
「そうです。インカラのありしゃです」
「へえ。可愛いじゃん。結構マイナーなアイドル?」
「うう……そうです」
「俺の周りの女子高生って、普通みんな男性アイドルとか推してるけど、星名は珍しいタイプだな」
その優斗の言葉に、紫苑は少し違和感を覚えた。
別に、優斗に悪気はないのだから責める気はないが、みんなと同じで何が良いのだろうか。
人は一人一人違うのだから、個性がある方が素敵なのに、と紫苑は思う。
流行りにこぞって手を出していたら、自分は何が好きで何が嫌なのか自分が分からなくなる気がするからだ。
「みんなに合わせても、面白くないですよ」
それは、人に合わせる、ということに長年離れていたから出る言葉だった。
流される方が誰だって安心だ。
でも学校という川の流れに紫苑は逆らっている。
悪いことではないが、険しい道だ。
紫苑の言葉に、優斗は一瞬、目を丸くした。そのあと、ちらりとスマホの時計を確認する。
「あ、俺、約束があって。そろそろ行かなきゃ」
そしてベンチから立ち上がると、紫苑の前にしゃがみこみ、紫苑の顔を見上げるようにして言った。
「星名。今日来てくれてありがと。うれしかった。よく頑張った」
どきりと、紫苑の心臓が跳ねた。頬が熱を持つ。
やっぱり優斗は少し違う。同年代の高校生が公園に来たぐらいで、お礼など言わない。ましてや「頑張った」なんて。
でも引きこもりは外に出るだけでも多量の勇気を要する。当たり前のことが当たり前にできなくなる。
だが、「できたこと」をほめてくれて、「できないこと」を認めてくれて、驚いたし、うれしかった。
そんな紫苑の様子に気付かなかったのか、優斗は立ち上がって手を振りながら去っていく。
彼の背中が見えなくなるまで、紫苑は手を振り続けた。
◇◇◇◇
四時四十五分。優斗は、紫苑が縄跳びをしたグラウンドを突っ切って、林よろしく木がたくさん生えた、小高い丘のようなところを乗り越え、その先の東屋へ向かった。
木犀公園は東屋がたくさんあるが、妹の花恋との待ち合わせ場所はもっぱらここだ。
東屋のベンチに座ったときの眺めは……一面の芝生に人が座れそうな大きな岩や、小さな川でも作れそうな、少し落ちくぼんで蛇行した石の道。芝生の途切れた反対側には、レンガ色の歩道がある。
「お兄ちゃん」
声をかけられ振り向くと、制服姿の妹が優斗の背後にいた。
「うお! お前さあ、背後霊みたいに蹴箸消してくるのやめろ。びっくりした」
優斗が驚いてのけぞると、花恋はクスクス笑った。白い肌に、腰まである長い黒髪ストレート。少し長めの前髪が、ますます幽霊っぽい。
「学校どうだった?」
優斗が訊くと、花恋は少し顔をしかめる。
「まあ。悪くなかったけど。良くもなかった」
花恋のストレートな表現に、優斗は思わず苦笑する。
花恋は起立性調節障害と診断されており、朝、起きて学校へ行くことができない。めまいや立ち眩みが酷いのだという。
元々学校が好きなタイプではなかったが、小五で十色市へ引っ越し、新しい学校に馴染めなかったことが決定打となり不登校になった。
だから、優斗は学校が終わり次第、花恋の帰ってくる時間に合わせて木犀公園まで迎えに来ている。
「ねえ。お兄ちゃんは学校どうなの。楽しい?」
優斗に体をくっつけるようにして、花恋は訊いてくる。
「やめろ、暑苦しい。まあ、楽しいけど?」
「そっか、良かった。でも、休日は決まって友達と出かけちゃうんだもん。ちょっと寂しい」
花恋の甘え気質はいつになったら治るのだろうか。
昔から、あまり愛想のよくない花恋は、優斗について歩いていた。その名残が、今も優斗について来ようとするときがある。さすがに止めるが。
だが、花恋の言うことは正しい。牧野空たちに毎週のように遊びに誘われ、うれしい半分、もう少し間をあけてくれ、と頼みたくなることもしばしば。
門限を破るまで帰してくれないし、出費もかなり痛い。
「なあ、花恋。友達に遊びに誘われたら、絶対行かなきゃいけないと思うか?」
妹に何訊いてんだ、と自分でも思うが。
だが妹は、真剣な表情になった。
「うん。友達にはできるだけ合わせた方がいいよ。ちょっとでも断ると、次から誘われなくなっちゃうもん。ちょっとでも変なことしたら、ハブられちゃう」
その言葉が、優斗に重くのしかかる。
蘇るのは、小学校時代。
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