第4話 愛の暴言とパンダの遊具
「紫苑ちゃん、愛ちゃん。過去の受賞者リスト、見たい?」
紫苑が武者震いしていると、若葉がそんなことを言いだした。
保健室タイムアタックの受賞者リスト。見たいような、見たくないような。
恐ろしさと好奇心が混じる。
だが、いち早く反応したのは翠川愛だ。
「ええ。ぜひ見せてもらうわ」
「はっ?」
紫苑の驚きも綺麗さっぱり無視して、愛は若葉からアルバムのように大仰な本を受け取る。
愛は眼鏡の奥を光らせて、受賞者リストに目を通す。
「……なるほど。優勝者となれなかったのが、この学校を卒業するときに唯一の汚点となりそうね。先生、ありがとう。見せてもらったわ」
「はいはい」
愛と若葉の仲睦まじいやり取りに、紫苑はあんぐりと口を開けたまま、掛け布団を胸に抱いていた。
翠川愛、なかなかの変人だ。若葉も例外ではないが。
だが、紫苑の頭に名案が浮かぶ。
(もしかしてこれ、友達を作るチャンスじゃない?)
愛は一年生だ。それに、保健室仲間。
あわよくば親しくなれれば、保健室でアハハウフフと会話、学校の中で手を振り合い、授業を一緒に受けたりなんか……高望みだろうか。
(ここで、話しかけねば……!)
紫苑は憤怒の形相で布団から出たのち、愛に近づいた。
今気づいたが、制服がないこの学校で、愛は結構フェミニンな恰好をしている。意外と女子力が高いのだろうか。なんかいい匂いもする。紫苑はすうっと息を吸った。
「あああ愛さん! 今日は、何の授業受けてきたんですか!」
確か、若葉は愛に、「今日は授業受けられたんだ」と言っていた。
受けたとしたら、紫苑が国語の授業を受けていた時間だ。同じ教室にはいなかったから、別の教室だったはず。
『えっ! 紫苑ちゃん……だったよね? うん、そうなんだ! 外国語受けてきたの。すごく難しかったんだから! 紫苑ちゃんは?』
『あたしは国語! 数学も受ける予定だったんだけど、具合悪くなっちゃって……ぴえん』
『そっか。つらいよね。一緒に頑張ろうね』
……こういう流れに、なるはずだった。
鼻息荒く愛に迫ったのがいけなかったのか、憤怒の形相がいけなかったのか。
愛は冷えた目で紫苑を見下ろしたあと、また、睨みつけた。
「気安く話しかけないで。あと、いきなり下の名前で呼ぶとか、やめて」
試合終了のコングが鳴り響く。惨敗だ。
中学にほとんど行っていなかったから、上の名前で呼ぶことに慣れていなかったことが仇になった。
紫苑は膝から崩れ落ちそうになりながら、「ごめん」とだけ口にし、布団に逃げ帰る。
若葉も、困ったように目尻を下げただけで、何も言ってくれなかった。
「……あたし、帰ります」
この場にいるのがいたたまれなくなって、紫苑はリュックを背負った。
今日は上手くいかない日だ。こういう日は早く撤退した方が良い。
「……紫苑ちゃん。今日少ししか出られなかった数学、どうする?」
帰り際、若葉が声をかけてくる。
数学は、学期末までに六時間、出席しなくてはならない。
四月も二時間一コマが一回あったのだが、紫苑はそれも一時間しか出られなかった。今日だって三十分くらいしか出席していない。
出席証明の紙も出していないので、このままでは単位を落とすことになる。
「課題を提出すれば、何とか出席扱いにしてくれるかもしれないから、頼んでおくといいわよ」
肩を落とす紫苑に、若葉は苦笑いで励ましてくれる。
「はい。ありがとうございます」
優しい声に涙がちょちょぎれるが、本音を言うならば愛の暴言を止めてほしかった。
愛の視線を背中に感じながら、紫苑は保健室を出て、階段を下って校内から出た。
***
「っはああああ~!」
紫苑は、金木犀高校の校舎に面する道路を挟んだ、向かい側にある都市公園、木犀公園の遊具に座っていた。
座っていた、というより、遊んでいたという表現の方が正しいだろうか。
下の部分にバネがついていて、パンダや像の形をしたところにまたがり、前後にバインバインするあれだ。
「なんか、あたし馬鹿みたいだよね⁉ 授業中、寝てる人もいるのに汗水たらしてノート取ってさ! そういうときは先生褒めてもくれないくせに、具合悪くなって授業抜けようとしたときだけネチネチ文句ですか! 愛とかいう子も何? せっかく勇気出して話しかけたんだよ、こっちは! 若葉先生も何か言ってくれたっていいよね⁉ ああ、もう。最悪最悪最悪!」
さっきまで微熱を出して倒れていた人物とは思えない勢いで、バネがとれそうなほどパンダをバインバインする紫苑。
今日は日差しが強くて遊具が熱いので、あまり人がいなかった。
木犀公園は遊具以外にも、芝生、森、鯉に餌をあげられる池や、図書館も敷地内にあるため、そちらに人が流れているのだろう。
それをいいことに、紫苑はパンダを陣取り、大声を出してストレス発散していた。
高校に入ったら、勉強を友達とヒーヒー言いながらこなし、授業が終わったら校内で雑談、先生に「ほら、早く帰りなさい」と追い出され、「えー。もうちょっと待ってくださいよー」と友達と口を尖らせ、渋々学校を出て、真ん前の木犀公園でブランコに乗りながら「カレシ欲しー」と友と声を揃え叫ぶ。
そんなキラキラな青春を送りたかったのに。
学校を、好きになりたかった。
過去形なのは、紫苑の性格的にそれを克服することはないと、できないと、分かっているから。
努力の問題、諦めるのは早い、と思われるかもしれない。
でも、どうしても食べられない食べ物は誰にでもある。それと同じ。
小中九年間好きになれなかったものを、今更好きになる方が難しい。
よくコマーシャルで見るではないか。制服を着た高校生たちが、ザ・青春を醸し出してスポーツドリンクを飲んだり、お菓子を手に部活に勤しんだり。
紫苑は基本的にあの手のコマーシャルを見ると、何ともいたたまれない気持ちになる。「普通」や「みんな」を示されると、とてもじゃないけど惨めなのだ。
でも結局は、羨ましい以外の何物でもなかった。どうあがいても手の届かない、青い世界。
「っ……」
突然、紫苑の左耳に強い痛みが走る。耳を押さえても、痛みはどんどん強くなり、のち、耳鳴りに変わる。紫苑はパンダの上でうずくまった。
たまに、あることだった。感情が高ぶったときなど、突然痛くなる。
数分で収まるが、結構なストレスだった。母親に言っても、困ったような顔をされるだけで、何も言ってくれない。
(あたし、何してんだろ……。どうして、手に入らないの?)
虚しかった。青春を手に入れるはずだった。こんなはずじゃ……。
それは、苛立ちに変わった。
だから、これだけは言わせてほしい。今は、誰もいないから。
紫苑は左耳を押さえたまま、大きく息を吸って、パンダの上で叫んだ。
「青春なんて、クソ喰らえーーーーー!」
「やっと出てきたか、星名紫苑」
「ぎゃっ」
横から突然聞こえた男性の声に、紫苑はパンダの上から転げ落ちる。
声のした方を向くと、紫苑が座っていたパンダの隣のバインバイン像に、一人の男子が座っていた。紫苑と同じ年くらいだろうか。何食わぬ顔でバインバインしている。
ミルクティー色のふわふわとした髪に、両耳には銀のピアス。私服で、整った顔立ち。
「だっ……誰ですか」
紫苑はパンダから転がり落ちて強打した腰をさすりながら、何とかそれだけ絞り出す。
(待って。さっきこいつあたしの名前呼ばなかった⁉ もしかして、変質者?)
逃げようとしたのに、体が動かない。
そんな紫苑を見て、男子はふと笑った。
寂しそうな、愛おしむような、そんな目だった。
「心配しなくていい。俺は、銀杏校の生徒だ」
(銀杏校⁉ あの天下の銀杏校ですか!)
紫苑は尻もちをついたまま、目をぱちくりさせる。
彼の落ち着いた声を耳に入れただけで、不思議と耳の激痛は治まっていた。
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