第2話 隣り合う金木犀と銀杏
「おう。紫苑。起きたか」
「うん。じいちゃんおはよう」
一階に下りた紫苑に声をかけてきたのは、紅里の父親で紫苑の祖父の
桃子が作ってくれた朝食を褐平と一緒に食べ、学校へ行く準備をする。
だが、紫苑の動きは鈍い。
紫苑は基本、学校が嫌いだ。
母子家庭だったため、母親の紅里に心配をかけないよう、平気なふりをしていただけで不登校になる前、小学生のときは毎晩布団のなかで「明日、学校がガス爆発しますように」と願っていた。
だが、いつ登校しても、一応母校の三ヶ原小学校は無事だった。
勉強も運動も、友達作りもド下手くそ。
こんなポンコツが学校と噛み合わなくなってくるのも当然だった。
「はあ……やだなぁ」
紫苑がリュックサックに教科書をのろのろと入れていると、
「紫苑ー? もう八時半だけど。ちゃっちゃとやりなさいよー?」
一階から桃子ババの呼びかける声が聞こえてくる。
「分かってるー」
腹立たしいが図星だったので、紫苑も桃子に負けないくらいの大声でそう返したら、リュックを背負って一階に下りた。
「はあ……」
先ほどからため息が止まらない。
「紫苑、何嫌そうにしてるの。高校行くって、自分で決めたんだから。しっかりやりなさいよ」
玄関に向かう途中で、桃子のお小言が飛ぶ。
(まあ、そうなんだけど……。それ、元不登校に言うことじゃないでしょ)
続いて桃子から渡されたのは、回覧板。お隣さんに届けろということだろう。
「はーい。行ってきます」
朝からテンションを下げないでもらいたい。
八時四十五分。
九時から始まる通信制の高校へ、紫苑は登校したのだった。
***
回覧板を届けるように言われたのは、アイノさんという隣人だ。アイノさん宅は、高校生と中学生のきょうだいがいるらしい。会ったことはないが、絶対に会いたくない。
そそくさとその家のブロック塀に突き出た郵便受けに、回覧板を突っ込むと、そそくさとその場を離れた。
九時にもなると、流石に日が高くなってきた。五月の中旬だというのに、パーカーを脱ぎ捨てたくなってしまうような、強い日差しが紫苑を照り付ける。
紫苑の通う学校は、家から歩いて十五分ほどのところにある。
通信制なので、毎日学校はない。
今日はスクーリングと呼ばれる、学校へ授業を受けに行く日だ。
金木犀高校の場合、スクーリングは毎週金曜日と土曜日に行われる。
それ以外の日はレポートと呼ばれる課題に取り組む。
それらが全て終了すればテストが受けられ、単位習得。
三年以上在籍、七十四単位を取り、行事に三十時間以上出席すると、卒業できる仕組みだ。
「もう。ばあちゃんってば、しっかりやりなさいとか、余計なこと言って。そんなこと分かってるよ」
紫苑はぷりぷりと怒りながら足を動かす。
(でも。ばあちゃんは仕事でいない母さんの分まで、あたしに世話焼いてくれてるんだけどさ)
今日は土曜日。
だが、紅里は仕事をしている。家にいるのは日曜日だけだ。
紅里は、紫苑が高校の入学式でぶっ倒れ、その後、またしても行き渋りを始めたあたりから、仕事で家を空ける日が多くなった。
紫苑は、学校で上手くいかない自分に紅里が失望してしまったのかと悲しくなったが、すぐにそう思うのはお門違いだと気が付いた。
金木犀高校は、進級に必要な単位がとれなかった場合、留年になる。
たびたび熱を出したり、心身の体調不良に見舞われる紫苑が、三年で卒業できるかは定かではない。
つまり、三年で卒業できなければ、四年、五年と卒業までに時間がかかればかかるほど、学費もかかるのだ。
紫苑に父親はいない。
稼げる人が紅里しかいない状態なのだから、仕事に力を入れなければいけないことも、理解している。
それに、紅里は紫苑のために一度仕事を辞めている。
ビルが並ぶオフィス街から実家のある住宅地へ引っ越し、再就職も大変だっただろう。
仕事人間だった紅里から以前の職場を奪ってしまったことも、紫苑の負担になっていた。
「ねえ、これからどこ行く?」
「カラオケ行かない?」
「いいね! 行こ」
紫苑とすれ違うようにして、女子高校生と思われる三人組が通る。
太ももを堂々と出したミニスカートに、バッチリメイク。
土曜日だから、友達と過ごすのだろう。
「カラオケ……」
紫苑は誰に聞かせるでもなく、そうつぶやく。
元引きこもり不登校の、友達もいない、そもそも学校にすらまともに行っていないような紫苑には、縁遠い言葉だ。
羨ましいような、そうでもないような。
仮に、紫苑が友達とカラオケに行ったとしても、一曲目で体力の限界を迎えて白目を剥いて倒れるか、何とか乗り切れたとしても次の日熱を出して倒れそうだ。
どちらにしろ、倒れる未来しか見えない。
「いいな……青春だな……」
紫苑はそうつぶやき、目の前の赤信号で止まる。
世の青春を感じる高校生が羨ましくないなど、強がり以外の何物でもない。
だから、紫苑は高校へ進学を決めた。
金木犀高校で友達を作り、青春をするのだ。
紫苑は首に下げられた星形のペンダントに触れる。銀の重みを感じる、ひやりとしたペンダント。
(これが高校に行く勇気をくれたんだよね……)
そのペンダントを強く握り、青信号になった交差点を渡った。
***
金木犀高校は、十色市木犀町にある。
直角になった曲がり角に、普通の一軒家に混じるようにして建つ、少し大きめの古びれた公民館のような出で立ちの建物がそれだ。
二階建てで、泥がはねたように茶色く染みがついたモルタルの外壁。ところどころヒビが入っていて、年季を感じさせる建物だ。
これが私立?
しょうがない。
家から一番近くで一番学費が安かった。
道を挟んで隣は、十色市三校と言われる全日制の、人気公立高校のうちの一校、銀杏高等学校が校舎を構えている。
悠々としただだっ広い敷地内には、大きな校舎を隠すように、銀杏の木が並ぶ。
その銀杏の木の周りを鉄柵がぐるりと囲い、正面には同じく鉄柵の門の両側に、学校名が書かれた太いレンガの門柱がたつ。
今日は休日なので銀杏高校の門は閉まっているが、平日、紫苑が出向く金曜日。
キラキラオーラをまとった(紫苑フィルター)全日制高校生が、校舎へと吸い込まれていく。友達と並んで歩き、時折爆笑しながら肩をぶつけ合って登校するその姿は、青春そのものだ。
目撃したら最後、何ともいたたまれない気分になる。
それに比べて紫苑は、
小さな体に大きなリュック。
まるでリュックに背負われているようだ。
自分の状況に自信が無い上、人目にさらされたくない思いから、目深に帽子をかぶり、コソ泥のように足音を立てずに、一人でボロ家に入っていく。
これではまるで不審者だ。
紫苑は特大のため息をついた。
***
金木犀高校の中に入ると待ち構えるのは、大きな下駄箱。
バレンタインの時期になると、男子がこぞって期待しながら開ける……もしくはイケメンの靴箱に大量のラブレターが……なんて妄想ときめくものではなく。
普通の扉がないタイプの靴箱というより下駄箱だ。
紫苑は適当なところに履いていたスニーカーを入れ、適当に並べられたスリッパを履く。
学校ならば自分の名前が書いてるところに靴を入れそうなものだが、クラスの概念がこの学校にはなく、自分が履修する単位の授業がある教室に移動して、一つの教室に一年生も二年生も三年生も、みんな混じって授業を受ける。
生徒がそもそも少ないので、それほどごみごみはしない。
下駄箱の先は、玄関ホールだ。
中央が少し低いところにあり、ひな壇のように、低い中央を囲むようにして階段がある。
学校の説明会や入学式にここが使われる。
そう、入学式だ。
紫苑はここでぶっ倒れた。
「紫苑ちゃん、おはよう」
突然、おっとりとした女性の声が降ってきて、紫苑は飛び上がる。
「うぃ! ……あ、おはようございまっす」
びっくりして、つい声が裏返った結果、変な声が出ていたたまれなくなる。
声をかけてきた女性は、ブラウスにタイトなスカートをはいた、紫苑とさほど背が変わらないような小柄な教師だ。
「紫苑ちゃん、今日。体調はどう?」
その女の教師、
「あ、はい! 今日は大丈夫です。ありがとうございます……」
紫苑は背中に冷や汗をかきながら何とか笑みを作った。
まだ入学して一か月と経たない紫苑が、担任制度のないこの学校で名前を覚えられえている所以。
「そう。良かったわ。具合悪くなったら、保健室においでね」
若葉は再度笑みを浮かべて、爽やかに手を振りながらホールの左側にある職員室へ入っていく。
紫苑は力なく手を振り返した。
そう、若葉は養護教諭なのだ。
入学式のとき、紫苑は倒れたのち、保健室へ連行された。
入学早々、保健室へ来る人物は少ないらしく(当たり前)、それが若葉に強烈な印象を与えたようで、若葉いわく入学してからどのくらいで保健室にお世話になるかを競う、保健室タイムアタックで一年生の中では三本の指に入るとのこと。
それからも度々、紫苑は体調不良に見舞われては保健室を訪れた結果、バッチリ顔を覚えられてしまったというわけだ。
ちなみに、紫苑は三本の指の中でトップだそうだ。
「そんな称号はいらないよ……」
うなだれようとしたら、頭がくらっとした。
若葉には大丈夫と言ったのに、なぜだろう。
熱が出そうだ。
◇◇◇◇
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