どうやら「普通」の青春は合わないようです~それでもシオンは恋をする~
卯月まるめろ
第1話 母の心労と鈴木デンキ
「あの子、本当に大丈夫……?」
深夜二時を回った、薄暗いリビング。
掃き出し窓から覗く満月の光を頼りに、
学生時代は成績優秀、難関大学に現役合格し、入社難易度が高い企業に就職。その後、学生時代の付き合いである男性と結婚した。
が、一人娘が生まれる直前、夫を病気で亡くした。
だが紅里は諦めなかった。いつ何時も、信じられるのは自分自身。血のにじむような努力さえしていれば、乗り越えられないことはない。
そう思って、子育ても仕事も手を抜かなかった。
だが、その一人娘・
……人生、上り坂と下り坂。まさかがあるとは、よく言ったものだ。
娘の紫苑は不登校になったのは、中学一年のとき。
ある日突然、熱を出すようになった。
特に、休み明けの月曜日の朝。
熱は、一日で下がる。当然、月曜日は欠席。
次の日こそは、と本人も気合いを入れて、火曜日に登校するのだが、腹痛や眩暈を訴え、早退。
必然的に、登校頻度は著しく下がる。中学校で具合が悪くなるという経験が、紫苑にとってトラウマになったらしく。
しまいには、紫苑本人も、学校に行くのが「怖い」という始末。
それを何度も繰り返すので心配になった紅里は、医者に見せ検査を受けさせたりしたが、結果はいつも、「ストレスからくる自律神経の乱れ」だった。
小学生のときの‛‛あの出来事’’が関連しているのではないかと心配になったが、あのとき事故で負った左耳の怪我はもう完治していると、医者に諭された。
紫苑は案の定、「行き渋りの不登校気味」から、「完全なる不登校」になり、自分の部屋に引きこもるようになった。
紅里とて、最初は受け入れるのに時間がかかった。紅里は正真正銘、毎日勉強のために嬉々として学校に通い、努力を怠らずエリート街道を突っ走った、エリート中のエリートだと自覚していた。
だがまさか、娘の紫苑が言い方は悪いが、社会のレールを外れた不登校児になるとは。思いもしなかった。
第一、ストレスなどこのストレス社会では避けては通れないもの。
みんなが抱えているものなのに、なぜ紫苑だけがこんなことになってしまうのか。
分からなかった。
みんなと同じことが、どうして自分の娘にはできないのか。
だが、受け入れるもなにも、最愛の娘がつらそうな表情を見せるものだから、どうにかしてやりたいと思わずにはいられなかった。
同じく最愛の夫、
中学校にも話を通し、教師たちと一丸となって紫苑を学校に通わせようとしたり、フリースクールへ見学に行ったりしたが、思うような結果は得られなかった。
でも。紅里は、これくらいで諦める女ではない。
一度手を出したら徹底的に手を尽くす所存である。
そんな紅里は、元々上司らの態度に不満があった会社を辞め、都心・三ヶ原区から自らの実家・十色市へ紫苑と共に引っ越した。
本当ならば草一が亡くなったとき、両親に帰ってくるように言われたが、家を出るとき自立した大人になると誓ったのだ。当時は今更それを曲げるわけにはいかないと断ったが、状況は変わった。
引きこもりと化した娘が、一人日の当たらないアパートで過ごすより、祖父母がいる一軒家で過ごした方が、回復も早いと思ったからだ。
紫苑が元々通っているはずだった中学校は、当然転校という形になるが、新しい中学校であれば心機一転、通えるようになるのではと考えた。
何せ、紫苑が不登校だったという事実を転校先の生徒は知らないのだから。
それでも、紫苑は一筋縄ではいかなかった。
紅里の鉄女ぶりも紫苑というモンスターの手にかかれば、その鉄も錆びさせてしまうのである。
もうお分かりだろうが、新しい学校でもまたしても紫苑は不登校を卒業できなかった。そればかりか、紫苑は女性アイドルオタクの道を歩み始めた。
引きこもりで外に出られないため、代わりにアイドル雑誌を買ってくるよう頼んできたり、紫苑の部屋の前を通りかかると、推していると思われるアイドルの曲が爆音で流れてきたり。
紅里はもちろんオタクではない。
紫苑のオタク気質は誰に似たのだろうかと考え、草一の遺品を整理していた際、ひょっこり大量のアイドルグッズが出てきたことを、ふと思い出す。
紫苑は父親に似た。吊り目でキツイ印象の紅里に対し、草一や紫苑は顔つきがどこか頼りない。
紅里はオタクを否定する気はないので放っておいたが、紫苑も中三になり、進路を考えなければいけない時期になる。
そのときに紅里が「紫苑」という名前の由来を話すと、紫苑も何か思うところがあったらしい。
通信制高校へ行く、と言い始めた。
紅里は歓喜で小躍りしそうになった。
ついに自分の娘が自ら一歩を踏み出す気になってくれた。
もうこれで大丈夫だ。
喜んで見学や手続きについていき、晴れて金木犀高等学校という私立の通信制高校へ進学する運びとなった。
私立は金がかかるが、紫苑のことを思えば痛くも痒くも……ない。
紫苑が高校生になった今年。娘はえらくやる気に満ち溢れているようだった。
紅里も、期待で満ち溢れていた。
……高校の入学式で倒れた。
モンスター紫苑が。
その後、保健室に連行された。
入学式といっても、小さなホールに新入生たちが輪になって集まり、校長の話を聞くという簡単なもので、紅里もいた。
母親と、教師と、。同期生となる数十人の生徒の前で、ぶっ倒れた。
モンスター紫苑が。
引きこもりの体力のなさを、舐めていた。
「あの子、本当に大丈夫……?」
二度目の溜息を、からになったコーヒーのコップに落とした。
掃き出し窓から見える山の端が、朝を知らせるかのように白く色づいていた。
今日も仕事だ。
いつか、紅里の母親が、「子育ては修行だ」と言っていたのを、思い出す。
◇◇◇◇◇
『やーいお前、星名紫苑のこと、好きなんだろ!』
ここは……小学生のときの、通学路?
あたしの名前を口にしたのは、悪意に満ち溢れた表情をした悪ガキ。たぶん、小学生だろう。そいつが問いかけていたのは、同じ年くらいの男子小学生だった。
あたしのこと、誰が好きって……。
問いかけられた男子は……顔が分からない。霧でもかかったかのように、その男の子の顔だけが、見えない。でも、顔が分からない男の子は、こういった。
『……好きなんかじゃ、ない』
顔は見えないの。見えないんだよ? 見えないくせに、胸が痛かった。心の傷口が、膿んでいく。
男の子の返答を聞いた悪ガキは、ぎらりと男の子を睨んだ。
『おい。嘘つくなよ、ゴミ』
ドン! ドサッ
男の子が悪ガキに押されて、車道へ転ぶ。
プー! ププププー!
走ってきた車が、派手にクラクションを鳴らす。
あ、車。助けなきゃ……。
「〇□×△さん、危ない!」
とっさに叫んだ、車道に転ぶ男の子の名前。その名前のところだけ、自分が何を言ったのか分からなかった。
あたしは車道に出た男の子の袖を掴み、歩道へ押し戻す。
戻らなきゃ、歩道へ……。
キキーッ
バン!
「……ぁ」
『星名!』
あたしが助けた男の子は、名前を呼んでくれた。
男の子の無事を確認したあたしは、ゆっくりと瞼を閉じる。
サイレンの音が、遠くで聞こえる。
『お母さん。左耳の怪我は、一か月もすればすぐ治ります。命に別状はありませんよ』
『ああ……良かった……っ……ありがとうございます』
『ただ……大きなショックを受けたようで。記憶の混濁が見られます。部分的に記憶がなくなることも、あるかと』
◇◇◇◇
ジャジャジャジャーン!
「ぎゃっ」
電化製品を扱う店のテーマソングが爆音で流れ、口から心臓が飛び出そうになり、紫苑は飛び起きた。
まだドキドキしている胸を押さえながら、紫苑はスマホで時間を確認する。
七時三十分。母親の紅里はもう仕事へ出かけたころだろうか。
普通の目覚まし音で起きられなかったときの最終手段として、鈴木デンキのテーマソングが流れるように設定したが、これでは紫苑の心臓がもたない。
「今日は五月十五日……あ。高校行く日だ」
それに気が付いた瞬間、紫苑は絶叫する。
「い、い、嫌だぁーーー! 行きたくないよぉーーー。母さん! 母さん母さん! どうしよーーーぉ」
いくら叫んでも、紅里は仕事だ。ほいほい帰ってくるわけがない。
「紫苑? 起きてるならご飯を食べなさい」
代わりに部屋の外から、祖母の
ギクッ!
紫苑の肩が跳ね上がった。
桃子は紅里を含め、三人の子どもを難関大へ進学させた根っからの教育ママだったらしい。来年七十歳だが、朝早くから仕事へ出かけてしまう紅里の代わりに、紫苑の行動に目を光らせてくる。
(ばあちゃん、嫌いなわけじゃないけど……あたしが不登校だったこと、よく思ってなかったよね⁉ 絶対⁉ ……恐ろしい)
中学校に行きたくないと喚く紫苑を見つめる桃子ババの鋭い目が、紫苑のナイーブな心にぶっ刺さったことはまだ記憶に新しい。
紅里の前では行き渋れるが、桃子の前だと青菜に塩状態になる。
紫苑は枕元に置いてあった眼鏡をかけ、部屋の扉を開けると、桃子がニッコリと笑う。
「紫苑ちゃん。朝七時半になると聞こえてくる大きな音は何? おばあちゃん、びっくりするんだけど」
「あ、はい。すみません……」
この紅里の実家である三LDKの一軒家は、古いせいで二階にある紫苑の部屋から鳴る鈴木デンキが、一階のリビングにまで響いてしまうらしい。
紫苑は桃子と共に一階への階段を下りながら、肩を落とした。
(今日は学校か……)
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