第12話 始まりの歌、そして世界が揺れ始める

 ステージのライトが落ち、最後の余韻が空気の中に漂っていた。


 拍手が、波のように押し寄せる。

 歓声が、耳の奥で弾ける。

 それなのに、リリスの心は不思議なほど静かだった。


 


(終わったんだ……わたし、本当に歌いきったんだ……!)


 


 手のひらに残る汗。スカートの裾に触れる風。

 すべてが、さっきまでとは違って感じられる。


 ステージはまだ熱を帯びているのに、心の奥は凪のように澄んでいた。


 


「リリスちゃん!」


 


 走ってきた春日が、いきなり抱きついてきた。ふわっと香る甘い匂いに、リリスの緊張が一気にほどけていく。


 


「ほんっと、すっごくよかった! 最初の一声で空気変わったもん!」


 


「う、うん……あの、ありがと……」


 


 涙腺が勝手に緩みかけて、慌てて拭う。


 


「泣いてもいいのよ。だって、今日のあなたはちゃんと“アイドル”だったもの」


 


 その声に続いて、あみと紗枝も駆け寄ってきた。

 紗枝は目元をうるませながらも、いつも通りキリッとした表情でリリスの肩に手を置いた。


 


「センター、お疲れ。あんた、ちゃんとやり遂げたよ」


 


「お疲れさまーっ!! もう私、涙でメイク崩れてない!? 大丈夫!?」


 


 あみは相変わらずテンション高く飛び跳ねている。

 そして、最後に静かに現れたのは、高槻凪。


 


「……届いたよ、ちゃんと。リリスの歌。わたし、ステージの上でちょっと泣きそうになった」


 


 無表情な凪が、ほんの少しだけ笑った気がして、リリスの胸に温かいものが広がった。


 


 ――わたし、いま、“ここにいる”。


 


 


***


 


 


 楽屋に戻ると、プロデューサーである兄・クロノが、腕を組んで立っていた。

 その表情はいつものように落ち着いていて――けれど、口元が少しだけ緩んでいる。


 


「初ステージ、よくやったな、リリス」


 


「……兄さん、見てた?」


 


「ああ。お前の歌、きっと誰かの心に届いた。

 それは、お前が“世界に向かって扉を開いた”ってことだ」


 


 クロノの声に、リリスの胸がじんわりと熱くなる。


 


「今日という日は……ただの始まりだ。リリス、お前の夢は、ここから世界に広がっていく」


 


「うん……うん!」


 


 そのとき――。


 クロノのスマートパッドが振動した。


 


「……ふむ。どうやら、早速“波紋”が広がり始めているようだ」


 


 彼の指が画面をスライドすると、SNSや動画配信アプリに上がった《Myth∞Twinkle》のステージ映像が、瞬く間に再生数を伸ばしていた。


 SNSにはファンアート、**「#異世界アイドル」「#天使ボイス」**などのタグが並び、トレンドを独占していた。

 “早すぎる神絵師”が描いたリリスのイラストが爆速でいいねを集め、まとめサイトには“伝説の始まり”の文字が踊る。


 


「“異世界アイドルってマジだった”」

 「歌で泣かされた……何この透明感」

 「センターの子、どっか普通じゃない。何か違う」

 「推せる」


 


 画面に踊る文字たちに、リリスは思わず息を呑んだ。


 


「え……わたし……すごいことしてたの……?」


 


 戸惑いながらも、内心では“嬉しい”が止められなかった。


 


 


***


 


 


 その夜、リリスは星を見上げていた。


 都会の夜空に、星は少ない。けれど――


 


(お母さま……お父さま……わたし、今日、ちゃんと一歩踏み出せたよ)


 


 遠く天界で、母・セレナフィア=ルクレールが、そして魔界で父・グラン=ダグリオンが見てくれている――そんな気がした。


 どこかの空の下で、きっと想ってくれている。

 それが、リリスの背中をそっと支えていた。


 


「明日から、もっとがんばらなくちゃ」


 


 星の見えない空に向かって、そっと誓う。


 この声が、もっとたくさんの人に届くように。

 もっと、夢に近づけるように。


 


 けれど、その頃――。


 異世界では、光を切り裂き、一本の剣が大地に突き立つ。

 そして、天界の空に翳りが走り、一対の銀翼が地上へと堕ちていく。

 リリスの歌が、静かに、しかし確実に“運命”を揺らし始めていた。


 


 それは、リリスの歌が触れたもの。

 希望だけではない。

 恐れと、誤解と、痛みと――そして、運命の歯車。


 


 だが今のリリスはまだ、そのことを知らない。


 ただ、真っ直ぐに夢を追うひとりの少女として、

 世界に、歌を響かせていくのだった。

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