第11話 一方その頃、異世界では

 光満ちる天界の空が、鈍い灰色へと翳っていた。


 空に異変が起きるとき、それは必ず――何かが「世界の秩序」を揺るがす兆しだった。


 セラフィナは、神殿の高塔から地上を見下ろしていた。

 風は静かで、天の鐘は一切鳴らない。だが彼女の銀翼は、確かにざわついていた。


 


「……やはり。リリスが“歌った”のね」


 


 彼女の目が、かすかに揺れる。


 天界の巫女たちが口々に囁く――地上で“魔王の娘”が人々の心に干渉し始めたと。

 それは神の領域に等しい。いや、神ですら届かない“魂の琴線”に、あの娘が触れようとしている。


 


(なぜ、女神様は何もしないの……?)


 


 セラフィナの中に、抑えきれない苛立ちが込み上げる。


 


「兄上も……なぜ、あの方の側に立ち続けるのですか」


 


 兄――天使長セラフィエルは、長年にわたり女神セレナフィアに忠誠を誓い続けてきた。


 しかし今は、その忠誠すらもぐらついて見える。

 なぜなら、女神は“魔王”――グラン=ダグリオンを、そしてその娘リリスを、愛しているからだ。


 


(魔王は、かつて世界を滅ぼしかけた存在。たとえ今は“親バカ”を気取っていようと、その本質が変わるものか!)


 


 セラフィナの心には、正義ではなく“怒り”が燃えていた。

 正しくあろうとした兄が、その意思を曲げてまで女神の意志に従っていること。

 かつて誇り高かった天界が、“娘の可愛さ”に甘くなった女神の感情に支配されていること――すべてが、許せなかった。


 


 彼女は決意した。


 天界の誇りを取り戻すために、そして兄を目覚めさせるために。


 ――女神を、“魔王の呪縛”から引き離さなければならない。


 


 


 ***


 


 


「……セラフィナ。あなた、まさか……」


 


 セレナフィア=ルクレールは、天界玉座の間で静かに立っていた。


 その姿はまるで白百合のように清らかで、慈しみに満ちた微笑を浮かべている。

 だが、彼女の足元では、光の枷を巻かれたセラフィエルが跪いていた。


 


「ごめんなさい、女神様。でも、私はもう見ていられないんです」


 


 セラフィナの銀の瞳が、女神を真っ直ぐに射抜く。


「魔王に惑わされ、リリスという化け物の夢を叶えようとする……そんなあなたを、私は愛しているがゆえに止めなければなりません」


 


 女神の笑みが、わずかに揺れた。


 


「リリスは化け物などではありません。

 あの子は――あなたの兄と、グランと、私が心から願って生まれた希望です。

 あなたの兄も、それを知っている。だから、そばにいるのでしょう?」


 


「兄上は、あなたに毒されたのです!」


 


 セラフィナの怒号が空に響く。


「世界の均衡が崩れています。リリスが地上で“人の心”を掴み始めた。もう止めなければ手遅れです!」


 


 彼女は光の剣を抜き、手を振るった。


 


 ――神殿の兵たち、純白の翼を持つ天使軍が、次々と女神のまわりを囲む。


 


「セレナフィア様、そして天使長セラフィエル。あなた方には“謹慎”していただきます。

 すべてが終わるまで、天界牢獄にて身柄を拘束します」


 


「……セラフィナ、それがあなたの答えなのですね」


 


 女神は最後まで争おうとせず、ただ静かに頷いた。


「ですが、リリスの歌は――いつか、あなたの心にも届くと信じています」


 


 セラフィナは答えなかった。ただ背を向け、命じる。


 


「封印陣、発動」


 


 セラフィナが指を鳴らすと、空間に透明な封印陣が浮かび、ゆっくりと光の輪が降りてきた。

 まるで花のつぼみが閉じるように、女神と天使長はその中心へと静かに包まれていった。



 


 


 ***


 


 


 そして――。


 セラフィナは、空に浮かぶ大陸の端から、地上を見下ろす。


 王国へと続く大地に、一本の剣が出現するのを、彼女は感じていた。


 


「勇者、目覚めたのですね。

 ならば、私は……あなたを導きます。

 魔王と、その娘を倒すために」


 


 風が、銀の髪を揺らす。

 その表情に迷いはなかった。いや――迷いを、捨てたのだ。


 


 セラフィナは翼を広げ、天界から地上へと滑空していく。

 向かう先は、勇者の目覚めた王国。


 


 彼女の戦いが、今まさに始まろうとしていた――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る