第12話 水鏡の記録

夏の夕刻、蝉の鳴き声が校舎の外に響いていた。


 図書室の奥に足を踏み入れたユウトは、長年誰も開けなかったであろう木箱の中から、埃をかぶった新聞の切れ端を見つけた。


 《〇〇中学校女子生徒、校内プールで水死。事故か、自殺か――遺族、真相究明を求める》


 日付は、ちょうど十年前の夏。記事には名前こそ伏せられていたが、亡くなった少女は、吹奏楽部の一年生で、人付き合いが苦手だったと記されていた。目撃者もおらず、彼女は誰にも知られずに水に沈んだ。


 その文字をなぞる指先に、ひやりとしたものが触れた。


 ページの隅――赤黒い染みが滲んでいる。


 血だろうか? あるいは、別の“何か”だろうか?


 不意に、ページの文字がぼやけ、次第に文章の形を成さなくなった。ユウトは目を凝らす。滲んだインクの隙間から、文字でない“絵”が現れていた。


 ――水の底に浮かぶ少女の瞳。

 ――その周囲を囲む、歪んだ鏡。

 ――そして、鏡の内側から這い出ようとする、何か。


 それは、記録ではない。“記憶”そのものだった。


 放課後の誰もいないプールサイド。

 透明な水面が、赤みを帯びた夕陽を反射して揺れていた。ユウトはそこに、ひとり佇んでいた。


 水面は静かだった。ただ、じっとしているのが怖かった。


 彼はしゃがみ込み、ゆっくりとプールを覗き込む。


 ――そこに、いた。


 自分の顔の隣に浮かぶ、もう一つの顔。


 まるで、こちらの内面を“覗き返している”ような、無表情な少年の顔。


 瞳は深く、暗く、底が見えない。


 「お前は……誰だ?」


 声は届かなかったが、その瞬間、水面が泡立ち、冷たい感触がユウトの腕を掴んだ。


 引きずり込まれる。


 咄嗟に身を引くと、影は泡と共に水中に消えた。


 翌日、ユウトは出来事を仲間たち――イロハとレン、ナツメに語った。


 イロハの表情は険しかった。


 「……やっぱり、“水鏡”が原因かもしれない。水面に映るのは、“もう一人の自分”。それは、この世界に存在しないはずの“裏の魂”……いわば、“写し身の業”よ」


 「写し身の業……?」


 「裏の世界――“水の裏”に引きずり込まれる。そこは、この世とは逆の位相にある場所。生者の意識が強く共鳴すると、向こうの魂と繋がるのよ」


 「……それって、行けるってことか?」


 「行ける、というより、引き寄せられるの。共鳴すれば、向こうの世界の扉が開く」


 再びプールへ。

 今度は全員で、水面を覗いた。


 静寂の中、水が揺れ、ぷくぷくと泡が浮かぶ。


 そこから、前日と同じ影の少年が、ゆっくりと姿を現した。水面から上半身だけを出し、ただ真っすぐにユウトを見つめていた。


 「……ここから出してくれ」


 その声は、水の中から直接頭に響いてくるようだった。


 「誰なんだ、お前は……なぜここに?」


 少年は目を閉じ、まるで夢を見るように呟いた。


 「……昔、この学校で溺れた。誰にも気づかれず、水の中に閉じ込められた。……名前も、思い出せない。だけど……君の中に、俺の“欠片”がある」


 「欠片……?」


 「君は、僕の“写し身”なんだ」


 その瞬間、プールの水面が激しく波立ち、ユウトの足首を、まるで意志あるもののような“冷たい手”が掴んだ。


 ユウトは叫びながらも、影の少年の目を見据えた。


 「……お前を、助ける」


 「じゃあ……来て。裏へ。ここじゃない場所に、僕たちは閉じ込められてる。君が鍵なんだ」


 次の瞬間、ユウトの意識がふっと引き剥がされた。


 目を覚ましたとき、ユウトは保健室のベッドにいた。イロハがそばに座っていた。


 「無茶しすぎよ」


 ユウトは、夢のような記憶を振り返った。


 だが、手のひらに残る冷たい感触が、それが“現実”だったと告げていた。


 その夜。ユウトは校庭のベンチにひとり座っていた。


 月が雲の切れ間から姿を見せ、水銀色の光が地面に落ちていた。


 彼の視線の先には、校舎の窓――そのガラスの中に、じっとこちらを見つめる少年の瞳があった。


 「裏の世界は、すでに僕たちのすぐそばにある。

 水面は、境界線なんだ――」

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