第11話 儀式の再演

六月の空はまだ重たく、厚い雲が校舎の上に垂れこめていた。

雨は朝から断続的に降り続き、昼過ぎにはすっかり本降りになっていた。窓の向こうは白くかすみ、隣の校舎の輪郭すらぼやけて見えない。


 


新学期も終わりに近づいた放課後。

教室には、まだ数人の生徒たちが残っていた。机に伏せてうたた寝をしている者もいれば、スマホを見つめている者もいる。日常の延長のような、しかし確実に“何かが変わった”空気があった。


 


教室の隅。窓際の席に座る転校生・鏡原レイが、低く冷たい声で語り始めたのは、そのときだった。


 


「……だから、放課後に鏡を覗いちゃダメなんだよ」


 


ユウトはその言葉に、背筋を撫でられるような感覚を覚えた。

レイの声は決して大きくはない。だが、それは湿った空気を切り裂くように、教室の隅々に染み渡った。


 


彼女は黒髪を肩まで真っ直ぐに垂らし、深い影を帯びた瞳で遠くを見ていた。

その姿はどこか現実感が薄く、まるでこの世の人ではないような、儚さを纏っている。


 


「昨日の吹奏楽部の事故、知ってる?」


 


誰かが息をのんだ。


 


「……あれは事故なんかじゃない。あれは、“儀式”がまた始まった証なんだよ」


 


雨音だけが、窓ガラスを叩く。



吹奏楽部の部室で、一人の女子生徒が姿を消したという話は、既に学園中に広がっていた。

朝のホームルームでは“体調不良による欠席”と説明されていたが、ユウトは廊下でその現場を見た。部室の扉の前に、信じられないほど大量の水が溜まっていたのだ。濡れたフルート、泥のついた譜面、そして冷たい水音。


 


それは、水が“何か”を連れ去った痕跡だった。

 


「10年前、この学校で、同じことが起きてたの」


 


レイの声は静かに、しかし明確に教室を切り裂いた。


 


「10年前の六月。この校舎で、ある儀式が繰り返されていたの。水と鏡を使った、呪いの儀式――」


 


その言葉に、クラスメイトの一人が笑いかけて止めた。


 


「は? なにそれ、都市伝説? 鏡の中から女の子が出てくる、とか?」


 


「信じなくてもいいよ。でもね、10年前にも“水に引きずられた”生徒が、三人いる」


 


そのとき、イロハが口を開いた。


 


「……一人は、確か、プールで失踪したって聞いたことがある」


 


レイはうなずいた。


 


「もう一人は、音楽室で。最後に使っていたのは……吹奏楽部」


 


ユウトははっと息をのんだ。まさに今、同じことが起きている――。


 


「それに……最後の一人は、鏡の前で消えたの。誰も見ていないのに、姿だけがすうっと消えていった。床は、まるで誰かが水の中に沈んだように、濡れていたらしい」


 


教室の空気が急激に冷たくなった。


 


「儀式はこう始まるの。まず、校内の“水のある場所”で異変が起き始める。プール、音楽室の流し台、トイレ、噴水……。次に、誰かが鏡に吸い込まれる。そして、開くの。“あの扉”が」


 


ユウトは震える指で机を握りしめた。

あの、濡れた廊下に現れた扉――鏡と水が交わるとき、異界が口を開く。もし、それが10年前にも起きていたのだとしたら――?


 


「10年前、それを止めようとした教師がいた。彼女は、一人の生徒の叫びを聞いて、鏡を割った。でも、そのあとすぐに失踪した。記録から名前も消されてる」


 


「……なぜ、あなたがそれを?」


 


「私の姉が、その“最後の一人”だったの」


 


レイはそう言った。

静かに、微笑むでもなく、涙を見せるでもなく。


 


「姉は、音楽室で、鏡に映った“もう一人の自分”に声をかけられた。それから一週間後、姿を消した。

誰も信じなかった。事故だって言われた。でも私は、あのとき姉の部屋で見たの。

濡れた鏡と、書きかけの譜面と、“水に沈む夢を見た”というメモを――」


 


「この学園には、誰も語らない“水の底”がある。

10年前と同じ儀式が、いま、再び始まっているの。鏡が開いて、水の向こうから誰かが来る」


 


雨脚が強くなった。

誰も声を発せず、ただその場に沈黙していた。


 


ユウトの頭に、あの“映らない影”の記憶がよみがえる。


 


あれはただの幻ではなかった。

今この瞬間も、鏡の奥では“誰か”がこちらを見つめている。


 


そして、気づいてしまったのだ。

これはただの怪異ではない。

これは、“再演”なのだ。

10年前、果たされなかった“完成しなかった儀式”が、今再び繰り返されようとしている。


 


「私は……止めたい。今度こそ、あの扉を閉じなきゃいけない」


 


レイの声は、決意と痛みが滲んでいた。


 


その声に、ユウトとイロハはうなずいた。

たとえ、二度と戻れなくなったとしても――


 


「鏡の向こうには、“私たちのもう一人”がいるのよ。彼らに、居場所を渡しちゃいけない」


 


その夜、窓に映る自分の影が、少しだけ遅れて笑った気がした――。

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