白狼姫の孤独と氷の試練

赤竜将サラマンドを討伐し、私たちはしばしの休息を取っていた。ルナは、サラマンド戦での無理がたたったのか、しばらく高熱で寝込んでしまったが、ミリアの献身的な看病と、私が習得したアクアヴェールの癒やしの力で、数日で回復することができた。彼女のハイドロスピリットの能力は、サラマンド戦で覚醒したものの、まだ完全には制御できていないようだった。


「ありがとう、ヒメカさん、ミリアさん。もう大丈夫です」

少し顔色は悪いものの、ルナの瞳には新たな決意が宿っていた。自分の故郷を滅ぼした星喰らいと同じ、世界を脅かす存在を許してはおけない、と。


アルスは、サラマンド戦での覚醒後、いつものように数日間意識を失っていたが、目覚めてからは以前にも増して思い詰めた表情をすることが多くなった。自分の中の「もう一人の自分」の存在に、薄々気づき始めているのかもしれない。そして、その力が、あまりにも強大であることに恐怖を感じているようだった。


「僕……本当に、みんなの役に立っているのかな……。あの力は……僕の力じゃない気がして……」

「そんなことないわ、アルス。あなたが勇気を出してくれたから、私たちは勝てたのよ」

ミリアは優しく励ますが、アルスの心の霧は晴れない。聖剣ソルブレイバーは、時折、アルスの感情に呼応するように、微かに光ったり、重くなったりしているようだった。


残る四天王は、氷を司る「白狼姫フェンリル」。彼女の居城は、極寒のツンドラ地帯の奥深く、氷河の中に築かれた「氷狼宮」と呼ばれる場所だという。

「フェンリルは、四天王の中でも最も冷酷で、そして最も悲しい瞳をしていると聞いたことがあります……」

ミリアが、どこか同情するような口調で言った。彼女の情報によれば、フェンリルは巨大な氷の狼を従え、絶対零度の吹雪を操り、そして何よりも、相手の心の弱さやトラウマを氷の幻影として見せる精神攻撃を得意とするらしい。


「精神攻撃か……。厄介な相手になりそうだねぇ」

サヨが、珍しく警戒感を露わにする。物理的な強さよりも、精神的な揺さぶりは千年種にとっても未知の領域だ。長年生きてきた分、心の傷や後悔も人一倍多いかもしれないのだから。


極寒のツンドラ地帯は、想像を絶する寒さだった。サラマンドの火山地帯とは真逆の過酷な環境だ。私たちは、ミリアが用意してくれた防寒具を身に纏い、吹雪の中を氷狼宮へと進んだ。

道中、氷でできた狼の魔物たちが何度も襲いかかってきたが、サラマンド戦で水の魔法に開眼したルナの「ハイドロテンペスト」や、私の炎魔法「フレイムピラー」が効果を発揮し、比較的スムーズに進むことができた。


そして、ついに氷狼宮の最奥、巨大な氷の玉座の間に辿り着いた。そこには、美しい銀髪を持ち、白い毛皮のローブを纏った、儚げな雰囲気の少女が一人、静かに座っていた。彼女が、白狼姫フェンリルだった。その隣には、体長が象ほどもある巨大な白い狼が、鋭い牙を剥いて私たちを威嚇している。

「……よく来たな、異界の者たち。そして、エルドラの愚かな勇者よ」

フェンリルの声は、まるで氷の鈴が鳴るように澄んでいるが、その響きには深い孤独と絶望の色が滲んでいた。


「お前たちが、我が同胞であるゴーレムとサラマンドを倒したそうだな。だが、この私がいる限り、魔王ザルガード様には指一本触れさせん」

フェンリルが立ち上がると、周囲の気温がさらに下がり、私たちの足元から氷の棘が突き上げてくる。

「ヒメカ姉御、こいつ、いきなりやる気満々だぜ!」

「ええ。でも、彼女の瞳……どこか、ルナに似ている気がするわ……」

フェンリルの瞳には、故郷を失ったルナと同じような、深い喪失感が漂っているように見えた。


戦闘が始まった。フェンリルは、巨大な氷狼「ゲリ」と「フレキ」を同時に操り、自身も強力な氷結魔法を放ってくる。ゲリとフレキの動きは俊敏で、連携も巧みだ。

「くそっ、すばしっこい狼だぜ! ルナ、援護しろ!」

サヨが風魔法で狼の動きを止めようとするが、狼たちは巧みにかわし、氷の爪で攻撃してくる。

「はい! 『ハイドロバインド』!」

ルナが水の鎖で狼の動きを封じ込めるが、それも長くは持たない。


そして、フェンリルの真骨頂である精神攻撃が始まった。私たちの目の前に、それぞれが最も見たくない過去の光景や、心の奥底に封じ込めたトラウマが、氷の幻影として現れ始めたのだ。

サヨの前には、かつて彼女が裏切った仲間たちの姿が。

ルナの前には、星喰らいによって滅ぼされる故郷の星の光景が。

アルスの前には、崖から落ちて血まみれになった自分の姿と、何かを必死に叫ぶ母親らしき女性の影が。


そして、私の前には……レイが天河原で散った瞬間と、博士が病で息を引き取る間際の光景が、鮮明に映し出された。

「……っ!」

分かっている。これは幻影だ。しかし、あまりにもリアルで、心の奥が締め付けられる。

「ヒメカ様! これは幻です! 惑わされてはいけません!」

セバスチャンの声が、私を現実へと引き戻す。


「どうだ、苦しいか? これがお前たちの心の弱さだ。そんな脆い心で、魔王様に勝てると思うな」

フェンリルが、冷ややかに言い放つ。

だが、私はもう惑わされない。私は、これらの過去を乗り越えて、今ここにいるのだ。

「確かに、私たちは弱さを抱えているわ。でも、それを乗り越えてきたからこそ、今の私たちがいるのよ!」

私は、幻影を振り払うように、炎魔法「バーニングソウル」を放った。心の内の炎を具現化するその魔法は、氷の幻影を焼き尽くした。


「馬鹿な……!? 私の氷の幻を、そんな簡単に……!?」

フェンリルが驚愕の表情を浮かべる。

「あなたの氷は、確かに冷たいわ。でも、私たちの心の炎は、それよりも熱いのよ!」


サヨも、ルナも、そしてアルスも、それぞれのトラウマと向き合い、それを乗り越えようとしていた。特にアルスは、血まみれの自分と母親の幻影を前に、恐怖で震えながらも、何かを思い出そうと必死に手を伸ばしていた。聖剣ソルブレイバーが、彼に呼応するように激しく明滅している。


「もうやめて……フェンリル……。あなただって、苦しんでいるんでしょう……?」

ルナが、フェンリルに向かって呼びかけた。

「な……何を言う……。私は、魔王様に忠誠を誓った四天王の一人……」

「あなたの瞳……私と同じ……孤独の色をしているもの……。何か、大切なものを失ったのね……?」

ルナの言葉に、フェンリルの表情が揺らぐ。彼女もまた、星喰らいのような存在によって、故郷や家族を奪われた経験があるのかもしれない。そして、その絶望の中で、魔王ザルガードに拾われ、力を与えられた……。


「黙れ……! お前のような小娘に、私の何が分かる!」

フェンリルが激昂し、最大級の氷結魔法「コキュートス・エンド」を放とうとした。それは、周囲一帯を絶対零度に凍りつかせ、全てを死滅させる禁断の魔法だった。

「まずいわ! みんな、全力で防御を!」


その時、アルスが叫んだ。

「――思い……出した……。俺は……俺は……!」

聖剣ソルブレイバーが、今までにないほどの黄金の光を放ち、アルスの体を包み込んだ。そして、彼の姿が、徐々に変化していく。髪は銀色に輝き、瞳は金色に染まり、その体つきも、以前よりも逞しくなっている。まるで、彼の中に眠っていた「本当の姿」が、ついに目覚めたかのようだった。

そして、その口から発せられたのは、威厳に満ちた、しかしどこか悲しげな声だった。


「――フェンリルよ。もう、その孤独な戦いは終わりだ。父上が、お前を待っている」


「その声……まさか……アルス……様……?」

フェンリルは、信じられないものを見るような目で、アルスの変貌した姿を見つめていた。

アルスの中に眠っていたのは、ただの力だけではなかった。それは、魔王の息子としての記憶と、そして、フェンリルをも救おうとする、優しさだったのかもしれない。


最後の四天王、白狼姫フェンリルとの戦いは、意外な形で決着を迎えようとしていた。そして、アルスの覚醒は、魔王ザルガードとの最終決戦に向けて、大きな転換点となるだろう。私たちの異世界での旅は、いよいよクライマックスへと近づいていた。


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