二話 小川君の場合 その1


 五ノ坪喬介に恋人が出来た。小川理玖はそれまで五ノ坪を親友だと思っていた。同じクラブに入って出会い、何となく馬が合って、高校三年の今までずっと仲がよかった。


 同じクラブの恩田咲姫も、気さくで明るい女の子で、いいよなと二人で眺めた。長身で色浅黒く彫りの深い顔立ちの五ノ坪と咲姫が並ぶと非常に似合っている。


 だが、咲姫が五ノ坪に告白して、二人が恋人になって、はじめて気が付いた。理玖が五ノ坪に抱いていたのは友情ではなく恋情だったのだ。


 仲のよい二人を見る度に苦しさがこみ上げる。

 五ノ坪の隣にいつも居ていいのは理玖の筈だ。その笑顔を向けられるのも、肩が触れるほど側にいるのも。


 その腕に触るな。その手で抱くな。その瞳で見るな。

 咲姫に対する燃えるような嫉妬が身を焦がす。 

 苦しい。苦しい。苦しい。


 しかし、恋を告白するなんて思いもよらなかった。咲姫に対する恋情ならまだしも、相手は親友である男なのだ。恋だけでなく、親友という位置も失ってしまう。そして軽蔑されるのだ。まともでない人間として。


 救いは志望校が三人とも別々なことだ。目の前で二人を見て苦しい思いをするのもあと半年ほどだった。



「小川。明日、映画見に行かね?」

 夏休みの課外授業の帰りに五ノ坪が誘う。側には咲姫がいてにっこり笑っている。手が五ノ坪の腕にかかる。


 その手を意識の端で追いながら首を横に振った。

「明日はちょっと用事があって」

「お前この頃冷たいぞ。気を回し過ぎなんじゃねえの」

 五ノ坪が口を尖らせる。


「いや、本当に用事があるんだって。悪い、また今度誘ってくれ」

 咲姫が一緒でも、一緒じゃなくても。


 いつもの帰り道を三人で歩いていたが、理玖は途中で別れる。五ノ坪と咲姫が仲良く二人で帰ってゆくのを見たくなくて、無理に背中を向ける。

 もう一緒に居るのも苦しい。自分の顔が歪むのが分かる。

 どうすればいい。だが、どうしようもない。



 通りがかった近所の公園に入って、小さなブランコに腰を下ろした。五ノ坪ほどではなくても平均身長はある理玖の体重を受けて、ブランコがキイと悲鳴を上げる。


 何をしているのだろう、自分は。いっそきっぱりと思い切れればいいのに。いつまでもぐじぐじと思い悩んでいないで。

 それが出来たら──。


「苦しい恋をしているのね」

 いきなり声をかけられて慌てた。顔を上げると、目の前に黒い服を着た髪の長い綺麗な女性が立っている。


「恋が欲しくはないの?」

 女性の猫のような瞳が問うた。

「あんた、誰?」

 理玖はブランコに座ったまま彼女を見上げる。

「私は魔女」

 耳に優しいアルトの声で魔女は歌うように囁いた。

「へえ、若くて綺麗だ」


 魔女というのは鉤鼻で腰の曲がった老女ではないだろうか。頭のおかしい女だろうかと理玖は思う。相手にしないで帰ろうと、ブランコから立ち上がった。


「当たり前よ」

 魔女は当然という顔をして、理玖に手を差し出した。

「あなたにあげるわ」


 何故か断ることが出来なくて、理玖は魔女が差し出したものを受け取ってしまった。手の平にピンポン球くらいの小さな丸いものがひとつ。


「何これ」

「恋のタマゴ。これを二人の間で割れば、恋が生まれるわ」

 透き通った壊れやすそうなタマゴの中で、ピンクや紫の光が踊っている。


「私は嫉妬深いの。だからそれは、女の子には効かないわ。恋の期限は一ヶ月。その間、夢を見せてあげる」

 魔女は歌うようにそう言うと、理玖に背を向けてすたすたと歩いて行った。


「一ヶ月か。上等だ」

 理玖はタマゴを手にそう呟いていた。


  ◇◇


 一晩タマゴを手に考えた理玖は、翌日五ノ坪にメールを出して魔女に会った公園に呼び出した。


 時間通りに背の高い男が現れる。ジーンズにTシャツの上にコットンシャツを羽織った無造作ななりだ。長い足で大股に歩いてくる。色浅黒く彫りの深い顔。短い黒髪と黒い瞳。


「どうしたんだ。昨日は用事があるって言ったくせに」

 少し怒ったような口調で言う。

「五ノ坪。すまん。一ヶ月だけだ」


 理玖はタマゴを地面に投げた。タマゴが割れて、中から紫やピンクの粉が舞い上がって二人に降り注いだ。


「何? どしたん?」

 五ノ坪の頭にピンクや紫の粉が乗っかった。だが五ノ坪は変わらない。きょとんとした顔で理玖を見ているだけだ。


 告白してもいいんだろうか。本当に魔女なのか。本当に恋のタマゴなのか。

 理玖は五ノ坪の頭を見ながら迷った。告白には勇気がいる。


「家に行ってもいいか」

 ついそう言ってしまった。

「なんだ。そんなことか。遠慮するな。俺とお前の仲だろう」


 五ノ坪は先ほどの不機嫌さも忘れて気安く頷いた。理玖を促して二人並んで歩き出す。


「この頃、お前に避けられているようで悲しかった」

「そんな事はないぞ。僕はお前が好きだから」

 その言葉は、さらっと理玖の口からこぼれ出た。うわっと思ったけれど五ノ坪は別に変な顔もしない。


 そのまま家に行って、普通に話して、ゲームして、ついでに勉強しただけ。それだけで終わってしまった。

 五ノ坪の頭の上には、ピンクや紫の粉が乗っかっているのに。

 何にもしていない。何で。何で。


 帰りに、今度こそ映画を見に行こうと誘われ頷いた。

 魔女は夢を見せてくれると言ったのに、恋どころか、今までと同じ仲のよい親友同士だ。ぜんぜん何も変わっていない。


 騙された気分で、家に帰って鏡を見て驚いた。理玖の頭にもあのピンクや紫の粉が乗っかっているのだ。しかも、払っても洗っても取れない。


 じゃあこれは本当に魔法の粉なのか。恋は叶うのか。

 だがタマゴの有効期限は一ヶ月だ。理玖は迷って、もう二日も消費してしまった。

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