その5


 しかし武智は図書館にも来なくなった。塾に行く日は待ち合わせて、塾のない日はそのままそこで勉強していたのに。


 はかどらないから嫌気が差したんだろうか。亜寿海みたいな面白くない奴と一緒だから。でもせっかく勉強し始めたのに──。



 亜寿海は塾が終わって駅に出ると、武智の家に向かう電車に乗った。坂道を上がると暗いところに建っているお寺が怖い。そそくさと横を通って、武智の家まで行く。しかし、家は真っ暗だった。


(まだ帰っていないんだろうか)

 亜寿海は暗い武智の家の前で思案に暮れて佇んだ。

 どのくらいそうしていただろう。人の声がして振り返る。

 坂の下から誰かが歩いてくる。二人だ。一人はキンキラキンの髪をした男。その子に腕を絡めて甘ったるい声を上げているのは見知らぬ女の子だ。


(こんなことって……)


 カッと頭が熱くなった。武智が亜寿海に気付いて立ち止まる。女の子も亜寿海に気付いて武智の顔を見上げた。


「誰?」

「中村……」

「もう武智なんか知らない!」


 気が付いたらそう叫んでいた。武智の顔も女の子の顔も見たくなかった。夢中で二人の横を走り抜けて駅に向かう。ちょうど来た電車に飛び乗った。


 がたんと電車が走り出す。入り口の側に突っ立って、明るい車内に背を向けた。周りの景色が滲んでぼやける。頬を濡らすものは何だろう。


(もういい。武智なんか知らない)


 泣きはらした眼鏡の中の顔は腫れぼったくてみっともない。亜寿海は男で、何も持っていない。友人さえもいなかった。成績だけがお友達。一人ぽっちの亜寿海。


 翌日の帰り際になって、亜寿海の教室に武智が来た。

「勉強教えてくれねえ」

 亜寿海の前に突っ立ち、横を向いて低い声でボソッと言った。シャギーの入ったキンキラキンの髪。すねたような横顔。ポケットに手を入れて。


(武智は正気に戻って恋を忘れたんだ。僕も忘れてしまおう。武智と友情を育むんだ。だって武智は、今でも一人ぽっちの僕に友人として接してくれる)


「いいよ」と亜寿海は頷いた。

 また前のように図書館で待ち合わせ、塾に行く。

「武智ー。まだ無駄なことやってんの」

 友人たちがまた探しに来た。


「うるせえ。文句を言う前にお前たちもやってみろ」

 武智に言われて、友人たちは不思議なことに、そのまま図書館に居ついてしまった。

「意外」

「何が?」

「中村って、もっとこうつんけんしていると思っていた」

「だよな。あ、ここ教えて」

 亜寿海の周りに友達が増えた。



 武智と過ごした嵐のようなひと時が忘れられない。時々下半身が勝手に熱を持って、自分で処理しなければならなかった。忘れることは出来ないけど、武智が嫌な顔をしてないで友達をしてくれるのならいいと亜寿海は思うことにした。


 勉強は順調。センター試験も無事受かり、二次試験の日が来て、発表が来た。祈るような思いで待っていたその日、武智が嬉しそうに報告してきた。

「受かっていた」

「おめでとう」

 武智が受かったのは嬉しいけれど、話すのもこれが最後かと思うと辛い。


「お祝いをしよう。俺んちに来いよ」

 武智に誘われ頷いた。


 一緒に武智の家に向かう電車に乗る。駅を降りてお寺を横目に見ながら坂道を登った。思えば変な出会いだった。

 死のうと思って電車に乗った。無人の駅で降りて、坂道で魔女にタマゴを渡された。そして武智に会った。知っていたけど知らなかった。あれが本当の二人の出会い。違う道を行っても武智のことは忘れない。でも。


(願わくば。願わくば……)


 武智の家に着いて部屋に入る。武智はごそごそとバッグの中から何かを取り出した。

「ありがとう。お前のおかげだ」

 亜寿海にそれを突きつける。


「これ……」

 それは小さな箱だった。中に何か入っている。

「ペアリング…?」

 小さな銀色の輪っか。見上げると、武智がすねたような顔でこくんと頷いた。亜寿海の瞳がみるみる潤んだ。

「僕に?」

 頬にこぼれる涙もそのままに囁くように聞いた。武智がもう一度頷く。


「キスしてもいい?」

 武智が聞く。恥ずかしそうに。

「僕でいいの?」

 亜寿海にはまだ信じられない。


「はじめは何でお前みたいな奴と付き合うんだろうって思ったけどさ、結構可愛くてさ。でも、お前って出来る奴だし、俺、自分が恥ずかしかった。頑張らなきゃあって。これで一歩近付いたろ」


「そんな、僕こそ君が眩しくて」

 頭の上には何もない。ピンクも紫も透明も。これは魔女のタマゴの所為じゃない。武智は正気で言っている。

「俺、中村とずっと付き合いたい」

「うん。僕も…」

 武智が嬉しそうな顔をして亜寿海を抱きしめる。




  ◇◇


 もちろんその様子を魔女が水晶の玉に映し出して、にまにま笑って見ていたなんて、二人はぜんぜん気が付かなかった。




 一話 終


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