10.ファーストバトル②
病院と、薬と、毎日顔を見に来る家族。
あたしの世界はそれだけ。
両親やお姉ちゃんが来てくれるのは嬉しかった。だけど楽しい時間は一時間や二時間くらいで終わってしまう。
一日の時間のほとんどはひとりぼっち。むしろ家族が来てくれる時間が、その無味乾燥さを浮き彫りにさせていた。
どうしてあたしばっかりって、ずっと思ってた。
あたしだけこの真っ白な世界に取り残されて、羽ばたくこともできず、ゆっくりと腐っていく。
生まれたころから停滞したままの人生が、痛みも無いままあたしを擦り切らせ、摩耗させていく。
このまま一生を終えることになるのだろうか。
今から思い返せばまったくそんなことは無かったのだけど、当時のあたしにとって未来は絶望に満ちていた。
いっそ死んでしまえばと何度思ったかわからない。
だけどそんなこと、家族には言えなかった。言えば心配させてしまう。傷つけてしまう。
あたしの身を心から案じてくれる人たちに悲しい顔をしてほしくない。
それでもこの窒息にも似た閉塞感は抱えるには重すぎて――そんな時。
病院は退屈だろうから、そう考えた両親がお医者さんと相談して、あたしに一台のスマホが与えられた。
嬉しかった。それはあたしにとって唯一世界と繋がる窓だったから。
ネットも使える。それでもモノを知らなかったあたしは迷った末、お姉ちゃんがたまに口にしていたゲームのことを調べることにした。
動画サイトアプリにゲーム名を打ち込み、一番上に出てきたそれをタップする。
そのゲームは『ライブラリ・スクエア』。リンドウという名のプレイヤーの対戦を録画した動画だった。
「あたしはあの時リンドウさんに救われた。心の底から楽しそうに『ライブラリ・スクエア』を遊ぶリンドウさんを見て、生きたいって思えたんだよ」
* * *
あれから三度のドローフェイズを迎えた。
だが、未だ決着はついていない。
「《ガードバニッシュ》!」
「《ウッドシールド》!」
リンドウの剣から飛翔する赤黒い斬撃を、ルーシャの目の前の地中から飛び出した樹木が防ぐ。
《ウッドシールド》はガード成功時にHPを回復し、さらに『晴れ』状態なら植物系スキルをデッキから
ゲームを始めて数日のルーシャがここまで食らいつけているのは驚嘆すべき出来事だった。
相手の攻めの全てを捌けているわけではないが、植物系スキルの多くが持つ回復効果によって粘り強く戦っている。
だが、戦況は一貫して防戦一方。
デッキ自体の出力を比べればリンドウの【虹彩】よりルーシャの【太陽プラント】ほうが上だろうが、両者の間には埋めようの無い実力差が横たわっている。
(未熟だ)
プレイングはお粗末。
脇目も振らずにスキルを切り続けてくる。
手札を切らさないよう考えて立ち回っていることに関しては、初心者であることを考慮に入れれば驚嘆すべきだが、それでは届かない。
しかしリンドウの胸中には確かな動揺があった。
ルーシャの瞳に気迫が宿っていたからだ。
格上だろうが関係ない。
ここで、この一戦で、自分の持てる全てを出し尽くしてその喉笛に食らいつく。
そんな気迫が、リンドウを確かに脅かしていた。
この五日間、彼女はどれほど努力してきたことだろう。
実際に見ずともわかる、この戦況が物語っている。
全てはリンドウに勝つため。生半可なことではなかったはずだ。
だからこそ、リンドウはわからなかった。
「……どうしてそこまで頑張れるんだよ。私は……何もしてないのに」
「確かにリンドウさんは何もしてないね。あたしが勝手に救われただけ、勝手に感謝してるだけ――バカみたいだって思う?」
周りから見れば大したことのない出来事なのだろう。
自分としても、そうだと思っている。
しかしあの時ルーシャの世界は確かに変わった。白く閉ざされた世界は、開かれた。
「……楽しそうだなって思ったんだ。楽しそうに輝くその瞳には、どんな色が映ってるんだろうって、そう思ったんだよ。私のいた部屋みたいな真っ白じゃなくて、きっと極彩色の世界が見えてるんだろうなって……だからあたしはあなたのそばでなら、同じ景色が見えるんじゃないかと思ったんだ!」
「…………っ」
戸惑うリンドウへ向けて、ルーシャがスキルを発動する。
《リーフカッター》。振るった杖から大量の刃葉が群れを成して襲いかかる。
(楽しそうだった?)
ああ、そうだ。
いつかの自分は、確かに楽しんでいた。
誰かと戦うこと。知識を蓄えること。組み立てた戦術を試すこと。
勝つこと。負けること――その全てを楽しんでいた時期が確かにあった。
ゲームなんだから、楽しんでこそだ。そんな考えがいつも心の芯に存在していた。
――――すごいすごい! また勝ったね、リンちゃん!
だけどそれは、あの人がいたからだ。
先代リーダーが――ステラがいてこそ楽しかった。
彼女がこの世界を去った途端、この世界は色褪せた。
――――リンちゃん、あのね。
――――私ね……もうこのゲームには……
「無理だ!!」
《白陽の翼》が発動する。リンドウの剣から白い羽根が散弾のごとく射出され、《リーフカッター》を迎撃した。
完全に対処されたことに驚愕するルーシャの視線の先、顔を上げたリンドウの瞳に、再び虹炎が灯る。
「私はあんたが思ってるようなやつじゃない。本当は嫌なやつなんだ。つまらないやつなんだ。渇いた自分の心から目を逸らして、クランを背負おうと頑張った。でも無理だった!」
今にも泣きだしそうな顔でリンドウは叫ぶ。
後悔と悲しみと自責に押しつぶされそうになりながら、どろどろの気持ちをひたすらに吐き出していた。
「私が壊したんだ。全部。あの人の作った場所。私の居場所。みんなの居場所。全部私が奪ってしまった」
「だったらもう一度やり直そうよ。全部壊れたなら、またイチから始めよう? あたしと一緒に」
「だから……無理だって。私はもうこのゲームを楽しめないし、例えやり直したとしても結果はわかりきってる」
「わかんないよ。人は変われるんだから――だってリンドウさん、あたしに優しく教えてくれたじゃん」
この世界を訪れて、偶然も手伝ってリンドウと出会った。
短い時間ではあったけれど、たくさんのことを教えてもらった。
その時ルーシャは確かに感じていた。リンドウの持つ、確かな優しさを。
この人は自分に絶望しながらも、変わり始めているのだと――変わろうとしていたのだと、今ならわかる。
それが今日終わっていいはずがない。
リンドウが本当は変わりたいと思っているのなら。
今も変わっていくのなら。
同じ場所で、共にいたい。手伝いたい。
(そのためには……うん。やることは変わらない)
ルーシャは確信する。
自分がこのゲームを始めたのは、今日この時のためだったのだと。
「だからリンドウさん、あたしが楽しませてあげる。このあたしが勝って、負けて悔しいって思わせてあげる。辞めたくないって言わせてあげる!」
リンドウの【虹彩】デッキについては、この五日間で考察してきた。
一般的な構築とは違い、リンドウのデッキはEXスキル《
手札が五枚以上の時その全てを墓地に送ることで、事前に指定したスキルを手札に加える、重いデメリットを持つスキルだ。
彼女がサーチするのは《ガンマレイ・バースト》。自分の墓地の枚数が20枚以上の時、相手に最大HPと同じ値のダメージを与える必殺のスキル。
当然のことながらその条件は相応以上に重い。
ならば必然的に、リンドウのデッキは墓地枚数の条件を満たせるようチューンナップされているはずだ。
スターゲイザーの重い手札コストもその一つだろう。手札を墓地に送れる《白陽の翼》、回復効果でゲームレンジを伸ばし、条件達成までの時間を稼げる《新緑の風》――【虹彩】デッキのパーツでもあるこの二種は、デッキに積める上限枚数である三枚ずつ搭載されていると見ていい。
他に考えられるのは、手札コストを要求するスキルやデッキからスキルを墓地に送るスキルあたりだろうか。
これらは赤・青・緑・白・黒の五色のスキルを墓地に落とさなければ発動出来ない【虹彩】の切り札、《アルコ・イリス》の発動も手伝うことが出来る。
【虹彩】を前にした相手は切り札である《アルコ・イリス》をまず警戒する。
だが、こちらはいわばブラフ。表の切り札にガードスキルを消費した相手に、裏の切り札――《ガンマレイ・バースト》を叩き込む。
それがリンドウのデッキ。
(完成度の高いデッキだ……だけど明確な弱点がある)
それは、両方の切り札に重い発動条件が設けられていること。
つまりこのデッキを相手にした場合の最適解は、一気呵成に攻め立てること。
条件を達成する前に勝負を畳むことで、リンドウのデッキは単なるパワー不足のデッキへと成り下がってしまう。
しかし――そこまで理解しているルーシャは、長期戦を是とするデッキを握っている。
回復効果持ちの植物スキル。多く積まれたガードスキル。
ダメージを与えることよりも、捌く・凌ぐことを目的とした構築方針。
この試合が始まってから、リンドウの頭には疑問が漂っていた。
(私のデッキは看破されているはず。ルーシャは初心者だが、頭の回るやつだ。それにあのレイさんまでついている。入れ知恵されてないわけがない)
不可解な盤面。
リンドウは虹炎を消費し、強化された《暗黒の刃》を発動する。
本来は単純に斬りかかるアタックスキル。だが強化版は、相手の影から巨大な剣を発生させ攻撃する。
死角からの攻撃。だが、ルーシャは一切の動揺無く《ファジーガード》を発動した。
ドーム状に展開されたバリアが背中刺す刃を防ぎ、戦況は動かない。
ルーシャは笑う。半ば挑発的に。
その攻撃は知っている。学んできた。勝つために。
恵まれた知能に気持ちが乗り、完全にエンジンがかかっている。
しがらみ無く、天真爛漫とも表現できるその笑顔に、リンドウは、自身の心の奥底に、確かに燃える温度を感じた。
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