第五話 橋の下の微笑み

それは、最初の事件だった。
あるいは、最後の予告だったのかもしれない。

犀川沿いにかかる歩行者専用の古い橋、その真下。
早朝に散歩していた中学生が、「人が寝ている」と通報したことで発見された遺体は、大学生の女性だった。

仰向けに倒れていた。
体には傷がなく、服も乱れていない。
ただひとつ──彼女の顔には、微笑みが浮かんでいた。


捜査にあたった赤堀翔太は、現場で一枚の写真に目を奪われた。

女性のそばに、手帳の切れ端が落ちていたのだ。


“目を閉じれば、あの時が見える。
でも、目を開けたら、何もなかった。”


薬物反応は微量の鎮静剤。
死因は心停止。
苦しんだ形跡がない。
しかし、まるで「満ち足りた者のような死」は、赤堀の記憶に強烈に残った。


被害者は、塚本芽衣(つかもとめい)21歳
信州大学文学部に通う四年生で、卒論を控えた年だった。
ゼミでは「子どもの発達心理と記憶形成」をテーマに研究していたという。

彼女の部屋には、一冊のスクラップノートがあった。
中には、かつて全国で起きた児童虐待と施設閉鎖のニュースが多数切り抜かれて貼られていた。

その中に、1枚だけ、手書きのメモが挟まっていた。


“天穂の夜に、五人が祈った。
一人は黙り、一人は叫び、一人は忘れ、一人は赦した。
そして、一人は……笑っていた。”


赤堀は、それを見た瞬間、胸の奥がざわめいた。


「……これは“あの時”のことじゃないか?」


彼の中には、警察官時代のある記憶があった。
県内の“とある福祉施設”で処理した、不審死。
報告書には「事故」とだけ書かれていたが、実際には詳細な調査が封じられていた事件だった。

その施設の名前は──天穂福祉センター。

芽衣は、その事件に辿り着いていたのだ。




夜。
赤堀は、自室で過去の資料を並べていた。
手がかりは、少ない。
だが、確実に“何か”が動いている。
これは偶然の死ではない。

そして彼は、沢渡に連絡を取るかどうか迷っていた。

(……まだ、思い出していないだろう。だが、近い。奴らが“形”になり始めてる)

ふと、机の上の一枚の写真に目をやる。
そこには、若き日の赤堀と、笑顔を浮かべる4人の子どもたちが写っていた。

そして──カメラの端に、ぼんやりと写り込んだもう一人の少年の後ろ姿。

(あの時、何を見た? ……いや、“誰を見た”んだ)

シャッター音が脳裏に鳴った気がした。




同じ時間。
甲斐真知は、自室でじっと座っていた。

病院の勤務を終え、顔を洗い、手を丁寧に拭く。


「……静かだったでしょう? 芽衣ちゃん」


微笑みながら、彼女はひとつの箱を開ける。
中には、三つのガラス瓶が並んでいた。
それぞれに刻まれた名前──「芽衣」「智則」「瑠璃子」。

そして、まだ空のひとつが、淡く光を反射していた。


「あとひとつ。終わるわ。これで、清められる」


(第六話へ続く)


全二十話:乞うご期待!!

第一話  生き残った探偵

第二話  無人の探偵事務所

第三話  沈んだ窓

第四話  白い部屋

第五話  橋の下の微笑み

第六話  彼女の静けさ

第七話  あるインタビュー記録

第八話  記録という狂気

第九話  清められた姉

第十話  “あの部屋”へ

第十一話 沢渡、目覚める

第十二話 時雨のノート

第十三話 沈黙の密室

第十四話 もうひとりの声

第十五話 消された映像

第十六話 最後の告白

第十七話 交差する記憶

第十八話 祈りの花

第十九話 記録の果て

第二十話 すべてが繋がる日

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