第四話 白い部屋

そのアパートは、すでに取り壊しが決まっていた。
松本市の外れ、幹線道路沿いにぽつんと建つ二階建て。
元々はワンルームの単身者向けだったが、住人が出ていったあと、ずっと放置されていたという。

警察が通報を受けて現場に入ったとき、異様な静けさが支配していた。

ドアは無施錠。
中は、白いカーテンでぐるりと覆われていた。
床も壁も、簡易的な白布で隠され、蛍光灯の青白い光に照らされたその空間は、まるで“実験室”のようだった。

そして中央に──男の遺体が、寝かされていた。


身元はすぐに判明した。
田所智則(たどころとものり)37歳
建設会社の下請け現場に出入りしていた作業員。
独身。住所不定。トラブル歴あり。

だが、奇妙だったのは、彼の死亡状況だった。
頭部外傷なし。
目立った外傷なし。
しかし、全身の皮膚の下に内出血と鬱血の痕。
検視の結果、死因は「強い圧迫による内部破壊」。
つまり、何らかの方法で“圧し潰された”ような死だった。

さらに、部屋の隅には何かを燃やした形跡があった。
灰になった紙片の中から、焦げ残ったメモが見つかる。


“次は女。あのとき笑っていた、あの顔だけは忘れない。”


捜査員がざわつく。

これが、衝動的な犯行ではないこと。
対象者を“選び”、計画し、舞台を整えていること。
そして、怒りではなく、徹底した「演出性」が感じられること。

何より──この空間の静けさが、怖かった。




同じ日。
沢渡廉は退院していた。
記憶は完全には戻らないものの、医師の勧めで外に出ることを許されたのだ。

彼は、駅前の喫茶店に座っていた。
カップの底を見つめながら、ノートを開く。

白紙のページの真ん中に、ふと書きたくなった単語がある。

白い部屋

彼は驚いた。
その言葉が、どこから来たのかわからない。
けれど、ペンを持った手が震えた。


「……あのとき、俺はそこにいた?」


背筋に冷たい汗が流れる。
すると、ポケットの中でスマートフォンが震えた。

赤堀翔太からの着信だった。


「もしもし、廉か。……今、松本市内で新たな変死体が出た。あいつらが動いてる。いや──“まだ止まってない”。」


沢渡は息を呑んだ。


「白い部屋だったか?」


電話の向こうで、赤堀が黙った。

そして、絞り出すように答えた。


「……お前、やっぱり見てたんだな。思い出すな。
 全部、思い出せ。……じゃないと、次はお前が“誰かになる”」


言葉の意味はわからなかった。
だが、胸の奥がじんじんと痛んだ。




その夜、松本市の河川敷で、ひとりの女性がカメラを構えていた。
路地の向こうを見つめるその横顔は、静かに笑っていた。

シャッター音が、やけに冷たく響いた。


「……これで、二人目。あと一人。
 そのあとは、最初に戻るだけ──」


彼女の名は、甲斐真知(かいまち)32歳。
夜勤明けの看護師、そして“静かに清める者”。


(第五話へ続く)


全二十話:乞うご期待!!

第一話  生き残った探偵

第二話  無人の探偵事務所

第三話  沈んだ窓

第四話  白い部屋

第五話  橋の下の微笑み

第六話  彼女の静けさ

第七話  あるインタビュー記録

第八話  記録という狂気

第九話  清められた姉

第十話  “あの部屋”へ

第十一話 沢渡、目覚める

第十二話 時雨のノート

第十三話 沈黙の密室

第十四話 もうひとりの声

第十五話 消された映像

第十六話 最後の告白

第十七話 交差する記憶

第十八話 祈りの花

第十九話 記録の果て

第二十話 すべてが繋がる日

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