第6話 ターメリックに染まる歯ブラシ

 あたしは今日出会ったばかりの男に肩を貸しながら2階建ての安アパートの階段を昇る。

 とそこで、こんな男を小学生の弟妹の待つ自宅へ招き入れていいのだろうかという疑問が湧いた。

 しかし、自身が裸になるにもかかわらず、ホームレスにブランド物の服をあげる人が悪い人には思えない。

 それに乗りかかった船だ。

 イースターエッグや徳川埋蔵金などすべてを信じたわけではないが、その真偽を確かめるためにも恩を売っておくのは悪くない。単純に腹を空かせた人を放っておいては寝覚めも悪いからね。

 あたしはスクールバッグのポケットから工事現場イヌのキーホルダーのついた鍵を取り出す。ちなみに工事現場イヌとは安全第一のヘルメットを被った二足歩行のイヌである。


「ただいまー。ごめーん。遅くなったー」


 猫の額のように狭い玄関にスクールバッグとロクを降ろす。

 ふう。やっと肩の荷が下りた。

 するとあたしの声を聞きつけて尻尾を振る犬のように弟と妹が駆け寄ってくる。


「おかえりー」


 そこで弟のレンがロクに気づく。


「って、だれその人? お姉ちゃんの彼氏?」

「違うから!」

「なら新しいお父さん?」

「もっとないから!」


 今のを聞いたら入院してるお父さんが泣くわ。


「父ちゃんが入院して居ないからって男連れ込んでやんの」

「黙らないと口にハンドタッカー打ち込むからね?」


 ちなみにハンドタッカーとは現場用の強力なホッチキスである。


「かはは。顔そっくりだな」


 まるで金太郎飴みてえだ。

 そう言ってロクは力なく笑った。

 そんなロクの痩せた頬を妹のスズがしゃがみながらつつく。


「ガラのわるいおにいさんの名前は?」

「俺は石川六右衛門だ。長えからロクでいい」

「ロク……ちゃん?」

「ちゃんは余計だが……」


 困惑するロク。

 別にスズはロクが金髪を後ろでくくっているから女性だと勘違いしたというわけではない。

 妹は気を許した相手には親しみを込めて『ちゃん』付けするのだ。

 まさか初対面でスズにちゃん付けされるとは……。

 スズは人を見る目はある子なのでロクの信用度があたしの中ですこし上がった。


「じゃあ遅くなっちゃったし作り置きのカレーでも食べよっか」

「カレーだと?」

「なに、ロクさん? ひとんちのカレーはダメなタイプ?」

「いや、好きなんだ。俺は、カレーが」


 ロクの憂いを帯びたその目がどこか寂しそうだったのは気のせいだろうか。


「いっとくけど普通のカレーだから。期待しないでよね」


 あたしは照れ隠しと保険を隠し味として混ぜておいた。

 レンが口をとがらせる。


「えーまたカレー?」

「いやなら食べなくていいんですけど?」

「えー食べるもーん。お姉ちゃんのいじわるー」


 むすくれながらもおとなしく卓袱台につくレン。

 あたしはカレーの入った鍋に火をかけながらお皿の準備をする。今朝タイマーセットしていたご飯が炊けている。白い深皿に炊きたてのご飯をよそっていく。湯気が立ちのぼった。沸騰しすぎる前にカレーの鍋の火を止めてからお皿にルウを注いでいく。ゴロッとしたジャガイモや牛肉がいい感じにくずほぐれている。六畳一間の中心に置かれた卓袱台にカレーライスを運んでいく。食べる前にあたしは部屋の隅の仏壇に供えた。

 テレビでは野球中継が流れていた。父が入院して以来、卓袱台を四人で囲む。卓袱台の上にはステンレスのスプーン。水。カレーライス。黄金色の福神漬け。


 時は満ちた。


「いただきます」


 そう挨拶した瞬間、ロクはカレーライスに飛びついた。スッとスプーンをカレー山に突き刺して口に運ぶ。福神漬けもびしゃびしゃにのっけた。そしてマグマが噴火したような熱々のカレー山をあっという間に完食してしまった。


「「うまい! おかわり!」」


 レンとロクは同時に言った。

 それから我先にと、ご飯のしゃもじとカレーのおたまを奪い合いながら二人は張り合うようにカレーにがっついていた。


「ゆっくり食べないさいよ、もう」


 あたしは呆れながらも口をほころばせた。

 それから夕食後、レンとスズはなかよくお風呂に入った。

 ロクは膨れたおなかをさすりながらとある方角をじっと見ている。

 それは仏壇だった。母親が遺影のなかで人知れず笑っている。あたしが9歳のときから慈悲深くも残酷なまでに変わらない笑顔だ。その面前にはカレーライスが供えられている。


「カレーはね、唯一お母さんに習った料理なの」

「そうか」


 ロクはそう一言だけ返した。


「あたしお父さん似だからお母さんには似てないんだけどね」

「そんなことないと思うぜ」

「そう? なら、うれしいな」


 って、お父さんが聞いたら悲しむか。


「でも、だから料理は頑張りたかったの。そして男手ひとつで育ててくれた父親にすこしでも親孝行がしたいってね」

「立派だな」

「まあね。福崎組の長女ですから」


 普段あまり褒められることがないのでシンプルに嬉しい。

 あたしが喜びをひとり心の中で噛みしめていると、ロクは天井を見ながら口を開く。


「昔、母親の作ったカレーを食べた記憶がある」

「昔?」


 あたしは親を亡くしたもの特有のセンサーが働く。


「俺は児童養護施設出身だ。要するに親に捨てられたんだ」

「……そう、なんだ」


 こういうことは比べるようなものではないが、あたしよりも重そうだ。


「もう親の顔も思い出せねえけどな。写真もねえし」


 でもロクはオフクロさんのカレーの味だけは憶えていたのだろう。


「だから俺はずっと家族がほしかった。そんで同じ児童養護施設出身のやつと一緒に製薬会社を創ったんだ。そいつは成績も優秀でおそろしく頭がキレたからな」

「すごいじゃないよ」

「だが、一番信頼していたそいつに裏切られた。クーデターを起こされてCEOを解任されてな」

「そんな……なんで……」

「要するに、頭が良すぎたんだろうな」

「ううん、そんなことない……と思う」


 気づけば、あたしはそんなことを口走っていた。


「だってあたしたちは徳川埋蔵金を見つけるんだもの。その人、ゼッタイ後悔するわ」

「さあ、どうだかな」


 そう言って、ロクはふっと笑みをこぼす。

 

「何にせよ、金なんてあってもしかたねえ。争いを生むだけだ」


 だから身につけていたブランド物をホームレスに譲ったのか。


「わかってたはずなんだけどな。なんだかまたきな臭え問題に首を突っ込みつつあるらしい」

「どうして、ロクさんはアマネコに協力しているんですか?」

「あー月並みだが、一宿一飯の恩ってやつだ」

「それと神社再建じゃ釣り合ってなさそうだけどね」

「それにあいつも家族がいなくて寂しそうだったからな」

「ふーん」


 案外、後者のほうが動機の本質なのかもしれない。

 身の上話が済んだのちロクは仏壇を指差す。正確にはお供え物だ。


「そのカレーもらっていいか?」

「いいわよ。お母さんも喜んでると思う」


 あたしは仏壇からお皿を運ぶ。


「すっかり冷めてるけど……レンチンしよっか?」

「いや、いい」

「……そう」


 冷めたカレーはいったいどんな味がするのかあたしは知らない。

 ロクはカレーライスの皿を受け取るとスプーンを突き刺して食べ始めた。


「やっぱりうめえな。これが家庭の味ってやつか」

「お口に合ったようで」


 あたしは満足げに言った。

 そしてロクはコップの水を飲み干すと手を合わせる。


「ごちそうさん」


 もはや何杯目かわからないカレーを完食してからロクは挨拶もそこそこに立ちあがる。


「じゃあ、俺もう行くわ」

「え? 泊まっていけばいいのに……」


 あたしは喉から出かけた言葉をすんでのところで飲み込む。常識的、あるいは自意識的に。

 さすがに泊めるのは危ういか。ホームステイじゃないんだから。

 とそこでお風呂場からちょうど弟と妹が出てきた。石鹸の匂いが鼻腔をくすぐる。すると玄関に向かおうとしていたロクの和柄シャツの裾をスズが掴む。


「なんだよ?」


 ロクが問うがスズは無言を返す。しかし何かを察しているようだ。

 すっかり懐かれていた。


「もう遅いから。ロクさんも泊まっていってください」


 気づけば、そんな言葉があたしの口をついて出ていた。


「え? でもよ……」


 ロクは何か言いかけたが上目遣いのスズを見下ろしてようやく観念したようだった。


「ったく、わかったよ」


 というわけでお風呂を軽く済ませたあと、歯を磨いてからあたしたちは寝床の準備をする。カレーのターメリックによって歯ブラシが黄ばむ。これどうにかならんかね。インド人はどうしてるんだろう。

 ちなみにロクはせめてもの遠慮としてお風呂の順番は最後だった。

 布団を敷くあたしを見てロクはギョッとする。


「なんだおまえ、こっから働きにでも行くのか?」

「どうして?」

「どうしてって、おまえ……つなぎ着てるからだよ」

「あーこれ?」


 あたしは自身の着用している黄色のつなぎを見下ろす。


「あたしのパジャマだけど?」

「つなぎがパジャマの奴とかいんのかよ」

「ヤクザの服着てる人に言われたくないですよ」


 これでは間接的にヤクザと添い寝しているみたいではないか。

 こんな考え方はさすがに思春期が過ぎるか?


「だからお父さんのパジャマ貸そうかって言ったのに……」

「加齢臭すごそうだしいいわ」

「なんでわかったし……」

「図星かよ!」


 見事、加齢臭トラップを神回避したロクだった。

 そんなこんなで消灯。

 4人なかよく川の字になって眠る。窓側からロク、レン、スズ、あたしの順番だ。

 あたしはいつものルーティーンで口を動かす。


「おやすみ」

「おう……おやすみ」


 ロクは口なじみのないように棒読みで言った。

 それからレンとスズはすぐに寝息を立て始めた。ロクは終始、窓側を向きながら就寝していた。あたしは家族以外の男の人と寝るのが初めてでろくに眠れなかった――と言いたいが、今日はいろいろあったので脳天気にも普通に爆睡していた。


 次の日、小鳥の歌声で目覚めるとすでにロクの姿はなかった。

 まるで昨晩のことが夢だったみたいに。

 まさかなにも盗まれてはいないと思うが(そもそも金目のものはない)、部屋を見回す。

 置き手紙が置いてあった。

 手紙には昨晩のお礼と電話番号が書かれている。

 そういえば連絡先も知らなかったな。

 セキュリティーの観点でいっても迂闊だった気がする。

 しかし誰でも彼でも泊めるわけではないことは留意しておきたい。


「てか、ケータイ持ってたのね、あの人」


 初対面が全裸だったのでてっきり持ってないものだと思っていた。

 そこで気づいたが手紙の最後のほうに徳川埋蔵金探しの日程が記されていた。

 決行日は5月5日。

 いわゆるゴールデンウィークである。和訳すると黄金週間。

 あたしが学生だということも考慮してくれたのかどうかはわからないが、何はともあれ験担ぎにはもってこいだった。

 そして我が家の洗面台にはカレー色に染まった歯ブラシが一本加わっていた。


「あとで漂白しておくか」

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