第2話 彼女怒る

 宵野桔梗は困惑していた。城下町での散策デートを終えて彼女の家があるところまで車を走らせている最中、車内には気まずい沈黙が流れていた。車内に響くのは二人の息遣いと、桔梗のスマホから流れるユーロビート、そして車のエンジンが放つロータリーサウンドが混じっていたが、行きの時と違い、二人の楽し気なおしゃべりの声はなかった。桔梗はこの時間をなんとかせねばと思考をめぐらせていたが、一向に妙案は浮かばなかった。というか、なぜツツジがここまで喋べらなくなったのか皆目見当がつかなかったからである。つい数十分前まで二人は談笑しながら城下町で名産のグルメをつまんだり和雑貨を扱う店などを物色したりしてデートを楽しんでいたはずである。しかし、終盤になって彼女の様子がおかしくなったのである。明らかに口数が減り、返事も少し不愛想な感じになっていっていた。「具合でも悪いの…?」と桔梗が聞いても、「全然、元気だよ」と返すだけで、それ以上多くをしゃべろうとしなかった。おそらくだが怒っている。というか拗ねているといった印象を桔梗は感じていた。

 「あ、あの…ツツジちゃん…今日のお出かけあんまり楽しくなかった…?」

 たまらず桔梗が聞いたが、ツツジは

 「ううん…楽しかったよ…」

 と短く返すだけだった。そこからまたしばらく沈黙が流れた。でもまたたまらず桔梗が口を開いた。

 「えっと…じゃあ何か怒ってらっしゃる…?僕何か悪いことしちゃった…?」

 「うん…ちょっぴり怒ってる…。けど別に桔梗くん悪いことはしてないよ…。それはそれとして勝手に私が桔梗くんに怒ってるだけ。」

 桔梗の方には目を向けず、ツツジは窓の外を眺める視線を外さないまま答えた。桔梗は冷静を装いながらも、心の中で今日の自分の、というか城下町についてからの自分の行動を反芻してみたが、答えがわからない…。

 「本当に申し訳ないんだけど、答えを教えてくれない…?いやだったことならきっと次からやらないようにするから…。」

 「手…」

 「え…?」

 あまりに短い答えに桔梗は思わず聞き返した。確かに「手」とだけは聞こえたが、何を指すのか全く分からない。それを察したのかツツジが言葉をつづける。

 「手…私何回も差し出してたのに一回も繋いでくれなかった…。」

 「え…?ツツジちゃんが不機嫌な理由ってもしかしてそれ…?」

 よくよく思い出してみれば、確かにところどころツツジが手を控えめに差しだしてきていた気はしていたが、桔梗は半日、(まぁ気のせいだよね…僕はめちゃくちゃ手繋ぎたいけど…)で過ごしていた。ツツジにはそれを行動に移してくれなかったのが気に食わなかったのだろう。加えて桔梗の一言がただでさえ不機嫌なツツジの琴線に触れたらしかった。

 「”それ…?”じゃないよ!私たちもう付き合って3か月以上経つんだよ!?なのにやってることがお互いのお菓子一口ずつ交換するとかこういうデートしても手すら繋がないなんて中学生でも今時こんなスローペースじゃないでしょ!私だってたまには桔梗くんに触れたいのに”それ”って何”それ”って!?」

 そういいながらツツジが桔梗の方を運転に支障がギリギリでなさそうな範囲で揺らすが、山道を走行中でいつもより緊張気味の桔梗は「わかったから!ごめんごめん!だからいったん止めて!」と謝りながらツツジを落ち着かせた。

 鼻息荒くツツジが助手席に落ち着きながらデート中に買っておいた新しい飲み物を口に含んだ。その時、通り過ぎた道端の少し広くなっている地点に停車していた一台の軽自動車が二人の乗る車を追いかけるように発進した。飲み物から口を離し、バックミラーを視界に入れたツツジがおもむろに口を開く。

 「あれ?後ろの車、さっきの怖いおじさんたちが乗ってた車じゃない?。」

 桔梗もバックミラーを確認してから「そうみたいだね…待ち伏せされてたのかな…?」といった。それを聞いて、ツツジの表情が少し明るくなって、同時に少しいたずらっぽい笑顔をたたえた。

 「ねぇ桔梗くん、またあのギャリギャリ~って走るやつできる…?」

 「ドリフトのこと…?できるよ。だけどまたしっかりつかまっててね…?」

 「うん!」というツツジの返事をスタート合図にするかのように桔梗はギアを上げてアクセルを踏み込んだ。国産のロータリーエンジンがうなりをあげて、独特のエキゾーストで吠えた。カーブのたびにタイヤが道路との摩擦で白煙を上げ、まるで煙幕のように後ろに張り付いていたはずの車を飲み込んだかと思うと、あっという間にまた後ろに張り付いていた車は小さくなっていた。運転集中する桔梗をよそに、ツツジはというと対向車を気にする様子は見せつつも、「キャ~!?やっぱりこれ楽しぃ~!」と黄色い悲鳴を上げていた。

 後ろに引っ付いていた軽自動車をちぎった後、さらに一時間ほど車を走らせて、ツツジの家の最寄り駅についた。ドリフト走行が楽しかったのか、ツツジはまだニッコニコだった。

 「はぁ~楽しかった!桔梗くん、運転ありがと!そしてお疲れ様!」

 「う、うん…こちらこそありがとう…楽しかった…。」(た、楽しかったけど久々にドリフトしたから神経使って疲れた…タイヤ大丈夫かな…様子見て履き替えてあげなきゃ…けどとりあえずツツジちゃんが楽しんでくれたみたいでよかった…ドリフト楽しんでくれてニコニコのツツジちゃん可愛いなぁ…けど今日、もうこれで終わりか…)

 何とか寂しさの中で笑顔を作って桔梗はツツジの方を向き直ったが、ツツジの先ほどまでの笑顔が少しだけ寂しそうな顔になっていた。

 「…?ツツジちゃんどうかしたの…?」

 「えっと…正直今日はまだ桔梗くんと一緒にいたいなって…思って…。」

 モジモジとしながら何か言いたげに顔を赤らめるツツジ、それを見る桔梗の内心も、「まさか」という考えがいくつも浮かんでは消えていたが、結局それは桔梗にとってはどこまで行っても「まさか」としか思えず実現するとは思えなかった。しかし、その「まさか」のうちの一つがツツジの口から発せられることになった。

 「今日…今から桔梗くんのおうち泊まりに行っちゃダメ…かな…?確か明日はお互いお休みだったはずだし…何より今日は桔梗くんと離れたくないな…って…。」

 「はぇ…?」(え、泊り行きたい言うた?この人…?マジで!??!?!いやすっごくうれしいけど、いやマジで!?」

 「や、やっぱりダメ…?お泊りよかったらそのまま明日も桔梗君とデートしたかったんだけど…。」

 「全然いい…!むしろ僕も来てくれるならうれしい。うん、明日もデート行こう、そうしよう!」(とはいえ彼女泊めるなんてどうすりゃいいんだ…?てか部屋散らかってたり、見られちゃまずい本とか漫画とかだしっぱなしじゃなかったっけ…?てか、いろいろ買い揃えないとだよね…。何がいるっけ…?コンドーm…じゃなくて!?…ローショn…ってバカ!そうじゃなくて歯ブラシとか晩御飯の食材とか!?)

 桔梗がこういうと、ツツジの顔がパァっと明るくなり、そのまま二人は最寄り駅の停車場の車内でそのあとの段取りを話し合った。結局、その場でツツジは実家に連絡を入れて家族の了承を得た後、桔梗の運転で家に着替えなどの荷物を取りに戻った。家にストックのあった生活雑貨などはそのまま持ってきてもらい、二人は夕飯を楽に済ませるべくコンビニに寄った。コンビニにつくなり、ツツジは「ちょっとお手洗い」と言ってコンビニのトイレに入っていった。それを見送った桔梗は、コンビニ内のあるコーナーに踵を返した。そしてある商品だけを素早く手に取りレジを通し、車の目立たないところに隠した。

 (ね、念のためね…念のため…何があるかわかんないし、備えあれば患いなしってことで…。)

 自身にそう言い聞かせながら車内に残していた飲み物の空容器をもってコンビニの中に戻ったところでツツジもトイレから出てきた。ツツジは最初首をかしげていたが、「車の中にあったゴミ捨てるの忘れてた」と桔梗が説明すると納得した様子を見せた。

 二人はコンビニで夕飯や酒、軽いスナック類やアイスを購入すると、桔梗の家に向かった。あたりはだいぶ日も沈む午後6時ごろ、駐車場に車を止めると、桔梗はツツジに部屋のカギを渡して、自身は「エンジンの調子を少し見る」と言ってツツジを先に部屋に上がらせた。実際はボンネットを上げて中を見るふりをしただけで、ツツジがこちらを見ていないことを確認してから車内に隠してあったコンビニで購入したある商品を自身のポケットに忍ばせた。それから自身もようやく部屋に戻った。ツツジも何度かこの部屋には来ており、泊は初とはいえどこか手慣れた感じで買ったものを冷蔵庫に入れたり、一か所にまとめたりしていた。

 「おかえり、桔梗くん!エンジンどんな感じだった?」

 「ただいま…う~んエンジンカバーが暑すぎて開けれそうになかったから明日掟からまたみることにした。けどたぶん明日も問題なく動くとは思う。」

 ニコニコとお帰りを言うツツジに返答しながら桔梗も笑った。一方で少しだけ罪悪感を覚える桔梗であった。それをごまかすように桔梗はツツジに呼びかける。

 「そ、そうだ…ツツジちゃん今日疲れたろうし先お風呂入る…?あいにくシャワーだけど…。」

 「いいの…?じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな!結構汗も搔いちゃったし…」

 そういうと、ツツジは持ってきたリュックから着替えやタオルを取り出し始めた。桔梗はツツジが下着を取り出しかけたタイミングを察して目をそらした。準備ができると、「それじゃあお借りしまーす!」と言ってツツジは風呂場に向かっていったが、リビングを出る前に「あ、そうだ」と言って振り返った。桔梗が「どうしたの?」と言ってツツジの方を見ると、振り返ったツツジはいたずらっぽくニヤッと笑っていった。

 「桔梗くん、覗いちゃダメだよ?」

 それを聞いた桔梗の顔が真っ赤に茹で上がった。

 「の、覗きなんてしないよ!?」(正直覗きたいけど!!)

 動揺する桔梗を見て、ツツジはまたカラカラと笑った。

 「アハハ!ごめんごめん。冗談だよ!でも…もしどうしても見たかったらバレないように少しだけなら……なんてね!入ってきまーす!」

 茹蛸になった桔梗のリアクションを楽しんだツツジは飛ぶように風呂場へ駈け込んでいった。残された桔梗はしばらく顔を赤くしながらも、ツツジの体に当たるシャワーの音にはしっかりと集中しながら、内なる妄想を働かせるのであった。

 20分ほどでツツジは風呂から上がり、リビングに戻ってきた。

 「お先ありがと~!はぁ気持ちよかった!」

 「おかえり…それならよかっ…た。」(ラフな半袖短パンのツツジちゃんもかわいい…。というかツツジちゃんのおっ〇いが大きすぎてTシャツがカーテンみたいになってる!?可愛いのもあるけどなんか…えっちかも…。)

 桔梗の目線が自然とツツジの胸部に吸い寄せられる。その視線に気付いたツツジの口角が、またいたずらっぽく吊り上がった。

 「桔梗くん、私のおっ〇い見すぎだよ!…すけべ♡」

 「み、みみ見てないよ!!ぼ、僕もさっさと風呂入ってくる!」

 用意していた着替えやタオルをひっつかんで、またしても顔を茹蛸にした桔梗は逃げるように風呂場に駆け込んでいった。そんな桔梗を見送りながらツツジは自身が脱いだ服やタオルをカバンに入れて整理しながら内心ご満悦だった。

 (桔梗くん、あんまりしゃべり方に出ないのにめっちゃ動揺しててカワイかったなぁ…運転中とか外にいるときはダウナーな感じでカッコイイのに、私と二人だけの時とか素直に私の胸に視線寄せるのもほんとに面白可愛い…。)

 低めの声と、ローなテンションのせいか、周りからは第一印象で「怖い」とか「愛想が悪そう」と誤解されることも多少ある桔梗が、自分に対しては素直な彼氏であることを改めて感じて、ツツジは一人ほくそえんだ。

 一方そのころ、風呂場の中の桔梗はというと先ほどのツツジの服装や言動から活性化してしまった自分の体の一部を気にしながら洗体を進めていた。

 (マジでどうしよう…さすがにこのまま風呂から出たらバレちゃうよね…。というかこの後ご飯食べたり、寝るまでたぶんゲームしたりして遊ぶ時間あるだろうからさすがにおっ勃てたままは100億パーセントまずい………抜いとくか…)

 シャワーの音でかき消されるのをいいことに、桔梗もこの後のことを考えての対策をとることにした。

 二人の思いと欲の交錯する桔梗の部屋お泊りという一大イベントの火ぶたが今切って落とされるのであった。

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