第27話 即興コーンポテトグラタン

「秋はどこへ行ってしまったんじゃろうのう……」


 安チューハイを片手に、鴉魅からすみが寂しそうに呟く。時は10月半ば、本来なら暑くもなく寒くもないちょうどいい気候の中で、秋の夜長の晩酌を楽しむ腹積もりであった。


 しかし今の気候は明確に寒いと言っても良い。冬の訪れを感じさせる寒気が既に漂っていた。ついこの前まで暑くてたまらなかったというのにコレなのだ、確かに秋はどうしたのかと愚痴りたくもなる。


「こういう日は熱燗が恋しくなるが……」


 こんな日だと冷えたチューハイではちびちびとしか進まない。かといって契約者の許可なく日本酒を開けるわけにもいかないのが式神立場の辛いところだ。その契約者もバイトに出ているのでお伺いを立てることもできない。


「しゃあない、夜風にでもあたってくるか。」


 いつもなら酔っ払ってテレビかネットでも見てれば時間も潰せるのだが、こう酔いが浅いとそうもいかない。久々に一人で散歩でもしたい気持ちが湧き上がり、たまらず事務所を出ていくのだった。






「当たり前のことじゃが、外のほうが冷え込むのう。」


 時間は深夜2時、この時間になると人通りも無く、翼の生えた幼女が闊歩していても問題は無い。真名子まなこの式神として付き添いでしか外出する機会がない彼女にとって、この深夜の散歩はかなり新鮮な経験だった。


「ん?」


 鴉魅がいい気分で歩いていると、道脇の街灯の下に人影が見えた。それは自分と同じ身の丈ほどの少女が膝を抱えうずくまる姿。一般人なら触らぬ神に祟りなしと見て見ぬふりをしてしまいそうな状況だが、鴉魅はそういう事なかれ主義とは無縁の土地神であった。


「これそこな娘よ、こんな夜中にどうかしたのか?親心配しておろうに早う帰らんと。」


「……ママ、あのおとこにいじめられてて……わたしだけにげてきたの……」


「……なるほど、それは悪いことを訊いてしまったようのう。」


 少女の言葉で鴉魅は察する。ヒモ男に逆らえないシングルマザー、そしてその余波で虐待を受ける子供。昼によく観るワイドショーで飽きるほど聞いたシュチュエーションだ。それを実際に目の当たりにしてさしもの鴉魅も少し困惑した。


「……さむいよう……かえりたいよう……ママのグラタンが食べたいよう……」


 しかしか細い声で泣く少女の姿を見れば、困惑よりも義侠心が湧いてくる。


「おぬし、良ければ家まで案内してくれんか。わしならばなんとかしてやれるかもしれんぞ?」


「おねえちゃんが……?」


「うむ、こう見えて昔は神と呼ばれた身よ。大船に乗った気で任せてくれ。」






 案内された先は昭和の残り香のようなボロアパートだった。さすがに古すぎるのか他に人が住んでいる気配もない。二階の一室にのみ明かりが灯り、そこが少女の家だとひと目でわかった。


「だから金出せって言ってんだよ!酒代のひとつも出せねえのかよこのバカ女がよぉ!」


 玄関に近づけば、いかにもやからといった感じの男の怒声と女の嗚咽が聞こえる。住人が他にいないから近所迷惑にはならないかもしれないが、あまりにも外面を気にかけない姿勢には鴉魅も苦笑してしまう。


「邪魔するぞい。」


「あっやっと帰ってきたかクソガキ!逃げてんじゃねーぞ……って誰だお前!?」


 玄関を開けて踏み込むと、早速男の怒りの矛先がこちらに向いてきた。頬を腫らしたまま倒れ込む少女の母親の傍らに立つ男、その若干筋肉質な身体はかつて格闘技か何かをかじっていたことを物語る。なるほど物理的に介入するには面倒そうな相手だ。


「何なんだこのガキ、変な格好して……いやそんなこたぁどうでもいい!見世物じゃねえんだよ痛い目見る前にとっとと帰りやが―――」



「―――五月蝿うるさい。ね。」



「えっ!?……うわっ、何だ俺の身体が!?た……助けてくれ!助けて……」


 しかし霊的な介入はその限りではなかった。鴉魅が男に人差し指を向けると、男の屈強な身体が風に晒された白砂のように崩れゆく。さっきまでの威勢はどこ行ったのか、哀れにも足元の女性に助けを求めたが、当然今までの因業が祟り助けてもらえるはずもない。程なくして、男がそこにいた痕跡は完全に消え去った。


「……ありがとう、おねえちゃん。」


「どこのどなたかは存じませんが、本当にありがとうございます。これで私達も……」


 男の消滅を確認すると、少女は母親のもとに駆け寄り二人揃って礼を言った。そして淡い光とともに姿を消す。外を見上げれば、ぼんやりとした灯りを伴った魂が天へと登っていく様子が見えた。




『本日未明、市内アパートにて複数の遺体が発見された。亡くなったのは住所不定無職・■■■■さん(36)とその内縁の妻■■■■さん(24)、そしてその連れ子の■■ちゃん(7)の3人。それぞれの遺体には刺し傷があり、警察は無理心中の方向で捜査を進めています。(2025.7.10 埼玉日報)』




 ふと、三ヶ月前新聞の片隅に載っていた記事を思い出す。なるほどここがその現場で、死してなお母子はあのヒモ男に縛られていたということなのだろう。鴉魅は母子の冥福を祈り合掌した。


 と同時に、このアパートが所謂「事故物件」だということにも気付いた。部屋に住み着いた怨霊のせいで売りに出すこともできない物件、これをまともな売り物に戻すにはその霊を祓うしかない。そしてそれはは祓い屋の仕事だ。


 つまり今夜のことが真名子に知られれば「放っておけば飯の種になる案件を何無料で解決してるんです?もうお酒いらないんです?」と詰られることは必至だろう。そうなってはたまったものではない。鴉魅は何事もなかったフリをするべく、そそくさと家に帰るのだった。






「ただいま帰りました……あれ、今日はあまり呑んでなかったようですが。」


「いやまあ、寒かったからのう……ハハハ……」


 鴉魅の帰宅から2・3時間後、真名子もバイトから帰ってきた。いつもより酒の進みが悪いことを訝しがられたものの、流石に真相に気付かれることはなかった。


「まあともかくご飯にしましょうか。何か食べたいものはありますか?」


 そう尋ねられると、ふと、あの時の少女の言葉が頭をよぎった。


「グラタンが食べたい……」


「えっ流石に無理ですよ。マカロニもホワイトソースも買い置きなんてありませんし。」


「い、いや無理なら良いんじゃ。忘れてくれい……」


「でもそういう顔されると作ってあげたくなっちゃうじゃないですか。」


 母親との思い出の味を未練に抱えたまま死んだ少女をおもんばかり寂しそうな表情を浮かべる鴉魅。その姿にキュンとなった真名子は、家に置かれている食材だけでなんとかしようと台所へと向かっていくのだった。




「いつ買ったかわからないクリームコーン缶。まさか今になって役立つとは。」


 疲れているので小麦粉をバターで炒ってイチからホワイトソースを作る気などは無し。そんな真名子が用意したのは、恐らく安売りで衝動買いしたであろう大サイズのクリームコーン缶、そしてパスタとジャガイモ・魚肉ソーセージ。


「イタリア人に怒られそうですが……ふんっ!」


 そう言うと真名子はおもむろにパスタを四つに折る。そしてジャガイモと魚肉ソーセージは一口大の乱切りにし、それらの具材を少量の水を張った鍋に雑にぶち込み強火にかける。


 やがてパスタが茹だり、水かさも減ってきたところでクリームコーンを投入。牛乳で伸ばしたら、弱火に落としてフツフツとさせる。沸いてきたらピザ用チーズを加えよく溶かし、塩コショウで味を整える。全体的にとろみがもったりしてきたらグラタンソースの完成た。


 バターを塗った耐熱皿にソースを流し入れ、軽く粉チーズを散らしたらオーブントースターで加熱。表面に綺麗な焦げ色がついたら出来上がりだ。



「はい、なんとかなりました。『即興コーンポテトグラタン』です。」



 表面にうっすら見える麺に多少の違和感は覚えるものの、白いソースにきつね色の焦げ目がついたその様相はまさにグラタンであった。二人とも冷めぬうちにフォークで掬って口に運ぶ。


「ふむふむ、グラタンとはこういうものか。美味いもんじゃのう。」


「知らないで注文したんですか?まあ『こういうものか』と問われれば微妙に違う感じではありますが。」


 コーンクリームベースのグラタンソースはやはりトウモロコシの甘味が強く、牛乳とバターの風味が主のホワイトソースとの違いを強く感じる。短く折ったパスタも、原材料こそ同じなれどマカロニとは趣が異なる。逆に言えば、形状の違いでここまで食べる印象の差が出るものなのか、と真名子は学びを得ていた。


 しかし味そのものは間違いがなく、甘味の立ったソースがたっぷり絡んだパスタ・ほくほくのジャガイモ・程良い塩気の魚肉ソーセージのそれぞれが主張しつつも綺麗にまとまっている。


 それに何より今は早朝のまだ寒い時間帯、この寒さの中で食べる熱々のグラタンが不味いはずがない。二人揃ってハフハフと息を荒げながら食べ進めていく。



(なるほど、あの娘が恋しがるのも当然じゃったのう……)



 同時に鴉魅は、不幸な事件でこの美味しさを二度と味わえなくなった娘への哀悼の意を捧げながら、グラタンを平らげるのだった。



今回のレシピ

https://cookpad.com/jp/recipes/24953169

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