りんごの木がある酒場(2/4)

 コインを弾く音が好きだった。


 それぞれの指に銅貨を乗せて同時に弾く。


 子気味良い二つの金属音が共鳴しながら静かに響く。


 狙った回転数と高さから落ちてくる銅貨を元の位置で受け止める。


「なにそれすごーい、もしかしてランドって芸人さん?」


「すごいだろ? 結構難しいんだぜコレ」


 アゼリアは洗濯物を抱えている。


「よそでやろうか?」


「全然平気ー」


 最後に高くはじいた二枚の銅貨を手のひらでつかみポケットにしまう。調子は悪くない。


 こなれた手つきで洗濯物を干していくアゼリアを横目に拾ってきた手頃な木の枝に手を伸ばす。


「素振り? 何で剣でやらないの?」


「知りたいか?」


 うん、うんとアゼリアが縦に首を振る。


「いかした棒が落ちてたからこっちに乗り換えた」


「うそだー」とアゼリアが笑う。


「常に使い慣れた剣で戦えるとは限らないだろ? 使い慣れた剣もそのうち折れる。なんでも使えるようになっとけっていうのが師匠の教えでね」


 枝を振る。どれくらいの間合いになるか、どれくらいの力で折れるかが伝わってくる。


「しばらく見てていい?」


 洗濯物を干し終えたアゼリアはこちらが答える前に腰を下ろしていた。


「仕事はいいのか?」


「他のお客さんいないから大丈夫」


 確かに他の泊り客はいなかった。ずっと正面を気にしていたが食料を運んできた商人しか見ていない。


「ちゃんと稽古してるから強いんだね」


 しばらく枝を振っていると、少しためらった様子でアゼリアが口を開いた。


「最近ね、よくああいう人が来るの」


 ああいう人というのは昨晩追い払った無法者たちのことだろう。アゼリアにちょっかいを出して来た三人組の男だ。


 アゼリアの笑みにかすかな陰りを感じた。


「女手一つでやってると隙があると思われちゃうのかなー。用心棒みたいなのも雇ってみたこともあるんだけど、お金だけ持っていなくなっちゃった」


 りんごの木で小鳥たちが飛び跳ねながらさえずっている。


 小鳥たちを眺めながらアゼリアは口を開いた。


「私が小さいころにお父さんとお母さんと一緒に植えたんだ」


 小鳥たちが木から飛び立ってまた違う小鳥たちに入れ替わる。


「お母さんは五年前くらいに病気で死んじゃって、三年くらい前まではお父さんと二人で切り盛りしてたんだけどね……お父さんも病気で死んじゃった」


「そうか」


「だからこのりんごの木とこの酒場が私の宝物なの」


 ところで、とアゼリアは話の調子を変えて言った。


「リーちゃんに聞いたんだけど、ランドって王子様だったんだってね」


 予期せぬ単語に心臓を貫かれたような感覚に襲われ体が一瞬硬直した。


「あ、この話やめた方がいい?」


「いいや。国ができたり無くなったりは別に珍しい話でもないだろ?」


「住むところ探してリーちゃんと旅してるんでしょ?」


 それで相談なんだけど、とランドの表情を伺いながら続ける。


「もしよかったら、しばらくウチの用心棒にならない?」


「用心棒、か」


 旅費を稼ぐために引き受けることもあったが苦い記憶が甦る。


「用心棒に覚えがないわけじゃないが、あまりいい思い出がなくてね」


 木の枝を森の方に放り投げる。緩やかな放物線を描きながら枝は繁みの中に消えていった。


「もうやらないことにしてるんだ、悪いな」


「ランドなら破格の待遇でお願いしようと思ってたのに残念。後悔しちゃうかもね」


 アゼリアが勢いよく立ち上がり、スカートの埃をはたいた。


「部屋に戻る。昼飯は部屋に頼む」


「はーい」


 帰り際に背後から声が聞こえた。


「気が変わったら教えてね!」


 ●


 夢だと分かっていても抜け出せないことがある。


 ハイドランジア王国の大通り。


 辺りはあの時と同じで炎に包まれていた。


 ランドと出会った場所は今でもはっきり覚えている。


 角を曲がり、ランドに出会った場所に向かうと、そこにはいつもの少女が立っていた。


 少女はリリィの方を振り返りにやりと笑う。


「あなたじゃなくてもよかったのよ」


 ランドが自分ではなく少女のもとに駆け寄って行く。


 ランドの名前を叫ぶが声が出ない。


 ランドはリリィには目もくれず、そのまま少女の手を引いて遠ざかっていく。


 いつの間にかリリィの首にペンダントはなく、見知らぬ少女の胸元で揺れていた。


(置いていかないで)


「駄目よ」


 少女の声が頭に響く。


「だってあなた、あの時私を見捨てて行ったじゃない?」


 焼け落ちた民家の柱の下敷きになっていた少女がリリィを見上げて手を伸ばしていた。


 気が付くと今は自分が下敷きになっている。


 ランドに手を引かれ遠ざかっていく少女が振り返って唇だけで言葉を紡ぐ。


(さ・よ・う・な・ら)


 身体が重くて動かない。


 真っ暗な泥の中に沈んでいくように意識が黒く塗りつぶされていく。


 これが、いつもの夢だった。

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