りんごの木がある酒場(3/4)
目が覚めると日が暮れかけていた。
ランドは椅子を反対にして背もたれに体を預けて眠っている。
夢の中の少女の言う通りだとリリィは思った。
きっとリリィでなくてもランドは同じことをしただろう。
ペンダントを強く握りしめる。
(なくしそうだから預かっておいてくれ)
渡されたのはハイドランジア王国の宝剣の柄頭にはまっていた装飾のコインだ。
それをペンダントにして、肌身離さず持っている。
リリィでなくても預けたのだろうか?
他人を見捨てるような人間だと知っても、それでも一緒にいてくれるだろうか?
ランドが突然、体勢を崩した。
慌てて涙をぬぐう。
大きなあくびをしながら、ランドが目を覚ました。
「よう、元気か?」
伸びをして「痛てて」と首を回す。
「横にベッドがあるんだからそっちで寝ればいいじゃない。馬鹿じゃないの?」
手を伸ばし、届かないことが決まってしまうことが怖かった。
だから、冷たく接しても離れないことで、心の距離を確かめている。
「熱は下がったか?」
「さあ、自分じゃ分からないわね」
ランドが立ち上がって向かってくる。
リリィの鼓動が早くなる。
――あと半歩。
額を少し突き出してみる。
さらに鼓動が速くなる。
が、ランドは素通りしてそのまま窓へと向かった。
落胆と気恥ずかしさがふつふつと沸き上がってくる。
心の乱れを悟られぬよう、言葉を紡ぐ。
「どうしたの?」
真剣なまなざしでランドは外を見据えている。
「きな臭くなってきやがった」
昨日追い払った無法者たちが、仲間でも引き連れて来たのだろう。
「用心棒は引き受けたの?」
聞いていたのか、というようにランドはちらりとリリィを見た。
「まあ、こんなこともあろうかと思って断っといた」
窓から離れ、ランドは部屋を出ようとする。
「様子見てくるからいいって言うまで部屋から出るなよ。出発の準備しておけ」
「いいな」と念を押してからランドは部屋を後にした。
根拠はないが、今回ランドは逃げないだろうなと思った。
●
ランドは銅貨を親指ではじいた。
銅貨は狙った通りの高さと回転数でしっかりと手元に戻ってきた。
昨日はある程度酒の入った三人組だったから対処した。そして今日出発するつもりでもいた。
部屋の窓から見た限りでは五人。
できるか? とランドは慎重に考える。
師なら何と言うか想像するが、想像上の師は首を縦に振りそうもない。
人質にされ剣を突きつけられているリリィの姿が甦る。
りんごの木を見ていたアゼリアの顔が脳裏に浮かぶ。
リリィを連れて逃げる選択ができるのはここまでだ。
選択を先に延ばせば選べる択が減っていく。事態は悪化の一途をたどる。
どうするかコインで決めたいくらいだった。
床に落とせばさすがに裏か表かは分からない。
だが、弾く瞬間、裏と表どちらのつもりで弾くだろうか。
●
客の気配を感じた。
料理の下ごしらえの手を止めて接客用の頭に切り替える。
「いらっしゃ――」
そこには昨日ランドが追い払った男たちに加えて二人の見知らぬ男がいた。
「昨日のガキはどこだ?」
ランドにあしらわれた男のうちの一人が苛立ちをあらわに迫って来る。
「昼間に出発してもういないわよ」
頭で考えるよりも早く言葉が出ていた。
男はリーダー格の男に目配せして指示を仰ぐ。
「そいつは残念だ。弟分が世話になったみたいだから一杯おごってやろうと思ってたんだがな」
男たちは他に客がいないのを確認しながら下卑た笑みを浮かべてにじり寄って来る。
「いないならしょうがねぇな」
ランドの名を叫びたい衝動に駆られる。
彼なら、助けを求めずとも騒ぎさえすればすぐに気が付いてくれるだろう。
結果は大して変わらないかもしれない。だが、用心棒を断られている。自分から直接助けを求めるのを拒んでいる。
「近づかないで!」
ランドに届くのを祈るように叫ぶ自分に気付き、不甲斐なさに涙がにじんだ。
「アゼリアどうしたー? 晩飯できたかー?」
麻袋に入れた剣を担いだランドが二階から降りてきた。
「いるじゃねぇか! 兄貴、コイツです」
男たちが一斉に剣に手をかける。
「ん? なんかマズい感じ?」
狼狽した様子でランドが後ずさる。
「昨日は――」
リーダー格の男が口を開いた瞬間ランドは男たちに背を向けて窓に向かって走り出した。
「じゃあな!」
窓に足をかけてランドが外に飛び出そうとするが、窓の縁に足を引っ掛け、頭から落ちて見えなくなった。
予想外の行動にその場にいる全員の思考が停止する。
「なっ、何してやがる! お前ら追え! 追え!」
男たちが我に返ってドアから飛び出していった。
「あそこにいるぞ!」
ランドを追って男たちが出て行ったことでアゼリアは一人取り残された。
膝から力が抜けて立てなくなった。
ランドが逃げたなどとは思っていない。
酒場で斬り合いにならないように、アゼリアに注意が向かないように引き付けてくれたのだ。
ランドがやられてしまうとは想像できなかったが、それでも万が一を考えると涙がこぼれた。
近くの村に助けを呼びに行こうか迷ったが、二階にはリリィが残っている。
万が一のことを考えて武器になりそうなものを考える。落ち葉を掃く鉄製の熊手が裏にあったはずだ。
すでにランドと男たちの姿は小さくなっている。
アゼリアはランドの遠ざかる背中を祈るように見つめていた。
●
リリィは、二階の窓からランドが男たちを引き付けて走り去る様子を眺めていた。
ランドはわざと躓いたふりをして絶妙な距離感を保っている。
敵は五人。
ランドが負けるとは思わないが、一度に対応できるのはどんなに腕が立っても四、五人が限度とヴァルター・オークは言っていた。
道を逸れたランドとそれを追う男たちが森に入って姿が見えなくなった。
リリィは無意識にペンダントを強く握りしめていた。
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