コインランドリー

齊藤 車

りんごの木がある酒場

りんごの木がある酒場(1/4)

 リリィは目を覚ますと同時に身体を跳ね上げていた。


 酒場の二階の一室。隣のベッドに視線を向けると、毛布をはねのけて大の字で眠る青年の姿があった。


「ランド……」


 うつむくと、首から下げたコインのペンダントが胸元で静かに揺れる。


 またいつもの夢で目を覚ます。


 青年に――ランドに置いて行かれる夢。


 寝間着のワンピースは汗を含んでじっとり重く、心臓の鼓動に合わせて身体が震える。


 握りしめたコインのペンダントは、手のひらよりも温かくなっていた。


 窓の外はまだ暗い。もう一度、眠る必要があるだろう。


 だが、この火照った身体ではすぐには眠れそうになかった。


 リリィはベッドから立ち上がり、窓へと向かう。


 床の冷たさが足の裏に心地よい。


 軋まないようにそっと窓を開けると、木々のかすかなざわめきとともに夜風が絡みついてきた。


 満月――ではなく少しだけ欠けた月がぼんやりと夜空に浮かんでいる。


 暖かそうな光に手を伸ばしてみるが月の温もりは感じられず、逆に手はいっそう冷たくなった。


 もっと近づけば、その温かさを感じられるのだろうか?


 しばらくランドの寝顔を眺めているとすっかり身体が冷えていた。


 窓を閉め、自分のベッドではなく、ランドのベッドの前で立ち止まる。


 帰りの床はただの冷たさに変わっていた。


 半分ずり落ちている毛布を掛け直し、そのまま毛布にもぐり込む。


 そして、ランドの腕を枕にして丸くなる。


 眠っているランドは並大抵のことでは目覚めない。


 冷えた身体が温もりに包まれる。


 眠りが訪れる予感があった。


 悪夢にうなされることのない、穏やかな眠りの予感が。


 ●


「なあ、リー。なんか左腕が痺れてるんだけど、良くない病気だったりしないか?」


「知らないわ。そのうち腐って落ちるんじゃない?」


 ランドよりも先に目覚め、身支度まで終えているリリィは冷たく言い放った。


「近くに、医者いるかな?」


 鞘を麻袋で包んだ剣を担いでランドは「とりあえず朝飯だ」と一階へと降りていく。


「おい、触るなよ」


 並んで階段を降りるときにリリィはわざとランドの腕にぶつかってみたりする。


「おはよー、朝ご飯もう少しでできるから座って待っててー」


 階段の喧噪に気付いたのか奥から女主人のアゼリアの声が聞こえた。


 おう、と答えてランドは昨日の夜と同じ角のテーブル席の手前に座り、リリィはその正面に座る。


「おまたせー、お腹すいたでしょ?」とアゼリアが朝食を運んでくる。


「ランドはシードル飲む? リーちゃんはりんごジュースでいい?」


 リリィはうなづき、ランドはいつものように半分だけでいいと答えた。


 酒に強くないのかランドはあまり飲まない。


「私も一緒に食べていい? 他に泊まりのお客さんいないの」


 アゼリアは上機嫌に「ランドはどこから来たの」とか「なんでそんなに強いの」など質問攻めにする。


 ランドは食事に集中し上の空な返答をするがアゼリアは「へー」とか「そうなんだー」と気にもかけない。


 昨日の夜に酒場にやってきた無法者たちをランドが追い払っている。好意を寄せているのは明らかだった。


「腕は治った?」


 リリィは強引にアゼリアの話を遮った。


「腕? ああ、治ってきた」


 突然ランドがまじめな顔になってリリィの顔を凝視する。


「な、何よ?」


 リリィは鼓動が激しくなるのを感じた。


「じっとしてろ」


「えっ? えっ? どうしたの?」


 アゼリアが動揺する中、向かいのテーブルからランドが身を乗り出しくる。


 息がかかる距離まで来たランドの額がリリィの額にこつんと当たる。


「ちょっと熱っぽい……か?」


 触れ合った額を通じて心臓の音が伝わるのではないかと不安になる。


「具合悪くないか?」


「そう言われると朝からちょっとだるさがあったかも」


 自覚症状はなかったがそういうことにしておいた。


「え、リーちゃん具合悪いの? お薬いる?」


「腹でも出して寝てたんじゃないか?」


「あなたと一緒にしないで!」


 思わず語気を強めてしまう。


「予定変更。もう一泊できるか?」


 ランドがアゼリアに聞く。


「あ、え、もう一泊? できるできる。っていうか今日出発予定だったんだというかなんというか……」


 と、最後は尻すぼみにごにょごにょと口ごもった。


「リー、部屋に戻って寝てろ。風邪は引き始めが肝心って言うからな」


 ほら行くぞ、とランドが立ち上がる。


 ランドに続いて立ち上がると、確かに風邪を引いたときのような気だるさを感じた。


 風邪を引いたかもしれないのに、少しだけ嬉しかった。


 ●


 ベッドに横になるとアゼリアが薬を持って来てくれた。


 味見と言ってアゼリアが持ってきた粉末をひとなめして「苦っ」とランドは顔をしかめてこちらを見てきた。


「子供じゃないんだから別に怖がらないわよ?」


「リーちゃん、お水ここに置くね」


「じゃ、その辺で体動かしてくるからゆっくり寝てろ」


 そう言ってランドは部屋から出て行ってしまった。


 ランドが扉の向こうに姿を消すと「ところで」とアゼリアが顔を近づけてきた。


「リーちゃんとランドってどういう関係? 兄妹……じゃないよね?」


 リリィは口元が緩むのを感じた。


「知りたい?」


 うん、うんとアゼリアが首を縦に振る。


「どうしても知りたい?」


「うん、知りたい!」


 好奇心旺盛な子供のようだ。


 リリィは十分に時間をおいてからこうささやいた。


「……私の王子様」


 アゼリアの笑顔が凍り付いた。

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