第6話 決断
清治は大きく息を吐き、小夜姫をまっすぐ見据えた。
「……小夜……タマ……?」
「小夜由良玉結比売命じゃと申しておろう」
「……はあ、やはり長すぎる。真名を呼ぶのは諦めよう。小夜姫、分かった。あなたとの結婚を承諾する」
その言葉を聞き、たちまち小夜姫の表情がぱあっと明るくなる。しかし、対照的に、清治は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そして、彼は右手を広げて小夜姫を制し、「ただし」と叫ぶ。
「ただし、これはあくまで契約結婚だ。信者を増やす、というあなたの目的が達せられ次第、契約は解除する。……極めて達成基準が曖昧な目的ではあるがな。それと、先ほども言ったが、俺は別に大名になりたいとは思っていない。だから、そのことに関してあなたの手を煩わせるつもりはない」
ぴしゃりと言い放つ清治に、小夜姫は困惑した。
「そ、それでは、お主に利益が何一つ生じないではないか。契約なのじゃから、双方にとって利点がなければならぬであろう?」
「案ずるな、利益ならばある。早く身を固めろ、と言われなくなるという利益がな」
実のところは、清治は元服してさほど年数が経過していないため、まだ結婚を急かされるような年齢ではない。しかし、本来彼は当分結婚するつもりなどなかったので、いずれはそう言われるようになるであろうことは予測できた。
——どうせ、したくもない結婚をさせられるのであれば、せめて誰かの役に立つような結婚をしたい。
そんな思いが、清治の中にはわずかにあった。
「そうか……なら良い。では、約定の証として、これよりお主には玉串を妾に捧げてもらう」
「なるほど、神らしく儀式を行うわけだな」
「婚礼の儀はまた後ほど改めて行おう。お主の親類縁者を集めて、盛大に執り行うのじゃ。そのためにはまずお主の両親に報告せねばならぬの。じゃが、父君は病に臥しておられるのであったか……」
小夜姫は待ちきれない様子で、既にあれこれと段取りを考え始めているようである。一方の清治は、目下の問題を解決するのが先だと思っていた。
「小夜姫。水を差すようで申し訳ないが、とりあえず、俺をここから出してくれないか? 逃げたりはしないから」
「……おお、そうであったな。すっかり失念しておった。どれ」
小夜姫はパチンと指を鳴らした。その瞬間に、周囲の景色は元の田園風景に戻り、鳥の鳴き声や風の音も聞こえてきた。ようやく結界から出してもらうことができ、清治はほっと胸をなでおろした。
すると、小夜姫が不意に手をポンと叩いた。
「そうじゃ、お主を紹介しておきたい者がおるのじゃ。案内するゆえ、ついて来い」
そう言うと彼女は、戸惑う清治の左腕を掴み、自分の方に引き寄せた。そして、「鬼足山へ」と小声で呟き、思い切り地面を蹴った。
次の瞬間、小夜姫と清治の姿はその場からかき消えていた。
清治はただ混乱していた。目の前に広がるのは、草木の生い茂る奥深い山の景色である。つい先ほどまで、鬼足山の麓の村にいたのではなかったか。
「これは、どういうことだ?」
「瞬間移動じゃ。神通力の基本じゃな。神として、これぐらいはできて当然じゃ」
「……へえ」
空を晴らしたことよりも、こちらの方がよほど神らしい行為であると清治は思った。最初からこうしてくれれば、清治としても小夜姫を必要以上に疑わずに済んだというものである。
「で、俺に会わせたい者というのはどこにいるのだ?」
「そう急くな。もう少し登ったところにおるはずじゃ」
清治は小夜姫に連れられるまま、山を登っていった。足場が良いとはいえない道をしばらく歩いていくと、やがて山の頂上に辿り着いた。清治が前方に目を向けると、そこには神社の鳥居のようなものがあった。しかし、朱色の塗料は所々というよりもほぼ全て剥がれており、さらに木製の鳥居の根元は腐食して、
「深山ー! お主に紹介したい者を連れてきたぞ! 姿を見せい!」
小夜姫は鳥居に向かって声を張り上げた。するとまもなく、ガサガサという音が上から聞こえてきた。清治が音のした方を見上げると、木の上に人影が見えた。こんなところにいる人など只者ではあるまい、と清治は身構えた。
「誰だよ、紹介したい者って」
その声とともに、人影が消えた。かと思うと、清治の目の前に縹色を身にまとった人物が突然現れた。よく見ると、その人物は鎌倉武士のような格好をしていた。
「……!」
驚く清治をよそに、その男は眉間にしわを寄せて清治の頭のてっぺんから爪先までをじろじろと観察した。
「……小夜。もしかしてお前、こいつを婿にするつもりなのか?」
「左様じゃ。先ほどこの者からの承諾も得た」
「承諾、ねえ」
男は苦笑しているようだった。男の口ぶりと身なり、そして彼の醸し出す雰囲気からして、彼はおそらく人ではないのだろうと清治は思った。
「ああ、悪いな。名乗るのが遅れた。俺は深山月杙炸神、この神社に祀られている神だ——深山と呼んでくれ。お前は……土川清治というのか」
深山と名乗った男もやはり、清治の名を知っていた。
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