第5話 脅迫
清治はゆっくりと周囲を見回した。見渡す限り白一色で、先ほどまで自身を取り囲んでいた田畑の広がる風景は一切見えない。何が起きたのか瞬時には理解できず、彼はひとまず後ろを振り返った。
そこには、肩で息をする小夜姫の姿があった。その薄紫色の双眸が、じっと清治を見つめている。ただならぬ雰囲気に、清治は後ずさった。
「……これは結界じゃ。お主が結婚を承諾せぬ限り、ここからは出さぬ」
「何だと?」
聞き捨てならない言葉に、清治は再び刀の柄に手をかけた。しかし、彼は直感で、小夜姫も「結界」とやらも、刀では斬れないものであると感じ取っていた。清治は生命の危機を悟ったが、その時小夜姫がおもむろに口を開いた。
「分かった。お主は妾のもとに来たいとは思うておらぬのじゃな。じゃが、こちらにも譲れぬことはある。……妾がお主を求める理由を、正直に話そう。決断をするのは、それからでも遅くはあるまい。違うか?」
「……」
清治は返事をしなかったが、小夜姫はため息を一つつくと、とつとつと語り始めた。
「……近頃、異国の文化がこの国に流れ込んでいることもあってか、人間たちの神に対する信仰心が揺らいでおるようなのじゃ。神は信仰を失えば、その存在はいずれ消滅する定めにある。……もちろん、天照大神のような皇祖神や、建国の神話に語り継がれるような有名な神たちは、まだ人々に広く信仰されておるじゃろうが、妾たちのような無名の神は違う。もともと信者は数えるほどしかおらぬ上、山奥の寂れた場所に祀られておるゆえ、人々に忘れ去られるのは時間の問題じゃ。じゃが、妾は消えとうない。ゆえに、信奉者を増やそうとしておる。その手段として……」
「俺との結婚を思いついたわけか」
清治の言葉に、小夜姫は頷く。
「人間の伴侶を得れば、少なくともその者には妾の存在を認知してもらうことができる。妾たち神の姿を見ることができる人間は一握りにすぎぬが、伴侶を介して縁を結べば、その親類縁者も妾の姿を目に映すことができるようになるはずじゃ。場合によっては、そのまま妾の信者となってくれるやもしれぬ」
「なるほど。あなたの目論見は理解した。要するに、たまたま俺が神の姿を見られる人間だから、俺に目をつけたということか。……だが、だからといって結婚に応じるかはまた別の話だ。酷なことを言うようだが、俺としてはあなたが消えたところで何か不都合が生じるわけではない。もともとあなたの存在など知りもしなかったわけだしな」
「……っ」
小夜姫の表情が一瞬苦しげに歪んだが、彼女はすぐに不敵な笑みを浮かべ、清治に近寄る。そして、背伸びをして彼の耳元に囁いた。
「では、こう言ったらどうする? 妾はお主を、狭宮の殿にすることができる」
「!」
清治は目を見開いた。小夜姫は好機とばかりに畳みかける。
「清治、お主の素性については一通り存じておる。狭宮の大名、土川家の十男坊で、兄が多く母の身分も低いために、本来ならば当主になれる可能性は皆無に近い。……本来ならば、な」
「それは、あなたの力があれば、可能になるということか?」
「無論じゃ」
小夜姫は勢いよく首を縦に振った。清治は一瞬思案したが、すぐに元の冷めた表情に戻り、小夜姫に告げる。
「……俺は、当主の地位になど興味はない。そのように責任ある立場には向いていないのだ。それに、狭宮の当主になれば自ずと国に縛りつけられることになるだろう? 俺はこの日本の未来を憂いている。国などというしがらみに囚われている場合ではないのだ」
それを聞いた小夜姫の顔が強張る。そして何か言いたげに口をぱくぱくさせた。しばらく沈黙が続いたが、やがて小夜姫の口から発せられた言葉は衝撃的なものだった。
「なるほど、そういうことならば、こちらも手段を選んでいる場合ではない。……妾との結婚を受け入れぬのであれば、天変地異を引き起こして、この地を壊滅させてやろう!」
天変地異、という言葉に、清治は穏やかならぬ響きを感じた。というのも、最近大規模な地震が発生したばかりなのである。幸い狭宮藩は震源から遠かったようで、あまり被害を受けずに済んだが、地域によっては大変な惨禍を被ったらしい。もしかしたら、あの地震も神が起こしたものなのだろうか。だとすれば、小夜姫の言うことも無下にはできないだろう。
「……今度は民たちを人質に取るか。あなたも見かけによらず、なかなか狡猾なことを考える。正直に言えば、俺は狭宮という領地の存続自体にはこだわっていない。だから、国が解体されようがどうなろうが、それはどうでもいい。だが、この地に暮らす民たちに関しては、失われてはかなわない」
目を伏せる清治とは正反対に、小夜姫は満足そうな顔になった。
「ほう、分かっておるではないか。……どうじゃ、今度こそ妾との婚姻を受け入れる気になったか?」
「……」
清治は顎に手をやり、しばし考えに耽った。自分一人の未来と多くの民たちの未来、天秤にかければどちらに傾くかは自明だった。
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