ひだり

古博かん

ひだり

 どこで道を間違えたのかさえ気付かないまま、いつの間にか迷い込んでいた先は、しなびた夕暮れの商店街の只中だった。


 左肩にげたかばんから、何の気なしに取り出したスマホ画面は、もうすぐ18時半になろうかという頃。

 本来なら、駅前の雑踏ざっとうを歩いているはずの時間だ。

 なぜか圏外けんがいになっているスマホを右ポケットに突っ込んで、改めて周囲を見回してみる。


 アーケードもない吹きさらしの中、立ち並ぶ商店にかかげられた赤錆あかさびびた看板とトタン屋根、シャッターを下ろした店々を揺らす風が立てる耳触りの悪い金属音。

 本来ならば、夕飯の材料を揃えるべく買い出し客の姿でもあろうものだが、道の前後には人っこひとり見当たらない。

 まるで、撮影のために再現された無機質なロケ地に、たった一人で立たされているかのような雰囲気の中、しかし、その場はシンと静まり返り、見上げると、ところどころに紫漂むらさきただよう夕暮れの空ばかりが、ただ、おどろおどろしく燃えるばかりに広がっていた。


 八百屋に隣接する漬物屋、魚屋の店前で空になった陳列台と打ちっぱなしの土間から漂う、一応洗い流した長年染みついた生臭さ。

 花屋を挟んで並ぶ古本屋と駄菓子屋と、蛇足だそくのように付いている怪しい一つ目が見開かれた立て看板の下に日焼けした占の文字。


 そこから脇道にれると少しおもむきの変わった細い石畳が、まるで手招きしているかのように小さな灯りを揺らしながら続いていた。


 特段、進みたいわけでもないのに、体が意に反して細い路地に入っていく。等間隔とうかんかくに並んだ灯りが小さく明滅めいめつする周りを、同じく小さなの類が飛んでいた。


 空間全体が、長年放置されているかのように振る舞ってはいるが、あまりにも隅々にまで手入れが行き届いている、チグハグとした無人の商店街。

 その脇道の先に続いていたのはいかめしく彫られた卍の印。

 どうやら、この裏寂うらさびれた商店街は、かつては寺の門前町として栄えたその名残りなのだろう。

 それは良いとして、ところどころが少しがれ落ちているが、造りそのものはしっかりしてそうな土塀に挟まれるようにして現れた、重々しい木の門扉もんぴがうすら開いているのはどうしてだろう。

 商店街が閑散かんさんと締め切っている時間なのだから、当然、お寺さんも門を閉ざしておかしくない。


 特段、足を止めたいわけでもないのに、体が意に反して門の前で足を止め、特段、眺めたいわけでもないのに、体が意に反してしげしげと門の奥をのぞこうとする。


 隙間からかすめ見える寺の様子は、さらに不思議だった。

 無機質ながら整えられた前庭、参道の途中にえられた比較的新しい屋根と常香炉じょうこうろ、その先に続いている十数段の石階段の先、現代では再現が不可能な手作業ならではの風合いが美しい波板ガラスの引き戸。

 古風なたたずまいだが、一部は戦後に建て直したかのように見えるその内側に、うっすらと見えているのは、ところどころが大きく破けた障子しょうじだろうか。


 打ち捨てられている割には、ゴミ一つ落ちている様子もなく、閑散とはしているがやはり手入れは行き届いているように見えて、ここも例に漏れずにチグハグな空間だ。


 覗くだけ覗いて早々に立ち去ろうと思っているのに、体は意に反してぴたりと門の前で足を止めたまま。細い路地をザアっと吹き抜ける風に押されて、古めかしい木戸がギイっときしみながら薄ら開いていた隙間を、人ひとりが通れる幅にまで広げていく。


 特段、入りたいわけでもないのに、体が意に反してその隙間をくぐり、中へ中へと歩みを進める。コツコツと響く靴音は確かに自分が立てているはずなのに、まるでその感覚がない。不思議なものだ。


 そうこうするうちに、煙のない常香炉を通り過ぎ、目の前の十数段の石階段を上がり終えた先にある波板ガラスの引き戸が開いていた。

 門の向こうから覗いた時には、確かに閉めてあったと思ったが、今こうして引き戸の前に立つと、波板ガラスは重なり合って通路がぽっかりと続いている。


 中の障子は、やはり大きく破れて一見してボロボロだ。

 しかし、よく見ると日焼けした痕跡こんせきもなく、貼り直したばかりの障子を子どもがいたずらしたように、それっぽく荒らしただけのようにも見える。こういうところが、チグハグだ。

 上がりかまちで靴を脱ぐべきなのだが、逡巡しゅんじゅんして足元を見ると、あら不思議。いつの間にか靴を脱いで、小上がりを上がっているではないか。

 そして視線を上げると、破れた障子がいつの間にか全開で、これみよがしにどうぞと奥に灯りがほんのりと点いている。


 特段、お邪魔したいわけでもないのに、体は意に反して奥の座敷へと入っていく。


 背後でカチリと音がして、それからガラス引き戸が建て付けの軋んだ音を立てる。

 破れた障子が、スススと滑る音がする。

 人感センサーでも付いているのか、こういうところがチグハグだ。


 奥の座敷は京八畳間きょうはちじょうまを二つぶち抜いた大空間が広がり、最奥中央には真鍮しんちゅうと思しき枯れた風合いのはすうてなになぜかいます象頭の神像。

 そんな二間の空間を真ん中でぶった斬る欄間らんまの彫り物に視線を奪われる。

 精巧な唐草模様の合間合間に、どうしたわけか装飾的だが、しかしはっきりとしたラテン十字が刻まれている。


 視線を戻すと、座敷の左右には、いつの間にか均等に並んだ木製座椅子が並び、右側の最前列には、これまたどうしたわけか、イベント会場で転がすサイコロのようなサイズ感をした握りたての大きな握り拳が一つガッテンしている。

 左側の最前列には、宜しければどうぞと言わんばかりに背負い心地の悪そうな十字架がゴツンと置いてある。


 なんだ、この空間は。


 いびつな宗教観でごった返した空間はガランとしているにもかかわらず、どうしてかざわざわと落ち着きなく揺れている。

 見れば神像の前にあつらえられた祭壇の上で灯る燭台しょくだいがにびついた影を落としながら揺れており、その中央に挟まれるようにして置かれた見開きの写本には、右へ行くか、左へ行くかとだけ記されている。


 はてと思い顔を上げると、なるほど、像頭の神像が安置されている左右には確かにそれぞれ扉があり、扉枠の中央にはそれぞれ、右、左と記されていた。


 とりあえず、右へ行く。


 右の回廊はそのまま右回りに造られていて、程なく先ほどのぶちぬき京間を右手に見ながら縁側を進む。

 ガランとした二つづきの八畳間の障子は閉じられているが、やはり空けたての穴ぼこだらけで、そこからどういうわけか片目がぞろぞろと庭園を覗いている。

 視線が合うことは無いから、多分、庭園を見ているのだろう。

 つられて庭園を見てみれば、ただ薄暗がりに整然と広がる手入れの行き届いた見事なばかりの枯山水かれさんすい

 竹籠の行灯あんどんがポツリ、ポツリと控えめに足元を照らしていた。


 そのまま進むと、再び入ってきた小上がりの内廊下に繋がっていた。

 外に出ようにも破れた障子はピッタリと閉ざされていて、うんともすんとも動かない。

 敗れた障子の向こうの波板ガラスには明王とよく似た、明らかに倶利伽羅くりから武器を手にしたいかつい大きなシルエットが立っていて、片手で下がれとうながしているように見えた。


 いぶかしく思いながら振り返ると、そこには二つぶち抜いた京八畳間が待ち構えている。

 だが、不思議なことに先ほどまで蓮の台に鎮座していた象頭の神像ではなく、まるで観音様かんのんさまのような優美なマリア像がうつむき加減に立っている。


 そして、右手の最前列には左手の握り拳がガッテンし、左手の最前列にはゴツンと置いてある十字架の向こうに、こちらへどうぞと言わんばかりの戸口が全開だ。


 まあ、右には一度行ったから、今度は左へ行ってみよう。


 左側の扉枠を抜けると、その先には細い廊下が続き、左手に書院を見ながらさらに先に進むと水屋と石段があり、そこで廊下は途切れている。

 地べたに降りるなら靴が要るじゃないかとため息をつくと、気の利いたこともあるもので、石段の上には自分の履物が揃えてあった。

 履き心地も馴染んだ自分の靴だ。


 ここから先は通用口へ続いているのだろうか、石段を降りてきれいに埋められた飛び石を辿たどるように細い道を進むと、右手につくばいがあり、手水ちょうず用の柄杓ひしゃくが添えてあった。


 小さな竹垣が分岐ぶんきする小道の先には茶室が見えたが、残念ながら、というよりこの時間なので閉まっている。まあ、当然だ。


 茶室を無視してさらに進むと、赤い提灯ちょうちんがいくつも連なる提灯棚が現れて、屋根付きの回廊に出た。


 小さな狐火がほんわりと揺れる先に、朱塗りの細い鳥居の列が続き、その先に現れたのはお稲荷いなりさんをまつる末社だった。


 お寺さんでも、お稲荷さんを祀っているところは割と見かける。

 ましてや、かつての門前町と思しき商店街があるのだから、商売繁盛はんじょうのお稲荷さんが祀られていても不思議はない。

 人の気配はなくても整然と清められた小さなお社には、賽銭箱さいせんばことお供物が並べられていて、大小数多のキツネの像が所狭しとこちらを見ている。


 あ、お賽銭……と思ったが、どうしたわけか、いつの間にかかばんがない。

 かばんがないから財布もない。

 ポケットの中身も空っぽだ。

 仕方がないから、お賽銭がなくてすみませんと、心のうちで一言詫びて、手だけ合わせて頭を下げて、それから回遊式に続く細い小道を進む。


 お稲荷さんから先は、きっちりと目の揃った石畳になっており、道なりに進むと商店街の端っこに出た。こうやって、お寺さんの敷地から裏路地続きになっていたらしい。


 空はすっかり群青たなびく夜のとばりが広がっていて、商店街は相変わらず閑散としている。ポツポツと街頭の灯りが狭い範囲を照らしているが、それだけだ。


 早く帰らないと。


 そう思って振り返ると、どうしたわけか、目の前でお寺の門扉がギイっと音を立てて開く。

 特段、お邪魔したいわけではないのに、体が意に反してまた門扉の隙間を潜り、コツコツと靴音をさせて参道を進む。

 ままならずに一度ため息をついて視線を上げると、また二間ぶち抜いた京八畳間に立っていた。土足で上がるなど言語道断と思って足元を見ると、ちゃんと靴は脱いでいる。


 顔を上げると、目の前の蓮の台には初めからそうであったかのように、枯れた風合いの阿弥陀如来あみだにょらいが座している。

 ゆるいOKサインでもしてそうな来迎印らいごういんを結ぶ手のひらをじっと見ていると、その手が両方、左を指差してゲッツした。


 見間違いかと思って目を擦って、まじまじと手のひらを眺めると、素知らぬ様子で元のようにゆるゆるOKの来迎印を結んでいる。


 何気なく視線を右に走らせると、落ちている大きな左手の握り拳も左を指差してゲッツしており、右の扉は立ち入り禁止と書いてあり、左側通行しかできない仕様になっていた。


 じゃあ、左に行くしかない。


 はじめから選択肢がないのだから、左の扉枠をもう一度潜り抜けていく。

 同じ廊下と書院が続き、同じように廊下が途切れた先には石段があって、自分の履物が初めからそこにあった顔をして揃えてある。


 靴を履いて、石段を降りて、一度通ったつくばいと茶室の間の細い道を同じように進んでいくと、同じように提灯棚が現れて屋根付きの回廊が続く。


 そして、連なる鳥居の中ほどには女の子が一人うつむき加減で佇んでいた。


 襟元と袖口が少々擦り切れた白いブラウスに合わせた赤い膝上丈のスカートを、同じ色をしたサスペンダーが吊っている。

 くるぶし上の靴下に、つま先が少し擦り切れた白いゴム底の布ぐつ。

 昭和によく見た女の子の服装だと、ぼんやり考えていると、女の子は少しだけ顔を上げた。


 肩上で切り揃えられたおかっぱ頭に対して、伸びすぎの前髪は顔の半分を覆い隠してしまっているが、少しだけ首を右に傾げているせいで、左目だけが前髪の隙間からギョロリと覗いている。


 特段、目を合わせたいわけでもないのに、意に反して体が動かないせいで、結局女の子と目を合わせてしまう。

 薄暗がりの中、提灯の灯りと女の子の黒々とした目ばかりが爛々らんらんと光って見えるから不思議だ。


「置いていくの?」


 そう聞こえた気がした。

 気のせいかと思おうとした時、女の子の口元が確かに動いていることに気がついてしまう。


「ねえ、置いていくの?」


 そう言って、一歩、一歩とこちらに歩んでくる女の子は、ろくに瞬きもせず、ギョロリとこちらを凝視する。


「置いていくの? あたしを」


 そうは言われても、女の子をここに置いてきたわけでもなし、まして連れて行ったらこちらが誘拐犯になってしまう。

 商店街の最寄りに交番でもあればまだしも……と思ったところで、調べようにもかばんがない。

 かばんがないからスマホもない。

 何度探ってもポケットの中身も空っぽだ。


「置いていくの?」


 ろくに足音も立てずに、気が付くと、女の子はすぐ目の前に立っていて、少しだけ首を傾げたまま、じっとこちらを見上げてくる。

 ギョロリとした左目は、近くで見るとより一層大きく見えた。


「ねえ、置いていくの?」


 いつの間にか、女の子の細い両手に左手を握られている。

 思いの外強い握力に気圧されて、頭では振り解きたいと思っているのに、意に反して体はぴくりとも動かない。


「置いていくの? あたしを」


 そう動いた女の子の口が、どうしたわけかぐにゃぐにゃと揺れ始める。

 よくよく見ていると、ぐにゃぐにゃとしているのは口だけではなく、女の子の全身がぐにゃぐにゃと揺れ始め、まるで全身の骨が体の中で溶けてしまったかのように、目の前で原型が崩れていく。


 ぐにゃぐにゃになった女の子は徐々に小さくしぼんでいき、形を失いながら最終的には左の手のひらの上で、どくりどくりと脈動する拳ほどの肉の塊になってしまった。


 その肉の塊には、ただ片目だけが付いていて、その目はろくに瞬きもせずに、ただじーっとこちらを見上げてくる。

 左の手のひらの上から、ただじーっと。


 驚きも行き過ぎると驚いたリアクションすら取れないようで、ハッと気が付いて視線を上げると、とっぷりと暮れた空の下、ガランとした商店街の只中に一人ポツンと立っていた。

 否、左の手のひらの上には、先ほどまで女の子だった片目の肉の塊が、どくりどくりと脈動している。

 試しに振り落とそうとしてみたが、手のひらにピッタリとくっ付いてしまっていて、うんともすんとも動かない。

 手のひらを振るわれても握られても、一つ目は目を回したり動じたりはしないらしい。変わらずに、ろくに瞬きもせず、ただじーっとこちらを見上げている。


 商店街の前後を何度振り返っても、人っこひとり見当たらず、お寺への脇道もお稲荷さんへの裏路地も見当たらない。


 気が付くと左肩からかばんを提げていて、空いている右手にはスマホを握りしめていた。

 画面の表示は18時半を過ぎていて、電波もちゃんと三本しっかり立っている。


 ハッと気が付いて顔を上げると、いつの間にか駅前の雑踏の片隅に佇んでいた。

 行き交う車の走行音、すれ違う人々の靴音と時折漏れ聞こえる会話。

 目の前をチカチカと忙しなく明滅する信号機や、コンビニ看板の灯り。

 その先の駅構内から聞こえてくる電車の到着を告げる機械的なアナウンス、それは十二分に見慣れた日常の光景だ。


 夢でも見たかと左手を見てみても、手のひらは空を掴んでいるばかりで、重さも温かさも何も感じない。

 やはり夢だったか。

 それにしても、不思議なこともあるものだ。

 かばんを右肩にかけ直してからスマホを左手に持ち替えて、ポケットにしまい直す。


 一体どこからどこまでが夢で、どうやってここまで辿り着いたのか、皆目見当も付かないが、体は覚えているままに慣れた足取りで横断歩道を渡り終えると、駅の改札へと向かう。

 特に何の問題もなく、左手で定期を掴むと、腕をクロスさせてICタッチを済ませ、次の電車に難なく乗り込み、四つ向こうの最寄り駅で下車。

 駅前のコンビニで新商品のアイスを左のポケットから取り出したスマホのタッチ決済で購入し、無事に家まで帰り着いた。


 右肩にかけたかばんをごそごそしながら鍵を取り出して穴にさし、左にターンするとカチリと開いた音がした。


 その後も、何一つ変わらない日常が続いている。

 あの、とってつけたような裏寂れた不思議な商店街に足を踏み入れる機会もなく。


「あれ、あんた左利きだっけ?」


「え?」


 久しぶりに会う友人が、ことごとく不思議そうに小首を傾げながら、そう尋ねてくるようになったこと以外は、特に、何一つ変わらない日常が続いている。

 特に、何一つ。

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