密輸する
「ねえ、リヴィア。目的地まであとどれくらい?」
「昨日も同じこと聞きましたよね、ユリアン様。それと、私の名前はオリヴィアですよ、お間違えなく!」
会話の主は、他ならぬユリアンとオリヴィアの二人だ。彼らは今、広々とした馬車の客室に揺られている。昨日ユリアンが乗っていた馬車よりも明らかに広いこの客室は、新品そのものだった。
一番の違いは、ユリアンがもう獣人の女の子の上に座っていないことだ。今の彼は、豪華な固定式の椅子に腰を下ろしている。この椅子、馬車がどんなに揺れようともビクともしない。昨日みたいにイライラすることもなく、ユリアンはだいぶリラックスしているようだ。
オリヴィアもまた、ユリアンの向かいに座りながら、ずっと本に目を落としている。彼女はユリアンと話しながらページをめくるという、ちょっと失礼な態度を取っていたが、ユリアンはそんなことには目もくれず、ただ窓の外をぼんやりと眺めていた。
「でもさ、ユリアン様。一日で獣人たちを使い潰すなんて、さすがに信じられませんよ。公爵の息子さんとはいえ、ちょっとやりすぎじゃないですか?」
オリヴィアがそう言いながら、次のページをパラリとめくる。彼女がユリアンを「公爵の息子」と呼んだ瞬間、ユリアンの顔がピクリと引きつった。
「リヴィア、何度言えば分かるんだ。俺はその『公爵の息子』って肩書き、必要ないって言ってるだろ。誰よりもお前がそれを分かってるはずだろ?」
「はいはい、了解しましたよ。今のユリアン様が持つ地位も、権力も、人脈も、財産も、全部自分で築き上げたもの。家族の力なんて借りてない、ですよね?」オリヴィアはため息混じりに答えた。
その通りだ。ユリアンが今手にしている全ては、彼自身の力で掴み取ったものだ。公爵家という後ろ盾には一切頼らずに。なぜ彼が家族の力を拒んだのか? それは、彼が生まれた時に起きたある出来事が関係している。
オリヴィアだって、ユリアンが自ら育て、守り抜いた存在だ。彼女の出自は、貧民街で物乞いをしていた女の娘。貧民街には、混血の獣人だけでなく、貧しさゆえにそこに身を寄せる普通の人間もいた。オリヴィアの家族もその一人だった。
ある日、偶然の出会いがあった。オリヴィアが家族のためにパンを盗もうとして捕まった時、ユリアンは彼女の境遇に心を動かされ、危険を承知で貧民街へ足を踏み入れた。そこで見たものは、想像を絶する光景だった。
オリヴィアの両親は、ボロボロの小屋の中で動かなくなっていた。二人の顔は無残にも潰され、原型を留めないほどだった。血が地面に広がり、腐臭が漂い、死体を這うウジ虫がその場をさらに不気味にしていた。ユリアンはその光景に耐えきれず、食べたものを全て吐き出してしまった。
だが、オリヴィアは驚くほど冷静だった。彼女は絶望的な目で、盗んだパンを両親の潰された顔に押し付けていた。その姿を見て、ユリアンは彼女が心に深い傷を負っていることを悟った。彼はオリヴィアを連れ帰り、家族や貴族、果ては庶民からの非難を浴びながらも、彼女を癒し、育て上げたのだ。
「分かってるならいいさ。はぁ、でも退屈だな……」
ユリアンは窓に頭を預け、つまらなそうに呟いた。
オリヴィアは読んでいた本をパタンと閉じた。よく見ると、その本の表紙はピンク色で、かわいらしいキャラクターや模様が描かれている。どんな本を読んでいるのか、ちょっと気になるけど……。
「ユリアン様、そのセリフ、遠出するたびに何度も聞いてますよ。ねえ、本でも読んでみたらどうですか? 本の世界って、めっちゃ面白いんですから!」
オリヴィアはユリアンの近くに寄ってきて、持っていた可愛い表紙の本をヒラヒラと見せつけた。ユリアンは軽く彼女の手を払いのけ、目を閉じてぶっきらぼうに答えた。
「そんなの読む気ないよ。時間の無駄だ。お前と遊んでる方がまだマシだ」
その言葉に、オリヴィアの顔がカッと赤くなった。彼女は慌てて席に戻り、うつむいてしまう。その姿、めっちゃ可愛いんだけど……ユリアンはそんな彼女をチラリとも見ず、相変わらずの無関心っぷり。まあ、長い付き合いだから、このパターンは見慣れてるんだろうな。
そんな中、馬車の外を護衛していた騎兵が近づいてきて、馬車のドアをノックした。ユリアンが軽く頷くと、騎兵が口を開いた。
「ユリアン様、向こうから馬車が近づいてきております。逆方向に進んでいますが、止める必要はありますか?」
「止める必要ないだろ。危険じゃなさそうなら、そのまま行かせとけ。俺はさっさと目的地に着いて、早く帰りたいんだ。この退屈な場所にこれ以上いたくない」
騎兵は「了解しました」と二度頷き、前の兵士たちに指示を伝えに走った。
「え部分!」
私は驚いてローランドを見上げた。
彼の顔は焦りに満ちていた。ローランドは慌てて馬車から飛び降り、私とオウガが遊んでいた客室の壁にある隠し扉を開けた。なるほど、この馬車がやけに「分厚い」理由が分かったよ。
壁には、人が隠れるための秘密のスペースがいくつも用意されていたのだ。私はすぐに状況を察し、何が起こってるのか分からないオウガをそのスペースに押し込んだ。ローランドが扉を閉め、私を連れて外に出た
外には、たくさんの騎兵に守られた馬車の一団がいた。どの馬車にも、赤い二頭のフェニックスの紋章が描かれた金色の目の旗が掲げられている。ローランドによると、これはフェニキア王国の国旗だという。
「王国の馬車だ。もしオウガが見つかったら、連れていかれちまう。だから隠したんだ。向こうが止まらなければ、問題ないはずだ」
ローランドが馬車の一団を見ながらそう言った。私は黙ってその長い馬車行列を眺めた。よく見ると、何人かの兵士がこっちをジロジロ見ている。
しばらくして、ようやく馬車の一団は遠くへ去り、視界から消えた。ローランドはホッと肩を下ろし、「オウガを出してやろう。さぞビックリしただろうな」と呟いた。
私もローランドと一緒に馬車に戻り、隠し扉を開けてオウガを外に出した。彼女はまだ何が起こったのか分からず、キョトンとしている。
「レナ姉、何だったの?」オウガが私を見て尋ねた。
「う、ううん、なんでもないよ。ちょっとした問題があっただけ。もう大丈夫だから」
私はオウガに本当のことを話すべきじゃないと思い、適当にごまかした。でも、私の嘘ってバレバレだったみたい。
「レナ姉、嘘ヘタすぎ!」
オウガにそう言われ、私は苦笑いするしかなかった。ローランドも私たちのやり取りを見てクスクス笑いながら、馬を進めた。私は隠し扉を見ながら、ローランドに尋ねた。
「なんでこの馬車、こんなに隠しスペースがあるの?」
「そりゃ、俺がよく人をこっそり運んでるからさ」ローランドは平然と答えた。
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