後編:亡霊的ひと目惚れ

 それが稲妻か電撃か、といった表現の違いはあるけれど、わたしには確かな心当たりがあった。


 しかし、あまりに意味不明な状況である。呆気にとられたわたしは、何も答えられずにいた。


「あるって顔してる」


 わたしの顔から何を読み取ったのか。女はニタリと笑って続けた。


「ここじゃなんだから、別のところで話しましょう」


 あなたと話す筋合いなんてない。そう言うつもりだった。


「芦田さんに聞かれたら嫌でしょ?」


 予想の外にある言葉が、心を突き刺す。


 扉一枚隔てた先に居る、わたしの好きな人。この女は芦田さんを知っている。そしておそらく、わたしが芦田さんに恋していることも。


 こうなってはどうしようもない。〈ラ・セレニダード〉の扉から手を放し、謎の女へと向き直る。


「話が早くて助かるわ」


 女はなにかを放るような動作を取る。視界ヴィジョンを開いて確認すると、名刺データが届いていた。



 恋ヶ峰大学 教授 千々和ちぢわ璃子りこ



 思っていたより何倍もすごい人だった。




 付近のカフェチェーンに移動したわたしたちは、各々の飲み物を囲んで席に着いた。千々和はコーヒー。わたしはダージリンティー。今日のわたしには、まだ芦田さんのコーヒーを飲むという予定が残っている。


「一応、前にメッセージは送ったんだけど。まあ受信切ってるよね」


 当たり前だ。受信箱を開きっぱにしていたら、広告やら勧誘やらナンパやらやらと大量のメッセージで箱が一瞬でパンパンになってしまうだろう。


 一応視界ヴィジョンを開き、迷惑メッセージに入っている内容を確認する。フィルタを抜けてきたどうでもいい広告メッセージの中に「千々和」という文字列が見えた。


 開いてみると、「稲妻的な恋に心当たり、ない?」と、一言一句先ほどと同じ文言が書かれていた。こんな怪しいメッセージ、誰が気に留めるというのか。


「さて……どこから話したものだろうね。今朝のニュースは見た?」

「いえ、特には」


 ニュースを見かけるタイミングはあったが、道中の電車で大量の広告アドたちと一緒にタイトルを眺めたくらいだ。内容までは知り得ない。


「そう。じゃあ、これとこれ」


 千々和が拡張オーグを操作し、二つのWEBページが共有される。わたしの視界ヴィジョンに展開すると、見覚えのある広告ページとニュース記事が出てきた。



 大切な記憶をいつまでも──無士通むじつうコーポレーションが送る記憶の記録化アーカイブサービス〈めもりむ〉。



 人間の脳にナノマシンを入れて直接ネットできるようになっても、未だに脳のブラックボックスは未解明の領域が多い。


 だが、海馬と記憶に関する領域だけは、ある時ものすごいブレイクスルーが起きた。


 その結果、人は脳内の記憶をデータ化して保管アーカイブしたり、脳に記憶データを入れ直すという──思い出すリメンバーとも入力インプットとも違う、再定着リプットが可能となっていた。


 民間でサービスが開始されてから一年ほど経つが、今も人気は殺到していた。わたしは特段収めておきたい記憶もないので、使ったことはないのだが。


 そしてもう一つのぺージは、その〈めもりむ〉への悪質なハッキングにより、一部顧客の記憶データが流出したというニュースであった。


 この二つのページに関連があるのはわかる。だが、わたし達にどのような関わりがあるというのか。


「この事件で流出したデータには、私の記憶も含まれてる」


 千々和は薄く笑みを浮かべながら、自身のこめかみを指でつつく。


 嫌な予感がして、それを飲み下すためにダージリンティーに口をつける。ぬるい。香りも弱くて物足りない。


「私が、芦田さんにひと目惚れした時の記憶が、ね」 


 紅茶のカップをそっと置く。カツンという音は、やけに強く響いた気がして。


「……やっぱり、あなたの脳に再定着リプット……いえ、入力インプットされてたのね」


 千々和の言葉は、わたしの中に漠然と存在していたモヤモヤ──違和感を、埋め始めていた。


 夢で出会った人物が現実に居て、恋に落ちる。ロマンチックなことこの上なく、わたしもその恋に邁進していた。


 だが、違った。


 言語化不可能な脳内の電子信号の訴え。モヤモヤ。これを早く解消させるためにも、早く、スッキリさせたいという焦りがあったのだ。


「まだ報道には載ってないけど、ないはずの記憶があるって人がちょこちょこ出てるの。バカどもがネット上にばらまいて、ダウンロードできちゃうようにしたみたい。趣味悪すぎよね」


 あの日電車の中で覚えた、電撃的な感覚。


 夢なんかじゃない。あれは、再定着リプットのそれだったのだ。


「ごめんなさい」


 いつの間にか、千々和はわたしに向かって頭を下げていた。


「あ……頭を上げてください。そんな、あなたが謝るようなことじゃ」

「〈めもりむ〉には私も一枚噛んでるの。それに……恋をするってのがどういうことか、私だってよく知ってる」


 上げられた千々和の顔は、出会った時のそれより遥かに暗く沈んでいる。そんな彼女の口が、こぼすように呟いた。


「あなたの中で生きてるそれは、終わった恋……亡霊よ」


 その意味を聞くほど、わたしも野暮ではない。芦田さんを知るためにも聞きたくはあったが、頭を下げてくれた彼女の厚意を無碍にはできまい。


「……どうして、わたしだってわかったんですか?」


 すると、千々和はそのおもてに余裕の笑みを取り戻した。


「女の勘」

「はあ……」

「流出の事実を知らされて……もしかしたら、誰かが吸い寄せられて来るんじゃないかと思ってね。それで、あの近くの監視カメラのデータをちょちょいと……あ、やべ」


 なんかすごいこと言ってないかこの人。


 千々和はごまかすようにコーヒーを呷ると、むせた。見ている分には面白いが、人のプライバシーを侵害……どころか犯罪レベルのことに手を出してる女である。果たしてどうしたものだろう。


「と、ともかくね。あの日の夜、あなたの顔見てピンと来たの。だから、メッセージを送った」


 そして、わたしはそのメッセージを当たり前のように無視したと。


「にしても、意外だね。あなたみたいな人……って言ったらアレだけど、適応するなんて。意外と似たもの同士なのかな」

「適応?」


「他者の記憶がちゃんと定着するかどうかは五分なの。その確率を高めるのは、その者たち同士の……同一性とでも言いましょうか。血筋からクセ、思い出……共通する部分や似たところが多いほど、定着しやすいのね」


「わたしと、あなたが……似てる?」

「どうだろ。理系?」

「文系です」

「両利き?」

「普通に右利きです」

「じゃあ……女の子、好き?」

「……いえ」


 千々和は頭上に?マークを浮かべながら腕を組む。彼女の知識でも理解できないことが起きているのだろう。


 技術のことはわからないし、わかろうとも思わない。


 千々和とわたしは、同じ記憶を共有している。

 なのに、わたしと彼女はあまりにも違いすぎた。


 文理の違いとか利き手の違いに優劣は感じない。どんな人を愛するかも人の勝手だ。


 わたしと彼女は違う。その事実は、この記憶が──この恋が、お前のものではないと、偽物だと突き付けられているような気がして。


 そんなわたしの考えを伺い知らぬであろう千々和は、調子そのままに話を続けた。


「記憶、消したい?」


 千々和が画像データを共有して来たので、視界ヴィジョンで開く。頭にヘルメットのようなマシンを着けて、なにがしかの施術を行っている写真だった。


「既に記憶のアーカイブがあるから、それと照合して合うデータを取り除けるってわけ。まあ……ノーリスクってわけじゃない」

「じゃあ嫌です」

「そう来ると思った。でも最後まで聞いて。リスクと言っても、記憶喪失になるみたいなヤバいもんじゃない。ただ……該当の記憶と強固に紐づく記憶も、一緒に消えちゃうかもしれないの」


 ふんわりと意味は掴めるが、合っているのかはわからない。わたしが首を傾げていると、千々和は言葉を継いだ。


「その恋にまつわる記憶が、まとめて消えちゃうかもってこと。綺麗さっぱり忘れられて、逆にいいと思わない?」


 千々和は清々しい笑みを浮かべている。やるべきことをこなしたという笑顔だった。


 わたしは返答に窮してしまい、再度連絡する旨を伝えてその場を後にした。




 結局その後〈ラ・セレニダード〉には行かず、家に帰った。


 家に居てもやることなどなく、時刻は夜になっている。電器もつけないまま、ただただテーブルに突っ伏すばかりの時間を過ごす。


 終わった恋。亡霊。

 つまるところ、失恋。


 千々和が芦田さんに惚れた。それは、二人の間に関係があった──とは、限らない。千々和の一方的な片思いで終わったかもしれない。


 だが、お付き合いしていた可能性だってある。


 もしそうだとしたら、二人の関係は決裂したことになる。フり、フられといったやり取りがあったのだ。


 どっちが、どっちを?

 芦田さんが、あの千々和と。


 考えているだけで、わたしの目に涙が滲み出す。なんてみっともない涙だろう。勝手に妄想膨らませて、勝手に被害者ぶって泣いているのだ。


 いや、一応被害者なのか。


 これ以上グダグダ考えていても不毛だと思い立ち、コーヒーを淹れることにした。


 もちろん芦田さんと同じくハンドドリップ。ドリッパーにフィルタを重ねてマグカップの上に置き、中粗挽きのモカ・イルガチェフをドリッパーに放り込む。


 お湯の温度は八十五度。ゆっくり優しく注ぎ入れ、まずはコーヒーを蒸らす。


 かぐわしい香りが、記憶を刺激する。芦田さんがコーヒーを淹れている時の、純粋な笑顔。美味しくなれよというまっすぐで、美しい祈りの刹那。


 十秒ほど過ぎたところで、お湯を注ぎ始める。コーヒー粉が炭酸ガスでもこもこと膨らんでいた。豆がまだ新鮮な証拠だ。芦田さんに教えてもらったサイトで購入した豆だった。


 全部夢であれば、と思わないでもない。


 そうすれば、本物か偽物か、なんて考えなくても済むというのに。


 きゅっと胸を締めつけるこの想いが、わたしの時間を彩るこの香りが、夢ではないのだと告げている。


 ドリッパーを片付けて、淹れたてのコーヒーを口に含む。まだ熱いけれど、苦みが薄くフルーティな酸味が広がって心地いい。


「……美味しい」


 呟く。返答はない。淹れたのはわたしで、ここにはわたししか居ない。


 このコーヒーは、確かに美味しい。


 でも、足りない。


 これだけじゃ、足りない。我慢できない。


 時刻は十九時を優に通り過ぎて、二十時に近づこうとしている。


 ラストオーダーは、二十時三十分。


 化粧を直す間もなく家を飛び出し、走り出した。


 息せき切らして電車に飛び乗り、周囲の怪訝な視線を浴びる。カバンも持たずに飛び出していた。なりふり構っていられなかった。


 息を整える間、普段は見ない電車の映像広告ムービー・アドに目が行った。人工知能による恋愛マッチングサービスの広告アド。流行りの動物園の広告アド。エナドリの新味を宣伝するバーチャル・アイドルのCMアド


 人はほとんど例外なく、外部から入力される情報の影響を受けている。広告がそのいい例だ。


 この記憶だって、いわばその延長に過ぎないじゃないか。


 電車を飛び出すように降りて、また走り出す。


 芦田さんのことばかり考えている。ときめいている。会いたい会いたい会いたい。一方的に膨らむばかりの片思いを、何倍にも大きくしているのはわたしの吐き出す二酸化炭素だった。わたしを苦しめているのは、どうしようもなくわたしだった。



 だからこれは、わたしの恋だ。



 ラストオーダーまであと八分。前に小走りで行ったときは駅から約十分。疲れた。脇腹痛い。タクシー呼べばよかった。後悔と苦痛で頭の中がパンパンになる。


 それでも、進みたい。


 二十時三十三分。


 芦田さんは店の前に立って、空を眺めながらコーヒーを飲んでいた。

 その視線が、わたしを捉えて見開かれる。


「……汗だくじゃないですか」

「その、深いわけがありまして」

「タオル取ってきますね」

「あ、そんな!」


 芦田さんはすぐさま店に引っ込んでしまう。飲んでいたコーヒーは窓の縁に置かれ、湯気を立てていた。


 戻って来た芦田さんから、ふわふわの白いタオルを手渡される。ありがたさと申し訳無さが半々で、それらの気持ちを巨大なトキメキが串刺しにして一まとまりになっていた。


「電話してくだされば、開けておいたのに」

「あ、電話……でも、お店の時間。悪いかなって」


 タオルに顔を埋める。いい匂いがした。よこしまなことを考えそうになった瞬間、汗がわっと噴き出して来た。恥ずかしくってたまらない。


「あー、まあそうですよね……でもウチは個人店なので。や、これじゃ答えになってないな」

「ごめんなさい。前もこんな風に押しかけて」

「……今日は、もう来てくださらないのかと思ってました」


 まるで、わたしのことを待っていたような口ぶりだった。期待に胸が弾む。勘違いするなと言い聞かせたくても、鼓動の方が言うことを聞いてくれない。


「一度、店の前に来てくれましたよね? 実は見てて……でも、行ってしまわれたから、ちょっと寂しくて」

「……さび、しい?」

「なので、来てくれて嬉しいです」


 そう言って、芦田さんはへらりと緩く笑いかける。


 わたしはもう一度タオルに顔を埋めた。叫び出したいくらいの心持ちで、実際心は張り裂けるくらいに叫んでいる。


 もう、耐えられそうになかった。


「芦田さん、わたし」


 言え。


「わたし……」


 言ってしまえ。なにを。とにかく言え。吐き出してしまえ。そうしないと、もう心も体も保ちそうになかった。


「わたし、芦田さんのコーヒーじゃなきゃ、ダメになっちゃったみたいです」


 言った。言えた。


 これで良かったのかわからないけど、わたしの中でパンパンに膨らんだものが、少しだけ抜けていった。


 すると──芦田さんは、唐突に笑い出した。


「あ……芦田さん?」

「いや……すみません。前に友人に言われたんです。お前はコーヒー星のコーヒー人間だなって。それで……そのコーヒー人間としては、一番嬉しい言葉だったので。つい思い出してしまいました」


 わたしの言葉で、嬉しくなってくれた。


 弾けるような自然体の笑顔が、そこに燦然と輝いていて。



 ズキュ────────────ン。



 何度経験してもこの感覚に、この衝撃に慣れることはないだろう。


 そして、忘れることもないだろう。わざわざ記録アーカイブなどせずとも、この身を焼いた電撃は脳から足先にまで染み付いて、わたしの心を恋で焦がしている。


 芦田さんが扉を開けてくれる。看板はまだ置かれているものの、店内にお客さんの姿はない。


「今日も二人きりでよろしければ、どうぞ」


 二人きり。望むところだった。


 この恋がどうなろうとも、きっと後悔は残らないだろう。


 確信と共に、歩き出す。


〈おわり〉

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電撃的、あるいは亡霊的ひと目惚れの真偽 いかろす @ikarosu000

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