第20話 鉱脈と撤退

 ムルロッドに教えてもらった鉱脈を目指し、ミル、マムル、リンティの三人は坑道の奥へと進んでいった。あたりはさらに暗く、じめじめとした空気が重くのしかかる。灯り苔の光だけが、心細い道標だった。


坑道の壁には、不気味な影が揺らめいているようだった。どこからか聞こえてくる得体の知れない物音に、ミルは思わず立ち止まる。マムルもミルの髪の中に隠れ、小さく震えていた。


「……何かいるの?」


ミルが小声で尋ねるが、リンティはただ黙って周囲を警戒しているだけだった。杖を構え、いつでも魔法が使えるように準備している。


坑道の奥へ進むにつれて、空気はさらに冷たくなり、悪臭のようなものが漂ってきた。


警戒しながら、ムルロッドが地図に印を付けてくれた場所を目指した。

いくつかの枝道を通り過ぎ、やがて他の場所よりも少しだけ広い空間に辿り着いた。壁の岩盤には、他の場所とは違う鈍い輝きを放つ部分がある。ここが、教えてもらった鉱脈のようだった。


「ここだわ! 多分、ここがムルロッドさんが教えてくれた鉱脈よ!」


リンティが興奮したように声を上げた。灯り苔の光を壁に近づけてみる。岩盤の中に、確かに微かに光を放つ鉱石が埋め込まれているのが見えた。


「すごい! これが魔鉱石の脈なんだね!」


ミルも目を輝かせた。ハンドピッケルを手に取り、今すぐにでも掘り始めたい衝動に駆られる。


その時、リンティが足元に転がる石ころを見て、ハッと息を呑んだ。


「これは……!?」


リンティがしゃがみ込み、拾い上げたのは、他の石とは明らかに異なる深い闇のような色をした鉱石だった。それは灯り苔の光すら吸い込むかのような、不気味な輝きを放っていた。


「これって……、冥色の魔鉱石……!」


リンティが呟いた。その声には、驚きと少しの畏怖が含まれていた。

ミルがリンティに声をかけようとした、その時だった。


「見て! リンティ! マムル! 見て見て!」


ミルの声を聞いて、リンティが顔を上げた。すると、ミルは手にいくつもの石ころを抱え、興奮した様子でリンティに見せようとしていた。


「私、見つけたよ! 魔鉱石! たくさん掘り当てたんだ!」


ミルは満面の笑みで、石ころをリンティに見せてきた。しかし、それはどう見てもただの石ころだった。魔力を帯びた輝きもなければ、魔鉱石特有の質感もない。


リンティは困惑した。そして、ミルの様子がおかしいことに気づいた。ミルの目は、何か一点を見つめているかのようだが、その焦点は全く合っていない。瞳孔が開き、どこか虚ろな目をしていた。


「ミル? どうしたの? それはただの石ころよ。魔鉱石じゃないわ」

リンティが優しく言ったが、ミルはリンティの言葉を聞いていないかのようだった。


「違う! これは魔鉱石だよ! すごくたくさん見つけたんだ! これをスベンさんに持って行けばライフルをもっと強くしてもらえるんだ!」


ミルは石ころを強く握りしめ、興奮した調子で言った。その声は、どこか上ずっていた。


リンティはミルの様子に不安を感じ始めた。そして、その時、マムルがミルの髪の中から顔を出し、リンティを見て、震える声で言った。


「リンティ……! ミル、なんだか怖いよぉ……目が……」


マムルの言葉に、リンティはゾッとした。改めてミルの目を見た。その瞳はリンティを映していなかった。そして、ミルの顔に、徐々に敵意の色が浮かび上がってきた。


「リンティ……貴方……この魔鉱石を奪おうとしてるんでしょ? 私を騙して石ころだって言って……私の魔鉱石を奪って自分の物にしようと……!」


ミルはリンティを睨みつけ、警戒するように後ずさった。手に持った石ころを、まるで宝物のように抱きしめていた。


「何を言ってるの、ミル! 私はそんなことしないわ! あなた、おかしいわよ!」


リンティは必死にミルの誤解を解こうとしたが、ミルの耳には届いていなかった。ミルの表情は、完全にリンティを敵と見なしている。


「騙されない! 貴方なんかに私の魔鉱石は渡さないんだから!」


ミルはそう叫び、持っていた石ころの一つをリンティに投げつけた。石ころはリンティの肩を掠め地面に落ちた。


その時、リンティの脳裏に、ギルドの受付の言葉が蘇った。

奥地で注意すべき魔物として、クニャックの名前を挙げていたのだ。実体を持たず、幻覚と幻聴で精神攻撃を仕掛け、対象を弱らせて生命力を奪うという説明。そして、精神が弱っていると狙われやすいこと、常に冷静さを保つことが重要だという警告も。


ミルの様子――焦点の合わない目、虚ろな表情、石ころを魔鉱石だと思い込む現実離れした認識、そしてリンティへの敵意。

これらは、まさにクニャックによる精神攻撃の症状ではないか。ムルロッドに教えてもらった鉱脈は比較的安全と聞いていたが、この辺りまで来ると、クニャックが出没する可能性もあるということなのだろうか。


(クニャック……! 見えないわ……どこにいるの!?)


リンティは杖を構え周囲を警戒したが、クニャックに実体はない。見えるのは、幻覚を見ているミルの姿だけだった。


このままでは、ミルはクニャックに生命力を吸い取られてしまう。そして、自分もいつクニャックの精神攻撃を受けるか分からない。何よりも、正気を失ったミルが、自分やマムルに危害を加える可能性もある。


リンティは一瞬で判断した。クニャックと直接戦うことはできない。まずは、ミルをこの危険な場所から引き離し、正気に戻さなくては。


「ミル! ごめん! ちょっと我慢して!」


リンティはそう叫ぶと、杖の先に魔力を集中させた。そして、魔法を込めた杖を、ミルの頭部に思い切り振り下ろした。


ゴンッ!鈍い音が坑道に響き渡った。ミルは目を大きく見開き、そのまま糸が切れたように意識を失い、地面に倒れ込んだ。手に持っていた石ころが、カラカラと転がる。


「ミル!」


マムルが悲鳴のような声を上げた。


リンティは倒れたミルを抱きかかえ、迷わず杖を構え直した。


「《エンチャント・アジリティ!》」


自分自身に身体強化魔法をかける。体が軽くなるのを感じながら、リンティは意識を失ったミルを抱きかかえ、一目散に来た道を駆け戻り始めた。マムルはミルの髪にしがみつき、泣いていた。


「マムル、大丈夫よ! きっとミルを助けるわ! ギルドに助けを求めるのよ!」


リンティは全速力で暗い坑道を駆け抜けた。一刻も早くこの場所から脱出し、ミルの正気を戻すための手立てを見つけなければならない。


必死に坑道を駆け抜け、ようやく街の明かりが見えてきた時、リンティは安堵の息をついた。そのまま、ダイガーツのギルド支所へと駆け込んだ。


「助けてください! 仲間のミルが、鉱山で魔物にやられました!」


リンティは受付に駆け込み、息も切れ切れに叫んだ。受付の女性はリンティの慌てた様子に驚き、すぐに状況を把握した。


「落ち着いてください! セストさん! セストさんをお願いします!」


受付の女性が奥に向かって叫んだ。すぐに、ギルドの奥から、落ち着いた雰囲気の女性が現れた。彼女が、ギルドに常駐しているヒーラーのセストだろう。


「私がセストです。患者は?」


セストは冷静な口調でリンティに尋ねた。リンティは意識を失ったままのミルをセストに見せた。


セストはミルを見るなり、その症状を素早く判断した。


「これは……クニャックにやられたのね。精神攻撃の初期症状だわ。取り憑かれる前段階で良かった」


セストはそう言って、ミルを診察し始めた。彼女の手から微かな光が放たれ、ミルの体に触れる。その光景に、リンティは少しだけ安堵した。


(ヒーラーがいてくれた……!)


リンティは心の中で呟いた。高い治癒魔法に加え、病気や呪い、魔物の特殊な攻撃にも対応できるヒーラーは非常に貴重な存在だ。

大きな街のギルドに一人か二人は配置されていると聞いていたが、まさかダイガーツの支所にもいるとは。セストという名のその女性は、まさに救世主に見えた。


「彼女の精神を侵食しようとしていたようね。意識を失わせたのは正しい判断だったわ」


セストはミルの容態を確認しながら言った。リンティがミルを気絶させたことがクニャックの侵食を一時的に食い止めることに繋がったのだろう。


「このままでは危険よ。すぐに治療しましょう」


セストはそう言って、ミルを抱きかかえギルドの奥にある治療室へと運んでいった。リンティもマムルと共に、セストの後を追った。


クニャックという実体のない魔物による精神攻撃。それは、物理的な脅威とは全く異なる恐ろしいものだった。

ミルを襲った幻覚と敵意。もしリンティが気づくのが遅れていたら、あるいは適切に対処できていなかったら……ゾッと背筋が冷たくなった。


治療室の入り口で、リンティはセストに声をかけた。


「セストさん、ミルは助かりますか?」


セストは治療室の扉を開けながら、リンティに振り返った。その表情は落ち着いていた。


「ええ、まだ初期段階ですから大丈夫でしょう。少し時間がかかるかもしれませんが必ず回復させます」


セストの言葉に、リンティは心底安堵した。マムルも、セストの言葉を聞いて、少しだけ落ち着いたようだった。


治療室の扉が閉まり、リンティとマムルは、ただミルの回復を待つことしかできなかった。暗い坑道での出来事が、まるで悪夢のように脳裏に焼き付いていた。クニャックの恐ろしさ、そして仲間の危機。冒険の厳しさを改めて痛感した瞬間だった。

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